2019年6月16日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 浪漫の作家 泉 鏡花」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第2回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 浪漫の作家 泉 鏡花」と題した講演会は令和1年6月15日(土) 穴倉 玉日 さん (泉鏡花記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
講演を聴き終えて、穴倉さんのあまりに濃密な鏡花のご紹介は、我々聴衆の心をとらえて離さず、我々の心の中を「鏡花」の世界を以て、たっぷりと浸して下さったことを感じました。
鏡花愛読の方々ならいざ知らず、鏡花に”あまり”、あるいは”まったく”接してない人にとり、本日の穴倉さんの講演のいかに有益であったことか・・・参加者の皆の表情からその満足感、充実感がうかがい知れたことでした。
講演後の質問コーナーで ある方がこんな質問をされました。
「 先生はなぜ鏡花を択ばれたのですか。その理由を教えてください 」
これに対する穴倉さんの回答が、本日の「鏡花」講演のエッセンスのすべてを言い表していました。
穴倉さんは こうおっしゃたのです。
「 私はもともと読書に教訓( 訓示めいたもの、人生の道徳的な、あるいは指針的なもの・・・という意味でしょうか )めいたものを求めてはいないのです。 鏡花作品は私を未知な世界( 異界とでもいうのでしょうか )へと連れて行ってくれるからです。そこに魅力を感じました。 」
( 筆者の聞き違い、あるいは記憶違い がなければこういうことをおっしゃたのです )
この穴倉さんの言葉に、泉鏡花文学の魅力が端的に言い表されているのでしょうね。 鏡花文学は、エンターテインメントの極致なのでしょうね。
穴倉さんは、鏡花作品の中から「義血侠血」、「照葉狂言」、「化鳥」、「由縁の女」の抄録部分を収めたレジュメを用いられて、それらの各作品に即して、鏡花の世界を私たちに伝えて下さいました。
いずれも金沢ゆかりの作品群です。
したがって
穴倉さんによる、鏡花ワールドのナビゲートにより、私たちも、鏡花作品の足跡を金沢の「まちなか」に辿ることができることを知りました。
戦災に遭ってない金沢は、名所旧跡、伝統工芸・芸能ばかりでなく、文学探訪の宝庫でもあることに 気づかされた1時間半でした。
先にも述べましたけど、講演後の質問コーナーこんな質問もありました。
「 先生の、一番好きな作品は何ですか ? 」の問いに
「 一番好き というのは言うに難しいのですけど、一番の最高傑作はと問われると、それは 『春昼/春昼後刻』ですね・・・・」とおっしゃいました。
鏡花作品を殆ど読んでない私(筆者)が、きのうから手に取って読み始めたのが、まさにこの「春昼/春昼後刻」でした。
何か不可思議な力によって鏡花世界にいざなわれている気がして ちょっとぞくっとさせられました。
本日、穴倉さんは、私たちにとっての、 まさに「鏡花文学」の宣教師、伝道師でありました。
有難うございました。心から御礼申し上げます。
次回は、7月20日(土)「 遠藤・輝・炎鵬 」( 講師:元西南部中 相撲部顧問の西塔 先生 ) です。
郷土が生んだ、大相撲界人気の看板三力士・遠藤、輝、炎鵬の、中学生時代の興味あるお話が聞けます。
相撲ファンはもちろんのこと、相撲ファンならずとも是非聞きたいですよね。
お楽しみに !!!
2019年5月22日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第1回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」と題した講演会は令和1年5月18日(土) 鳥居 貞利 さん (花嫁のれん館 館長)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
平成28年4月にオープンした「花嫁のれん館」は、七尾の一本杉通りと小丸山城址公園を結ぶ場所にあり、 花嫁のれんをはじめとする、能登に伝わる婚礼文化の見学や体験ができる施設として、 また、憩いと交流の場として、多くの観光客、市民を惹きつけています。
本日は、この「花嫁のれん館」の館長を務められている鳥居貞利さんに、ここにいたるまでの苦労話、成功談の 数々を伺いました。
昨今の、七尾駅周辺の商業施設についての芳しくない話題があるなか、本日の鳥居さんのお話は、そういった 暗さを吹き飛ばす、希望に満ち満ちた明るいお話でした 。
もともと七尾は8世紀初めに「能登の国」の「国府」が設けられたり、15世紀初めには、守護の畠山氏が七尾城 を築いたりと、石川県では一番古くから繁栄していた地域ですものね。往時の繁栄ぶりを取り戻して欲しいものです。 そういう意味でも、本日の鳥居さんの講演は聞いていてたのもしく、嬉しくもなるお話でした。
カジュアルないでたちで、それでいてダンディーな鳥居さんは、パワーポイント操作のアシストのために来られた、チャーミングな美人の スタッフの方(赤尾さん)と一緒にご登場となり、かっこよい風貌のままに、講演もとてもかっこよく、味のある話しぶりを展開されました。
本日のテーマは「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」というものです。
(「花嫁のれん」の風習は、石川県を中心に北陸地方各地で見られるというものの、加賀藩の範囲の地域に限られ、支藩の 富山藩、大聖寺藩の地域には見られない、また、奥能登にも見られない、ということです。)
まちづくりのための、数々の取り組みの履歴を細かに話して頂きました。
以下にそのエポックメイキングな出来事、取り組み、成果を記しますと、
昭和50年、季刊誌「銀河」で千代(せんだい)芳子さんが「花嫁のれん」という表現をされました。
そして
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)創刊の森まゆみ さんの、「一本杉通りが能登の先頭を走るべき」との叱咤があり、
また
フリージャーナリストの佐々木和子さんとの交流もきっかけとなり、一本杉通りのおかみさん達(5名:ろうそく屋、こんぶ屋、仏壇屋、しょうゆ屋、陶器屋の各おかみさん達) が「花嫁のれん」を飾ってはどうかと提案し、平成16年に「花嫁のれん展」第一回目の開催の運びとなりました。 これが人気を博し、花嫁のれんの常設展示館としての「花嫁のれん館」開設につながりました。
さらには
「花嫁のれん」にまつわる話をする語り部処を一本杉通りに何ヶ所か設けました。 今では、各商店作製のオリジナル商品を館内のショップで販売するまでになっています。
さらに
「JTB交流文化賞最優秀賞」、「ティファニー財団賞伝統文化大賞」、「石川テレビ賞(オーゴットの会)」を受賞し、高い評価を得るまでになりました。
さらには
テレビドラマ「花嫁のれん」が制作・放映され「花嫁のれん」が広く認知され、「花嫁のれん号」の電車、バスも走るという運びとなりました。
「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」につての鳥居さんのお話をかいつまんで紹介いたしますと以上のごとくです。
人脈の広い鳥居さんは、あのフォークシンガー「小室 等」さんとも親交があり、小室さんに「花嫁のれん」の歌を作曲してもらい、CDも発売されています。 (「六文銭」が歌っているそうです。)
みなさん、いかがでしたか? 七尾に行って、一本杉通りに行き、七尾の歴史・文化に浸りたくなりましたよね。
そして「花嫁のれん館」に行って、その色鮮やかさを鑑賞し、「花嫁のれんくぐり」体験はいかがですか。
次回は、6月15日(土)「 浪漫の作家 泉鏡花 」(講師:泉鏡花記念館 学芸員 穴倉 玉日 さん) です。
お楽しみに !!!
2019年5月10日
石川県の、明治~大正期の、洋風建築写真展
2019年5月8日
尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」のお知らせ
お申し込みはこちらからお願い致します。
2019年3月17日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第10回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」と題した講演会は平成31年3月16日(土) 桃太郎(仲乃家) 氏 (金沢主計町 芸妓さん)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
いよいよ待ちに待った主計町一番人気の芸妓さんである桃太郎さんのご登場です。
お座敷体験のまったく無い私(筆者)は、「芸妓さんの世界」はテレビ、本などを通じて少し 知るのみで、まったくの遠い存在でした。 本日の講演会参加者の方々の多くも私同様だったと思います。
さて そんな私たちに、本日の講師「桃太郎」さんは、金沢芸妓の世界、金沢の誇る三茶屋街の世界を ぐっと引き寄せてくれました。
主計町・桃太郎さんがご登壇になったわけですが、あくまでも講演会でのことなので、お座敷では ありませんから桃太郎さんの踊り、お囃子などの芸が見聞きできたわけではありません。
しかし、桃太郎さんは本日、お座敷に出るときそのままのいでたちでご登壇となったので、 その あでやかさ、雅やかさ、粋で凛とした立ち居振る舞い、まさに名花と呼ぶにふさわしいお姿で 講演されたものですから、参加者(男の方、女の方)みなうっとりとして、桃太郎さんの 語られる金沢芸妓、茶屋街の世界のさまざまを、夢見心地で聞きました。
金沢芸妓の芸の種類、金沢芸妓という職業の内容、お茶屋さんのシステム、三茶屋街のそれぞれの特徴、等々を、時おりユーモアをまじえながら分かりやすく語っていただきました。
具体的には、芸妓さんの、とある一日を例に出して頂き、芸妓さんの日々の生活の一端を 紹介され、また、時代の流れを汲みとった新しいやり方(バスツアーでの観光案内、銀座の金沢アンテナショップでの つとめ、安価に参加できる「金沢芸妓の舞」、そしてすでに恒例となった「金沢おどり」などの取り組み)を 案内して頂きました。
また、桃太郎さんご自身の自分史的紹介もしていただき、桃太郎さんという存在が皆の中で すごく身近なものになったことでした。
桃太郎さんは「・・・芸の習得には終わりは無いんです。一生お稽古です・・・」といった芸妓修行の厳しさをも語られました。
美しくて、あでやかで、優雅で、それでいて、粋で凛々しくて、そして知的な桃太郎さん。
芸妓としての、日々のお稽古・修行によって培われた技芸、及び教養が芯に備わった桃太郎さんだからこそ その名花ぶりが いっそう輝いて見えるのでしょうね。
講演終了後、桃太郎さん、ご自分の「千社札(花名刺)」を参加者全員に配られていましたが、その際の しなのある所作、振る舞いの優雅さに またまた見とれてしまったものです。
これから主計町を歩くときは、桃太郎さんに会えずとも(会えたらなお良いのですが)今までより よりいっそうの 艶っぽさを感じられるのではないでしょうか。
桃太郎さん、これからも金沢の芸妓界を どうぞ牽引してください。
そして金沢の名花としてずっと末永くご活躍ください。
本日は有難うございました。
平成30年度(平成30年4月~31年3月)の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」はこれにて終了いたしました。
平成31年度の講演会企画につきましては、近日中ににチラシを発行し、及び当ホームページにてもお伝えいたします。
お楽しみにお待ちいただきたく存じます。
2019年3月7日
金沢城下の各時代地図展
江戸期から平成までの各時代の、金沢城下の市街図を展示してあります。
ガラスケースの中の地図は、係員にお申し出頂ければ、手にとってご覧頂けます。
展示地図は、「安政元年」、「明治3年」、「大正8年」、「大正8年(金沢市街電車路線図)」、「大正12年」、「昭和4年」、「昭和14年」、「昭和19年」、「昭和28年」、「平成27年」の各時代のものです。
この中の「昭和14年」のものは、職業別住所入地図と職業別明細図の2枚からなっています。
昭和30年代前半・昭和56年の、対比する形の「尾張町住宅地図」も展示してあります。また、文化8年(1811年)の「金沢町絵図」(製本版)もご覧頂けます。
展示期間は、平成31年3月8日(金) ~ 5月9日(木)まで。
2019年2月17日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 伝統を受け継ぐとは」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第9回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 伝統を受け継ぐとは 」と題した講演会は平成31年2月16日(土) 田中 瑛子 氏 (山中漆器 木地師)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
輪島塗、金沢漆器と並び称される山中漆器。
その中の「山中木地挽物」は石川県指定無形文化財になっています。
漆器の材料となる木を削り出し、美しいフォルムをこの世に生み出す若手木地師として
活躍されているのが田中さんです。
山中独自の木地挽物技術に魅せられ、愛知からここ石川の山中までやって来られました。
木地師としてだけではなく漆塗り工程までこなす作家さんとしても活躍されている田中さん。
そんな田中さんに、山中漆器の成立ち、歴史、山中漆器の特色、製造工程、そして
田中さんの作家として目指す方向、芸術観、人生観を存分に語って頂きました。
田中さんのお話は、そのすべてが活き活きしていて、そして聞いているこちら側は ワクワクの連続でした。
木地師としての技術習得におけるご苦労、愛知から石川・山中へ生活拠点を移されたことによるご苦労、木地師として 独り立ちするにあたってのご苦労、女性であるがゆえのご苦労、そういうものはいっぱいあったでしょうに、この山中漆器を作り出す喜びにかき消されてか そんな苦労は微塵も感じさせない田中さんのお話ぶりでした。
田中さんの講演の特徴として以下のことを上げなければなりません。
それは説明の端々で、田中さんの闊達でおおらかな笑顔が見られたこと。 それも力強い、ささいな困難などはあっというまに吹き飛ばしてしまいそうな笑い声 をともなってのもの。
聞いているものは、田中さんのこのような明るく、ポジティブな話の運びにより、山中漆器の魅力、田中瑛子ワールドの魅力に とっぷりはまったことでした。
本日は、加賀市大聖寺の趣のある町屋でカフェ&工芸ギャラリーをやられている山根さんもお見えになっていただいて 講演をいろいろとサポートしていただきました。有難うございました。 ( FUZON KAGA Gallery and Bar と FUZON KAGA Cafe and Studio の2軒。 山根さんはここのマスターであり、バリスタ、パティシエ、アートディレクターの何役もこなされています。ここで田中瑛子さんの作品に出会える わけです。山根さんと田中さんのこのようなコラボがますますうまく行き、さらに発展されることを祈念します。 )
田中さんの講演を聞き終えて思ったこと、持参された田中さんの作品を 拝見して思ったことは・・・・ああ、この人は神様ともコラボしているんだろうな っていうこと。
自然が綾なした樹木(神がつくりたもうた樹木)を削り出し、磨き上げて生み出された田中さんの作品・・・手触り心地よく、 優美でチャーミングな田中さんの作品。(田中さんの優美さ、チャーミングさがそのまま具現されたような作品。)
抽象のものから具象の、アートをまとったカタチを現出させる・・・まさに神とのコラボではないでしょうか。
きっと田中さんの手も神の手なのでしょうね。
田中さんがかつてニューヨークで合同展を行ったとき、ニューヨークの人から「これ・・・見たことある」とか 「あなたはどういうカタチを作りかったの・・・」などとの感想をぶつけられ、田中さんは「私らしさがなかった」と 思ったそうです。工芸品は日用品であり、職人仕事は均一性が求められるのが通常とのことですが、 田中さんは、”私らしさ” の実現のために既成概念を破って、ご自分の個性を前面に出そう、とされたそうです。
職人でもあり、アーティストでもありたい、という思いなのですね。
歴史と伝統の重み、深みのある山中漆器ですが、近年は衰退の懸念があるとのこと。
田中さんのような方の活躍で、新しい作品を世に問い、山中漆器の新しい世界を切り拓き、後進の 絶えることなき状況を作り出して頂く事を切望します。
素材として田中さんは、「栃の木」をよく使われるそうです。 栃の木は木肌が白地で無垢なため(作家の)個性が出しやすいそうです。
当館に、2~3年前の秋ごろだったか、妙齢の女性が入ってこられて、
「 山中漆器をやりたくて石川にやってきました。今は金沢にいますけど、近々 山中に移ります 」と固い決意を述べられました。 「今日はこれからバイトに行くんで・・・」と短い時間で当館を後にされました。
田中さんに本日お会いして、この女性のことを思い出しました。
彼女も今頃は山中で木地師か塗師になってるのだろうか・・・。
そう言えば、この女性は「栃木から来ました」と言ってました。
純粋で無垢そうな方でした。
今回の講演会報告、最後は「栃の木」つながりで締めさせて頂きます。
以下は、本日お持ちいただいた田中さんの作品。
次回は、3月16日(土)「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」(講師:金沢主計町 芸妓さん 中乃家 桃太郎 さん) です。
主計町一番の人気芸妓である桃太郎さんが、どんな金沢論、芸妓論を語られるか、
とてもわくわくしますね、待ち遠しいですね !!!
2019年1月20日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 五木寛之と金沢 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第8回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 五木寛之と金沢 」と題した講演会は1月19日(土) 小西 護 氏 (金沢文芸館 館長)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
五木寛之さんが、金沢とゆかりがあることはたいていの人はご存知のことでしょう。 でも、その知識はかなり曖昧なものではないでしょうか。 そして機会あれば、その辺のところを詳しく知りたいと思っている人は多くいるのではないでしょうか。
同じ尾張町にある金沢文芸館の2階は「五木寛之文庫」となっています。
その館長の小西さんに、「五木寛之と金沢」というテーマで、五木さんと 金沢のゆかり、そして五木寛之文学、につきたっぷりと語っていただきました。
年譜的には早稲田大学時代のこと、テレビ、雑誌、レコード会社での仕事を断ち切って東京を離れ、小説家としての スタートを切った金沢時代のこと、龍谷大学で仏教を学び、親鸞、蓮如を書いた時代のこと、等々。
五木氏と金沢との出逢いの妙、関わり合いの深さ、五木氏から金沢が授かったもの、等々 本日の 演題である「 五木寛之と金沢 」の核心なる部分の説明が展開されました。
早稲田大学露文での学生生活において奥様の玲子さんとのご縁が得られ、小説家としての胚胎の時期を 金沢で過ごされたこと、義父である岡良一氏が創設した岡文化賞にて受賞者である中学生に対して 述べた味のある話、泉鏡花文学賞、泉鏡花記念金沢市民文学賞の設立に関わられたこと、金沢を題材に取った いくつかの小説( ことに「朱鷺の墓」については詳しく述べて頂きました。)等々 五木氏と金沢との関わり、交わり、 間柄を、小西さん 滔々と語られました。
五木氏の近時の作 「 下山の思想 」の紹介では、五木氏の壮大な、そして膨大な人生経験の、集大成的な人生観、 世界観を語って頂きました。
参加者一同、五木寛之さんに関し大いに知識欲が満たされ、また、五木さんの目を通しての金沢観、金沢像というものも 伺ったことによって、地元民でありながら、金沢の新しい見かた、感じ取り方、の啓蒙を受けた講演でした。
私(筆者)におきましては、断片的だった五木寛之像が、ある定まった複数の焦点のもとに、いくつかの まとまりを伴って複数の括りに収斂してゆくのが感じられました。
さぁ さっそく
書店で、図書館で、五木さんの本を手に取って読みたい、家の書棚に眠っている(かつて読んだ)五木さんの 本を再び手にしたい、2階が「五木寛之文庫 」となっている金沢文芸館に行って五木文学を語りたい、 本日の講師の小西館長に直接会って いろいろとまたご教示を受けたい、などなど 心が熱くなった方も 多かったのではないでしょうか。
次回は、2月16日(土)「伝統を受け継ぐとは 」(講師:山中漆器 木地師 田中 瑛子さん) です。
輪島塗、金沢漆器と並び称される山中漆器。
その中の「山中木地挽物」は石川県指定無形文化財になっています。
漆器の材料となる木を削り出し、美しいフォルムをこの世に生み出す若手木地師として
活躍されているのが田中さんです。
漆塗り工程までこなす作家さんとしても活躍されている田中さん。
どんな苦労話、成功談、人生観、芸術観を語っていただけるか 楽しみですね !!!
2018年12月16日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第7回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」と題した講演会は12月15日(土) 加納 嘉津政 氏 (石川郷土史学会 常任幹事)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
加納先生は、石川県の高校において、長らく歴史教育に携わって来られた方でであり、そして現在も石川郷土史学会の常任幹事として、歴史研究を続けられ、その成果を史学会においてつど発表されております。
また、石川県生涯学習センター、石川県民大学校等にて歴史に関する講義・講演をなされ県民、市民への啓蒙に努められています。
歴史研究にますます円熟味がかかった加納先生に、本日は表題の講演をお願いした次第です。
加納先生には約2年ほど前から当館によくお越しいただいています。 そのたびに先生から歴史、ことに加賀藩にまつわる話を中心とした歴史の話を お聞かせいただいており、しみじみと役得感を味わっているのですが、 約1年頃前、先生に「何か金沢の、昔の武士の様子や金沢の町の様子を 講演会で語ってもらえませんか」、などと(先生があちこちで歴史の講演をなさっているということを伺っていたので)お願いしたことがありました。
そんないきさつもあって本日のテーマの「金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格」 という講演が実現した次第です。
前田氏以前からの尾山八町、有力各町の家柄町人、代表的な町の名前の由来、を さらっと述べられ、それから藩士の家格を(室町時代からの守護大名の家格 ― 「管領」、 「四職」にまでにさかのぼり)かなり詳細に説明されました。
特に加賀藩士の家格の項にあっては、八家、人持組についてはそれぞれの始祖についての いろんなエピソードや事件をまじえて興味深い説明をされました。
本日のテーマがかなり網羅的なものであったためか、1時間半の限られた講演時間の中では 深く掘り下げたお話は、先生 どうも なさり難かったようにお見受けいたしました。
ただ、八家や人持組のエピソードめいた話を語られるときには、先生独特の、「知識の泉」から 滾々と知識が湧き出ずるがごとき側面が伺え、先生の歴史学の奥深さを 皆 感じ取ったことでしょう。
次は、狭めた範囲のテーマでの「加納節」を皆さん聞いてみたくありませんか。
次回は、来年1月19日(土)「五木寛之と金沢 」(講師:金沢文芸館館長 小西 護さん) です。
あの五木寛之さんが、金沢とゆかりがあることはたいていの人は知っていることでしょう。
しかし、皆さん その知識はかなり曖昧なものではないでしょうか。
そして機会あれば、その辺のところを詳しく知りたいと思っている人は多くいることと思われます。
同じ尾張町にある金沢文芸館の2階は「五木寛之文庫」となっています。
その館長の小西さんに、「五木寛之と金沢」をたっぷりと語って頂きます。
2018年12月8日
双六その他昔の玩具展
ここで言う「双六」とは、「絵双六」を指します。
(他に「盤双六」というのがありますが今回の展示は「絵双六」です。)
サイコロを振り、出た目に従ってマスから駒を進め、上がりを目指すゲームです。
仏教で説く十界の世界観に基づき構成された「浄土双六」が室町期に成立しました。
江戸時代に入り庶民層に普及し、「道中双六」や「出世双六」が生み出されました。
「道中双六」は庶民の旅への関心を高め、「出世双六」は人生の栄達を主題とするので
、新春のめでたい時期の遊びとして好まれました。
江戸後期になり、錦絵に代表される木版多色摺りの技術が確立すると、人気浮世絵師の
手になるものが多く生み出され、「絵双六」は一層華やかさを増しました。
合わせて「独楽」、「ビー玉」、「おはじき」、「けん玉」、金沢独特の「旗源平」
などの昔の玩具も展示しましたので、お手にとってご覧ください。
展示期間は平成30年12月8日(土)から平成31年3月7日(木)まで。
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