2014年10月17日
「尾山神社」
卯辰八幡宮から尾山神社への、利家公ご神体の遷宮祝いの行列絵巻(明治6年)
今年の9月初旬のこと。 最近よく来館するIさんが、当館のかつての、メガネ屋さん時代のショーウインドウ木枠に 張り付けてある絵巻物に見入っており、私はこれは参勤交代の行列ではなく、明治6年の尾山神社の創建 なったことによる、卯辰八幡宮から尾山神社への、前田利家公ご神体の遷宮を祝った行列である、などど説明した。 (この絵巻物は尾張町きってのジェントルマンのМさん宅から発見された絵巻物のコピー) これで、Iさん、「金沢の歴史語り熱」に火が点いた。
私が建物内のセドへ別のお客様をご案内しているときにIさん、 大阪から来られた金沢の歴史に興味津々の男性に熱弁を振るっていた。
「金沢城は歴史上何度も大火に遭っており・・・・・かつて金谷出丸(御殿)と玉泉院丸 を結んだ鼠多門も火事で焼失し・・・・その金谷出丸の跡地には尾山神社が建ったんです・・・」と 得意の金沢の歴史にまつわるうんちくを傾けていた。
実はこのIさん 私の中学(紫錦台中)時代の同級生である。当館のほんの近く(歩いて2~3分の距離) 近江町で仕事をされており、この6月頃からご来館頂いている。 6月頃、偶然当館に来られた。別に示し合わせて来ていただいたワケではない。 このIさんとは中学時代同じクラスになったことはないし、それに私は中学2年からの転校生であったため Iさんの小学校時代など、勿論のこと知っているわけではなかった。だから紫錦台中学時代、殆ど彼と話したことはない。 ただ、彼は学校一の、抜群のユーモアを誇る人気者であった。ユーモア志向であった私はいつも彼にあやかりたい、と思って いたものである。また彼は学校を代表する応援団リーダーでもあった。
この日、「尾山神社」を語る彼の顔から、私はかつての中学時代に引き戻されていた。 紫錦台中には「花咲かじいさん」の替え歌の応援歌(尾山神社)がある。 (♪ うらのはたけでポチが鳴く 正直じいさん掘ったれば 大判小判がざ~っくざ~くざっくざく♪」というアレである。) この替え歌の応援歌を、Iさん、なにかにつけ全校生徒の前でよく唱和指導した。
まず 「尾山じんじゃ~!!!」と一声 「がなって」
「♪ お~やまじんじゃの神主が おみくじひいて申すには こぉ~としぃのぉ しぃちゅうぅう~(紫中)は 勝~つ 勝~つ 勝ぁつ 勝つ ! ♪ 」 という具合に。
こんにち、金沢の歴史を語るIさんのいぶし銀の顔と、中学時代の、応援歌を指導するIさんのキトキト顔が 「尾山神社」を介して一つに重なった。