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2014年10月30日

スポーツマン 若者 二題

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斉藤選手をいざなった看板

 

 

今日(10月30日)埼玉からの4人連れのお客様が入って来られて、そのうちの一人の方(男性)が、「看板に気軽に入れそうな文句が 書いてあったので入りました」と仰った。 ガイドブックや観光マップ等に当館のことが掲載されているが、それでもやはり何かアピールできるものがあったほうがよい、との考えから ガラス窓に貼り紙したり、看板にいろいろと工夫をしたりしている。 さきのお客様みたいに看板の文句で入ってきました、という方も最近は増えた。 そういうことを言われると、貼り紙、看板の作成者としては嬉しいことこの上ない。 (看板や、ガラス窓の貼り紙の文句はたまに変えている。)

最初に上掲の看板文句が気に入ってはいって来ていただいた人を憶いだした。 この文句に貼り変えてからのお客さんだから6月頃の土曜日か日曜日だったと思う。 若い男女の二人連れが入ってこられた。男性は陽に焼けて浅黒く精悍で、快活で、元気良くて その上 礼儀正しかった。いろいろ話をしたあと、その男性が「ここの看板が気に入って……」と言ってくれた。 お二人は近江町方面から歩いて来られたので、町民文化館にも入られたのですか、と尋ねたら 町民文化館へは入らずここへまっしぐらに来て入ったのだと言う。 近江町方面から来る人は、土日の場合(土日は町民文化館の開館日)たいてい先ず町民文化館に入ってから 当館へ来るのだが、町民文化館をパスしてこちらへ入ってくる人は大変レアなのである。 それだけで私は感激してしまった。 「ホント、ここの看板の 金沢でいちばん気楽に入れるところ…」が気に入った、とのこと。 まことに作成者冥利に尽きる思いがした。

お連れの女性の方が「このひと、プロテニスプレーヤーなんですよ」と誇らしげに言った。 聞けば「斉藤 貴史」さんとのこと。テニス界に疎い私は、名前を聞いても分からなかったが 彼の持っている雰囲気、身のこなしかたからも ただならぬモノを感じ、さもありなんと思った。 「錦織選手」に勝てますか、と聞いたら「 いづれは…」と力強い返事が返って来た。 後日、テニスの好きな人に聞いたら、まだ19歳の、期待のホープと聞いた。是非とも錦織選手の後に続かれんことを!!

 

 

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先の10月25日の土曜日、町民文化館を拠点として「尾張町フォトラリー」が開かれた。 尾張町商店街振興組合と金沢学院大学 経営情報学部の阿手先生のゼミとの共催であり当館も 「ガラガラ」の抽選会場として一翼をになった。 学生さんたちは、皆すがすがしく、そして精力的にこの企画に取り組んでおり、ときおり彼らと接せられる私も 心地よい思いがした。そんな中に、体格の良い(仮にA君とする)A君がいて、彼は当日以前もこちらに打ち合わせに 来てたりしていて顔見知りであった。ハキハキしており、とにもかくにも礼儀正しかったので好印象を抱いていた。 当日、他の学生さんにA君のことを尋ねたら相撲部と教えられ、どうりで礼儀正しいハズと思った。 そのあと私はA君をつかまえて、ここ(尾張町)はみんなも知っているだろうけど金沢の中でも特に商いの歴史の香る町だよね。 それ以外にも、意外な歴史もあるんだよ、と私はA君にこう続けた。「昔、昭和30年代の終わり頃から40年代にかけて 、あの大横綱の輪島が金沢高校時代この町に下宿していたんだよ…」と。 A君 驚いて「この町を昔 輪島さんが歩いていたんですか」と感激ひとしおだった。 A君が西南部中学の相撲部出身とそのあと聞き、「では君はあの達(たつ)(大相撲力士。来場所から十両昇進を決めた、現在 石川県出身 としては遠藤に続いて二人目の関取となる石川県期待の星(現在20歳)。輝(かがやき) 関の本名)を知っているんだね」と尋ねたら 勿論です、彼は私の1年下でした。でもなかなか勝てなかったですね、10回やれば3回くらいしか勝てなかったですね」と返ってきた。 とたんに「輝 関」が身近になった。

 

テニスの斉藤君、相撲部のA君、いずれもスポーツをやっているもののみがまとっている、強さの中の凛としたものを感じ、私は大変心地良かった。

 

2014年10月23日

念ずれば現る?

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NHK金沢の前身。(当館所蔵の写真パネルより)

 

 

はなしはだいぶん前後する。 私は野球全般が好きで、プロもアマも等しく好きである。 高校野球は勿論のことである。 9月の25日、秋の北信越高校野球石川県大会も煮詰まってきて ベスト4が出そろってきたころ、約1年前のNHK金沢の神戸(かんべ)アナウンサーの ご来館を憶いだした。高校野球つながりで神戸さんとたいへん話が弾んだのである。 夕方5時近くになったのでそろそろ閉館にとりかかろうとしていたころ、 ふらっとNHK金沢の神戸アナウンサーが自転車を止めて入って来られた。 私は神戸さんをテレビ、ラジオ(主に高校野球中継)で知っていたので 開館時間をズーッと延ばしていろいろお話させて頂いた。 神戸さんが高校時代 野球をやっていたお話もそのときお聞きした(どうりで野球中継もうまいはず)。 石川県と(神戸さんの出身県)愛知県の高校野球事情、野球風土の違いなどもお聞きし、とても楽しかったのを 憶えている。

ところが最近、神戸さんをテレビで見かけなくなった。 どうしたんだろうと思って(この場合、どうしたんだろうと心の中で強く念じた、といったほうが 正しい)いたら、当館の前をNHK金沢の石黒綾佳アナウンサーが通りかかった。 (石黒さんのことは、NHKのいろんな番組で知っていた。さわやかな語りで、目がぱっちりの、とてもチャーミングな方) 神戸さんを思い遣っていたそのときに石黒さんが通りかかったものだから、おもわず 「イシグロさん」と呼びかけてしまった。石黒さんはお忙しいにもかかわらず当館に 入って下さった。 少しばかりお話しさせて頂き、神戸さんがこの夏、高知へ転勤になったと知った。 (とにかくその時の石黒さん、チャーミングさいっぱい、オーラいっぱいで圧倒されました。 石黒さんは「イシグロ」でなく「イシクロ」とお読みすると知りました。)

これは、念じたからこそNHKの方が私の前に突然現れたのだ、と解釈した。

 

「念じたから現れた」例として、昨年6月末の梅雨のころ、当館に来られていた地元のお客さんと 「そういえば今日は阪神、中日戦だね」でもこんな雨だから「中止でしょうね」と話してたら 当館の、武蔵よりから歩いてきたジャージ姿5~6人の男連れの最後尾に、目のくりっとした人がいた。 私は、とっさに「監督!、頑張って下さいよ」と声をかけた。「おぅ!!」と答えてその人は 集団とともに立ち去って行った。先日、CSステージを駆け抜け日本シリーズに駒を進めた 和田監督その人だった。これは……でも「念ずれば現る」というほどでもなく「噂をすれば影」的なものかもしれない。

 

「念じたから現れた」例として、

私の学生時代の話。昭和40年代の末頃、通っていた大学の図書館で調べ物をしていて 少し疲れたので、(その頃からみて数年前に)はやっていたグループサウンズ(Tガース)の、お気に入りの歌を 鼻歌気味に(瞑想の中で)歌った。Tガースのひとり一人のメンバーを頭の中に登場させて。 まさにそのときだった。薄暗い図書館の中で、私のななめ前にTガースのドラムス担当のHが霞んだようにほの白く像を結んでいた。 白皙の美青年といったふうで、その人は真剣に書物に没頭していた。他を寄せ付けない、なにか凛とした空気をまとっているようだった。 その人がTガースのHさん(そのころTガースは解散していた)だという確たる証拠はどこにも なかったが、私は本人だと信じた。なにか蜃気楼でも見たような非常に不思議な感覚にとらわれたのを憶えている。 (その当時その人が私と同じ大学に進学していたことは、だいぶ後になって知った。) これも「念ずれば現る」の好例であろう。

 

さて、先日夕方近く、私は、当館用の芳名帳の残りページが少なくなったのに気づき、10分くらいで戻って来る予定で、 開館中ではあるが、新しいものを近江町の荒木紙文房具店に買い求めようとして、「しばらく留守にします」の貼り紙をし臨時閉館とし、 心の中では「誰にも会いませんように…」と念じながら近江町のほうへ歩き出した。とたんに 道路の向こう側に、外ではめったに会わない尾張町のMさんとばったり目が合ってあわてて会釈した。 これなども、「念ずれば現る」の現象であろう、うんと広い意味で。

 

2014年10月17日

「尾山神社」

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卯辰八幡宮から尾山神社への、利家公ご神体の遷宮祝いの行列絵巻(明治6年)

 

 

 

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今年の9月初旬のこと。 最近よく来館するIさんが、当館のかつての、メガネ屋さん時代のショーウインドウ木枠に 張り付けてある絵巻物に見入っており、私はこれは参勤交代の行列ではなく、明治6年の尾山神社の創建 なったことによる、卯辰八幡宮から尾山神社への、前田利家公ご神体の遷宮を祝った行列である、などど説明した。 (この絵巻物は尾張町きってのジェントルマンのМさん宅から発見された絵巻物のコピー) これで、Iさん、「金沢の歴史語り熱」に火が点いた。

 

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私が建物内のセドへ別のお客様をご案内しているときにIさん、 大阪から来られた金沢の歴史に興味津々の男性に熱弁を振るっていた。

「金沢城は歴史上何度も大火に遭っており・・・・・かつて金谷出丸(御殿)と玉泉院丸 を結んだ鼠多門も火事で焼失し・・・・その金谷出丸の跡地には尾山神社が建ったんです・・・」と 得意の金沢の歴史にまつわるうんちくを傾けていた。

実はこのIさん 私の中学(紫錦台中)時代の同級生である。当館のほんの近く(歩いて2~3分の距離) 近江町で仕事をされており、この6月頃からご来館頂いている。 6月頃、偶然当館に来られた。別に示し合わせて来ていただいたワケではない。 このIさんとは中学時代同じクラスになったことはないし、それに私は中学2年からの転校生であったため Iさんの小学校時代など、勿論のこと知っているわけではなかった。だから紫錦台中学時代、殆ど彼と話したことはない。 ただ、彼は学校一の、抜群のユーモアを誇る人気者であった。ユーモア志向であった私はいつも彼にあやかりたい、と思って いたものである。また彼は学校を代表する応援団リーダーでもあった。

この日、「尾山神社」を語る彼の顔から、私はかつての中学時代に引き戻されていた。 紫錦台中には「花咲かじいさん」の替え歌の応援歌(尾山神社)がある。 (♪ うらのはたけでポチが鳴く 正直じいさん掘ったれば 大判小判がざ~っくざ~くざっくざく♪」というアレである。) この替え歌の応援歌を、Iさん、なにかにつけ全校生徒の前でよく唱和指導した。

まず  「尾山じんじゃ~!!!」と一声 「がなって」

「♪ お~やまじんじゃの神主が おみくじひいて申すには こぉ~としぃのぉ しぃちゅうぅう~(紫中)は 勝~つ 勝~つ 勝ぁつ 勝つ ! ♪ 」 という具合に。

 

こんにち、金沢の歴史を語るIさんのいぶし銀の顔と、中学時代の、応援歌を指導するIさんのキトキト顔が 「尾山神社」を介して一つに重なった。

2014年10月10日

赤茶帯(おび)のロマン

当館前道路

当館前の道路(百万石通り ― 国道159号)

 

今年7月の終り頃のこと。 快活そうな愛知からの学生(男性)さんが、ポツリとこう言った。 「この辺 むかし市電 通ってましたか」 「よくお分かりですね、そうなんですよ この前の通りが金沢で最初に市電が通った ところなんですよ。大正8年からなんですけどね」。 館内に掲示してある、昔日の尾張町界隈の写真の中に電車風景のものもいくつかあり それをみて分かったんですか?と尋ねたら そうでないと言う。 「この前の道路、何となくむかし電車が通ってた雰囲気が残ってるじゃないですか、 それにあの赤茶けたスジも何となくそう思わせるし・・・・・」と当館前の道路を 指さした。

 

私も前からそんなことを思っていた。路面に残るその赤茶けた帯がいかにも 電車が通ってた雰囲気を醸し出している。昭和42年の電車廃止時、この辺はレールを 撤去せずにそのままアスファルトをかけたのかもしれない、その埋め込まれたままの レールが錆びて、路面にサビの赤を浮き出させているのかもしれない・・・・そんなことを 思わせる風情なのだ。

 

でもおそらくそれはこういうことなのだろう。 鉄分を多く含む地下水が融雪装置で散布され、空気に触れて酸化した結果なのだろう、 車の轍部分は、常に通行する車のタイヤからかかる圧力、刺激により融雪装置の水の 鉄成分が固着する間を与えず、轍と轍の間にのみ帯状の赤茶けた跡が凝着したのだろう、と 考えるのが科学的だ、それに帯の間隔はどうみても電車の軌間(約1メートル強) より広いし・・・・。などどロマンをブチ壊すようなことを考えてしまう。

 

このような赤茶けた帯状のスジのついた路面はよそにもいくつかある、だけどそのような 路面を見て、かつてそこに電車が通っていた絵図を想像できるだろうか。

 

くだんの学生さんも私も、このえも言われぬクラッシックな風情の尾張町だからこそ そんなことを想像してしまったのではないだろうか。 ゴトンゴトンと のどかに走っていた路面電車、軌道の上空には、北陸随一の都会の威容を示すがごとくに張りめぐらされていた送電線、その下を優雅に、確実に走っていた路面電車。

 

金沢の「三丁目の夕日」的なノスタルジーを感じさせる尾張町だからこそ 道路の赤茶の帯が、路面電車への郷愁を誘うのだろう。

2014年10月8日

前田家家系図

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エピソードの時期が順不同になってきました。

何せ、この1年と4ヶ月少々の間、このようなブログを書くとも想像だにしなかったので、エピソードの整理もしてなく、よって今後しばらくはランダムに思い出すがままのブログ発信となるかもしれません。どうぞご了解ください。

昨年の8月初旬のこと。その頃は卯辰山工芸工房の森川氏の「染」の展示を していました。作品の一つ「訪問着」を目を凝らしてご覧になっていたひとりのご婦人 が踵を返して振り向きざま、背後にある前田家家系図と14代慶寧公の肖像画に 目を遣り、「どうしてここにこんなものがあるんですか」と詰問調の質問をされました。

尾張町のミニ美術館を構成するお店には、それぞれ代々の殿様の肖像画が 店頭においてあり、前田家家系図も置いてあるんですよ、と私。 「……この家系図によると前田家の……」とつたない説明をしようとするとそれを 遮るように、このご婦人、明快に、明確に前田家の系統の説明をされました。

そして黙って芳名帳に署名されたので、すかさずワキからそれを覗き込み(それには 東京都……前田○子と書かれてある)もしや前田家のご関係の方ですか、と 思わず尋ねてみました。「私は富山の前田の嫁です……」。

気品あふれる知的な話し方、凛としたたたずまい、どれをとっても前田家富山支藩の 奥方にふさわしいかたでした。その後、金沢の文化振興案、殊に町家活用での ご自分の意見をとくとお話になり(小一時間も)、とっても気さくな面も覗かせて お帰りになりました。とってもステキな方でしたよ!!!

2014年10月8日

いつごろの「主計町」??

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今年 5月から3か月余、「尾張町界隈、懐かしの写真展」というのを 一部、当館所蔵の写真パネル15枚をひっぱり出してきて用い、展示した。 「所蔵」といってもキチンと保管されていたわけでなく、屋根裏部屋然 とした物置スペースに、雨漏りのあとが染みついたような状態の写真パネル だった。ほこりをふき取り、パネルの黒ずんでいるところは白い紙を貼り、 体裁を整えたのはいいが、それぞれの画像に、年代と場所を特定しなければいけない。 場所はだいたい分かるが、問題は年代である。電車通りについては、軌道敷設の 前後でおおよそ見当がつく。街を走っている車の型式も参考となった。 いろんな人に教えを乞うて、15枚中14枚まではほぼ時代が特定できた。 最後に残ったのは、主計町の昼下がりの画である。桜の木の幹の太さからして だいぶ前のものだろうとの見当はつくが、年代は容易に言い当てられない。 しばらく放っておいた。

 

そんな折、4月上旬、神戸からSさんご夫妻がご来館され、ご主人 むかしは 金沢に住んでいた、とおっしゃられたのでお二人の帰り際に、何気なく 「金沢のどこに住んでらしたのですか」と尋ねた。「主計町です」と お聞きしたので、だめもとで くだんの写真を倉庫の2階からひっぱり出して来た。 「もしかしてお分かりになりませんか…」。

 

ご主人のSさん、その画を見て呆然と立ちすくみ、「これ 私の生まれ育った家です。 …今はもうありませんけど…」と懐かしがられた。家の前の自転車も、軒先の 鳥かごの中のジュウシマツもみなSさんのものだったという。 (写真右手前の家)。

何という奇遇!!!。

 

かくしてめでたくこの写真の時代は昭和39年とあいなり、この展示企画の 一翼を占め、しばらくはその画のすがすがしい風情は、来館者の人たちにとり 一服の清涼剤たりえたのでした。

2014年10月5日

なまえ ナマエ 名前

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私が当館への赴任早々の平成25年6月、東京からお見えの Sさん との面白い話。

高校まで金沢に住んでいたんだよ、というSさんといろんなことで 波長が合い、親しくお話しさせて頂きました。 私は何か面白い話を提供しようと、昔体験したエピソードをSさんに 披瀝しました。

「Sさん、私のかつて勤めていた会社での話ですが、面白いのが ありますよ」と切り出し、「同じ職場に○方 真一路(シンイチロ)クンてのが いまして、前から私はなぜシンイチロウでなくてシンイチロなどという 語尾の語感の座りの悪い名前なのか不思議に思っていました。 いつかそれを聞いてやろうと思っていたところ、坂○クンてやつが それを尋ねたんですよ。○方さん、何でシンイチロって名前なんですか?ってね。 そこで○方クン、そばにあった黒板で『これはね おれの爺さんが付けたんだけ どね、ほら真実一路っていう小説があるだろ、あれから持ってきて、 ただ実だけは外して、それはおまえが自分の人生で獲得しなって意味なんだよ』。 Sさん その時の坂○クンの反応が面白かったんですよ、私は今でも それを思い起こすと面白くてしょうがないんですよ、坂○はこう言ったんですよ、 『あっ、俺 初めから付いている』ってね。 ( 坂○は 坂○ 実(ミノル)という名前 )。 どうですおもしろいでしょ。

 

Sさんは一応面白がってくれましたが、「ところで秋篠宮妃は何ていう本名だったかな ・・・・」といって次の話をしてくれました。 皇太子妃 雅子さんと紀子さんとのナマエの相関関係です。 ひらがなで皇太子妃 雅子様(おわだまさこ)と秋篠宮 紀子様(かわしまきこ)の名前を並べて書き、  一字おきに上段、下段と読んでいくと、上段、下段を交互に読んだにも関わらず、お二人のお名前になります。

初めて聞いた私はご両人のその不思議な縁に驚愕しました。(この話は巷間かなり流布しており 知っている人は少なからずいます・・・・私は知らなかったのでビックリ )

 

私にもそんな相関関係を持っている人はいるかな、と後日 机上でいろいろ シミュレーションしてたら、いましたよ 渋い俳優で「梨本謙次郎」さんて方がいます。 私の(ハシモト シンタロウ)と突き合せたら、上記の相関関係になりました。 これも何かの縁ですかねぇ。

 

おっと名前がばれました、このブログ 覆面ライターで行こうと思ってたのに。

2014年10月4日

尾張町老舗交流館 管理人です。はじめまして

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管理人ブログ開始します。

尾張町老舗交流館のホームページも新しくなり、 この際管理人のブログも載せようということになりました。 さぁ弱ったのは私(管理人)です。さして文才もあるわけでないし、 また、管理人ブログというわけですから、ここ老舗交流館での 出来事を中心として書なきゃいけない、だからここ老舗交流館での トピック的なものを常に把握していなけりゃいけない、ていうか トピック的なものの発生、出現を期待し続けなければいけない、 というわけです。  そしてさらに、尾張町老舗交流館という半ば公的な施設ですから そこでの管理人ブログはその管理人の個人的・私的なオピニオンは ダメで、あたりさわりのない話題の提供、偏することなき意見の 提供にとどまるべき、との制約が頭をかすめます。なるべくそうであるように努めますが、たまには脱線するかも しれません。どうぞ宜しくお願い致します。

2014年9月22日

快晴

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9月20日(土)に当館で屋敷先生の歴史公演が行われました。
沢山の方にお越し頂き大変感謝いたしております。
来月も第二回を予定しておりますので、お時間のある方は是非ご応募下さい。

2014年9月22日

管理人ブログ開始のお知らせ☆

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このリニューアルされたホームページより管理人のブログも載せることとなりました。たまには覗いてみて下さい。

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