2014年10月8日
前田家家系図
エピソードの時期が順不同になってきました。
何せ、この1年と4ヶ月少々の間、このようなブログを書くとも想像だにしなかったので、エピソードの整理もしてなく、よって今後しばらくはランダムに思い出すがままのブログ発信となるかもしれません。どうぞご了解ください。
昨年の8月初旬のこと。その頃は卯辰山工芸工房の森川氏の「染」の展示を していました。作品の一つ「訪問着」を目を凝らしてご覧になっていたひとりのご婦人 が踵を返して振り向きざま、背後にある前田家家系図と14代慶寧公の肖像画に 目を遣り、「どうしてここにこんなものがあるんですか」と詰問調の質問をされました。
尾張町のミニ美術館を構成するお店には、それぞれ代々の殿様の肖像画が 店頭においてあり、前田家家系図も置いてあるんですよ、と私。 「……この家系図によると前田家の……」とつたない説明をしようとするとそれを 遮るように、このご婦人、明快に、明確に前田家の系統の説明をされました。
そして黙って芳名帳に署名されたので、すかさずワキからそれを覗き込み(それには 東京都……前田○子と書かれてある)もしや前田家のご関係の方ですか、と 思わず尋ねてみました。「私は富山の前田の嫁です……」。
気品あふれる知的な話し方、凛としたたたずまい、どれをとっても前田家富山支藩の 奥方にふさわしいかたでした。その後、金沢の文化振興案、殊に町家活用での ご自分の意見をとくとお話になり(小一時間も)、とっても気さくな面も覗かせて お帰りになりました。とってもステキな方でしたよ!!!
2014年10月8日
いつごろの「主計町」??
今年 5月から3か月余、「尾張町界隈、懐かしの写真展」というのを 一部、当館所蔵の写真パネル15枚をひっぱり出してきて用い、展示した。 「所蔵」といってもキチンと保管されていたわけでなく、屋根裏部屋然 とした物置スペースに、雨漏りのあとが染みついたような状態の写真パネル だった。ほこりをふき取り、パネルの黒ずんでいるところは白い紙を貼り、 体裁を整えたのはいいが、それぞれの画像に、年代と場所を特定しなければいけない。 場所はだいたい分かるが、問題は年代である。電車通りについては、軌道敷設の 前後でおおよそ見当がつく。街を走っている車の型式も参考となった。 いろんな人に教えを乞うて、15枚中14枚まではほぼ時代が特定できた。 最後に残ったのは、主計町の昼下がりの画である。桜の木の幹の太さからして だいぶ前のものだろうとの見当はつくが、年代は容易に言い当てられない。 しばらく放っておいた。
そんな折、4月上旬、神戸からSさんご夫妻がご来館され、ご主人 むかしは 金沢に住んでいた、とおっしゃられたのでお二人の帰り際に、何気なく 「金沢のどこに住んでらしたのですか」と尋ねた。「主計町です」と お聞きしたので、だめもとで くだんの写真を倉庫の2階からひっぱり出して来た。 「もしかしてお分かりになりませんか…」。
ご主人のSさん、その画を見て呆然と立ちすくみ、「これ 私の生まれ育った家です。 …今はもうありませんけど…」と懐かしがられた。家の前の自転車も、軒先の 鳥かごの中のジュウシマツもみなSさんのものだったという。 (写真右手前の家)。
何という奇遇!!!。
かくしてめでたくこの写真の時代は昭和39年とあいなり、この展示企画の 一翼を占め、しばらくはその画のすがすがしい風情は、来館者の人たちにとり 一服の清涼剤たりえたのでした。
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