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2014年10月10日

赤茶帯(おび)のロマン

当館前道路

当館前の道路(百万石通り ― 国道159号)

 

今年7月の終り頃のこと。 快活そうな愛知からの学生(男性)さんが、ポツリとこう言った。 「この辺 むかし市電 通ってましたか」 「よくお分かりですね、そうなんですよ この前の通りが金沢で最初に市電が通った ところなんですよ。大正8年からなんですけどね」。 館内に掲示してある、昔日の尾張町界隈の写真の中に電車風景のものもいくつかあり それをみて分かったんですか?と尋ねたら そうでないと言う。 「この前の道路、何となくむかし電車が通ってた雰囲気が残ってるじゃないですか、 それにあの赤茶けたスジも何となくそう思わせるし・・・・・」と当館前の道路を 指さした。

 

私も前からそんなことを思っていた。路面に残るその赤茶けた帯がいかにも 電車が通ってた雰囲気を醸し出している。昭和42年の電車廃止時、この辺はレールを 撤去せずにそのままアスファルトをかけたのかもしれない、その埋め込まれたままの レールが錆びて、路面にサビの赤を浮き出させているのかもしれない・・・・そんなことを 思わせる風情なのだ。

 

でもおそらくそれはこういうことなのだろう。 鉄分を多く含む地下水が融雪装置で散布され、空気に触れて酸化した結果なのだろう、 車の轍部分は、常に通行する車のタイヤからかかる圧力、刺激により融雪装置の水の 鉄成分が固着する間を与えず、轍と轍の間にのみ帯状の赤茶けた跡が凝着したのだろう、と 考えるのが科学的だ、それに帯の間隔はどうみても電車の軌間(約1メートル強) より広いし・・・・。などどロマンをブチ壊すようなことを考えてしまう。

 

このような赤茶けた帯状のスジのついた路面はよそにもいくつかある、だけどそのような 路面を見て、かつてそこに電車が通っていた絵図を想像できるだろうか。

 

くだんの学生さんも私も、このえも言われぬクラッシックな風情の尾張町だからこそ そんなことを想像してしまったのではないだろうか。 ゴトンゴトンと のどかに走っていた路面電車、軌道の上空には、北陸随一の都会の威容を示すがごとくに張りめぐらされていた送電線、その下を優雅に、確実に走っていた路面電車。

 

金沢の「三丁目の夕日」的なノスタルジーを感じさせる尾張町だからこそ 道路の赤茶の帯が、路面電車への郷愁を誘うのだろう。

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