2019年2月17日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 伝統を受け継ぐとは」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第9回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 伝統を受け継ぐとは 」と題した講演会は平成31年2月16日(土) 田中 瑛子 氏 (山中漆器 木地師)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
輪島塗、金沢漆器と並び称される山中漆器。
その中の「山中木地挽物」は石川県指定無形文化財になっています。
漆器の材料となる木を削り出し、美しいフォルムをこの世に生み出す若手木地師として
活躍されているのが田中さんです。
山中独自の木地挽物技術に魅せられ、愛知からここ石川の山中までやって来られました。
木地師としてだけではなく漆塗り工程までこなす作家さんとしても活躍されている田中さん。
そんな田中さんに、山中漆器の成立ち、歴史、山中漆器の特色、製造工程、そして
田中さんの作家として目指す方向、芸術観、人生観を存分に語って頂きました。
田中さんのお話は、そのすべてが活き活きしていて、そして聞いているこちら側は ワクワクの連続でした。
木地師としての技術習得におけるご苦労、愛知から石川・山中へ生活拠点を移されたことによるご苦労、木地師として 独り立ちするにあたってのご苦労、女性であるがゆえのご苦労、そういうものはいっぱいあったでしょうに、この山中漆器を作り出す喜びにかき消されてか そんな苦労は微塵も感じさせない田中さんのお話ぶりでした。
田中さんの講演の特徴として以下のことを上げなければなりません。
それは説明の端々で、田中さんの闊達でおおらかな笑顔が見られたこと。 それも力強い、ささいな困難などはあっというまに吹き飛ばしてしまいそうな笑い声 をともなってのもの。
聞いているものは、田中さんのこのような明るく、ポジティブな話の運びにより、山中漆器の魅力、田中瑛子ワールドの魅力に とっぷりはまったことでした。
本日は、加賀市大聖寺の趣のある町屋でカフェ&工芸ギャラリーをやられている山根さんもお見えになっていただいて 講演をいろいろとサポートしていただきました。有難うございました。 ( FUZON KAGA Gallery and Bar と FUZON KAGA Cafe and Studio の2軒。 山根さんはここのマスターであり、バリスタ、パティシエ、アートディレクターの何役もこなされています。ここで田中瑛子さんの作品に出会える わけです。山根さんと田中さんのこのようなコラボがますますうまく行き、さらに発展されることを祈念します。 )
田中さんの講演を聞き終えて思ったこと、持参された田中さんの作品を 拝見して思ったことは・・・・ああ、この人は神様ともコラボしているんだろうな っていうこと。
自然が綾なした樹木(神がつくりたもうた樹木)を削り出し、磨き上げて生み出された田中さんの作品・・・手触り心地よく、 優美でチャーミングな田中さんの作品。(田中さんの優美さ、チャーミングさがそのまま具現されたような作品。)
抽象のものから具象の、アートをまとったカタチを現出させる・・・まさに神とのコラボではないでしょうか。
きっと田中さんの手も神の手なのでしょうね。
田中さんがかつてニューヨークで合同展を行ったとき、ニューヨークの人から「これ・・・見たことある」とか 「あなたはどういうカタチを作りかったの・・・」などとの感想をぶつけられ、田中さんは「私らしさがなかった」と 思ったそうです。工芸品は日用品であり、職人仕事は均一性が求められるのが通常とのことですが、 田中さんは、”私らしさ” の実現のために既成概念を破って、ご自分の個性を前面に出そう、とされたそうです。
職人でもあり、アーティストでもありたい、という思いなのですね。
歴史と伝統の重み、深みのある山中漆器ですが、近年は衰退の懸念があるとのこと。
田中さんのような方の活躍で、新しい作品を世に問い、山中漆器の新しい世界を切り拓き、後進の 絶えることなき状況を作り出して頂く事を切望します。
素材として田中さんは、「栃の木」をよく使われるそうです。 栃の木は木肌が白地で無垢なため(作家の)個性が出しやすいそうです。
当館に、2~3年前の秋ごろだったか、妙齢の女性が入ってこられて、
「 山中漆器をやりたくて石川にやってきました。今は金沢にいますけど、近々 山中に移ります 」と固い決意を述べられました。 「今日はこれからバイトに行くんで・・・」と短い時間で当館を後にされました。
田中さんに本日お会いして、この女性のことを思い出しました。
彼女も今頃は山中で木地師か塗師になってるのだろうか・・・。
そう言えば、この女性は「栃木から来ました」と言ってました。
純粋で無垢そうな方でした。
今回の講演会報告、最後は「栃の木」つながりで締めさせて頂きます。
以下は、本日お持ちいただいた田中さんの作品。
次回は、3月16日(土)「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」(講師:金沢主計町 芸妓さん 中乃家 桃太郎 さん) です。
主計町一番の人気芸妓である桃太郎さんが、どんな金沢論、芸妓論を語られるか、
とてもわくわくしますね、待ち遠しいですね !!!
2019年1月20日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 五木寛之と金沢 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第8回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 五木寛之と金沢 」と題した講演会は1月19日(土) 小西 護 氏 (金沢文芸館 館長)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
五木寛之さんが、金沢とゆかりがあることはたいていの人はご存知のことでしょう。 でも、その知識はかなり曖昧なものではないでしょうか。 そして機会あれば、その辺のところを詳しく知りたいと思っている人は多くいるのではないでしょうか。
同じ尾張町にある金沢文芸館の2階は「五木寛之文庫」となっています。
その館長の小西さんに、「五木寛之と金沢」というテーマで、五木さんと 金沢のゆかり、そして五木寛之文学、につきたっぷりと語っていただきました。
年譜的には早稲田大学時代のこと、テレビ、雑誌、レコード会社での仕事を断ち切って東京を離れ、小説家としての スタートを切った金沢時代のこと、龍谷大学で仏教を学び、親鸞、蓮如を書いた時代のこと、等々。
五木氏と金沢との出逢いの妙、関わり合いの深さ、五木氏から金沢が授かったもの、等々 本日の 演題である「 五木寛之と金沢 」の核心なる部分の説明が展開されました。
早稲田大学露文での学生生活において奥様の玲子さんとのご縁が得られ、小説家としての胚胎の時期を 金沢で過ごされたこと、義父である岡良一氏が創設した岡文化賞にて受賞者である中学生に対して 述べた味のある話、泉鏡花文学賞、泉鏡花記念金沢市民文学賞の設立に関わられたこと、金沢を題材に取った いくつかの小説( ことに「朱鷺の墓」については詳しく述べて頂きました。)等々 五木氏と金沢との関わり、交わり、 間柄を、小西さん 滔々と語られました。
五木氏の近時の作 「 下山の思想 」の紹介では、五木氏の壮大な、そして膨大な人生経験の、集大成的な人生観、 世界観を語って頂きました。
参加者一同、五木寛之さんに関し大いに知識欲が満たされ、また、五木さんの目を通しての金沢観、金沢像というものも 伺ったことによって、地元民でありながら、金沢の新しい見かた、感じ取り方、の啓蒙を受けた講演でした。
私(筆者)におきましては、断片的だった五木寛之像が、ある定まった複数の焦点のもとに、いくつかの まとまりを伴って複数の括りに収斂してゆくのが感じられました。
さぁ さっそく
書店で、図書館で、五木さんの本を手に取って読みたい、家の書棚に眠っている(かつて読んだ)五木さんの 本を再び手にしたい、2階が「五木寛之文庫 」となっている金沢文芸館に行って五木文学を語りたい、 本日の講師の小西館長に直接会って いろいろとまたご教示を受けたい、などなど 心が熱くなった方も 多かったのではないでしょうか。
次回は、2月16日(土)「伝統を受け継ぐとは 」(講師:山中漆器 木地師 田中 瑛子さん) です。
輪島塗、金沢漆器と並び称される山中漆器。
その中の「山中木地挽物」は石川県指定無形文化財になっています。
漆器の材料となる木を削り出し、美しいフォルムをこの世に生み出す若手木地師として
活躍されているのが田中さんです。
漆塗り工程までこなす作家さんとしても活躍されている田中さん。
どんな苦労話、成功談、人生観、芸術観を語っていただけるか 楽しみですね !!!
2018年12月16日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第7回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」と題した講演会は12月15日(土) 加納 嘉津政 氏 (石川郷土史学会 常任幹事)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
加納先生は、石川県の高校において、長らく歴史教育に携わって来られた方でであり、そして現在も石川郷土史学会の常任幹事として、歴史研究を続けられ、その成果を史学会においてつど発表されております。
また、石川県生涯学習センター、石川県民大学校等にて歴史に関する講義・講演をなされ県民、市民への啓蒙に努められています。
歴史研究にますます円熟味がかかった加納先生に、本日は表題の講演をお願いした次第です。
加納先生には約2年ほど前から当館によくお越しいただいています。 そのたびに先生から歴史、ことに加賀藩にまつわる話を中心とした歴史の話を お聞かせいただいており、しみじみと役得感を味わっているのですが、 約1年頃前、先生に「何か金沢の、昔の武士の様子や金沢の町の様子を 講演会で語ってもらえませんか」、などと(先生があちこちで歴史の講演をなさっているということを伺っていたので)お願いしたことがありました。
そんないきさつもあって本日のテーマの「金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格」 という講演が実現した次第です。
前田氏以前からの尾山八町、有力各町の家柄町人、代表的な町の名前の由来、を さらっと述べられ、それから藩士の家格を(室町時代からの守護大名の家格 ― 「管領」、 「四職」にまでにさかのぼり)かなり詳細に説明されました。
特に加賀藩士の家格の項にあっては、八家、人持組についてはそれぞれの始祖についての いろんなエピソードや事件をまじえて興味深い説明をされました。
本日のテーマがかなり網羅的なものであったためか、1時間半の限られた講演時間の中では 深く掘り下げたお話は、先生 どうも なさり難かったようにお見受けいたしました。
ただ、八家や人持組のエピソードめいた話を語られるときには、先生独特の、「知識の泉」から 滾々と知識が湧き出ずるがごとき側面が伺え、先生の歴史学の奥深さを 皆 感じ取ったことでしょう。
次は、狭めた範囲のテーマでの「加納節」を皆さん聞いてみたくありませんか。
次回は、来年1月19日(土)「五木寛之と金沢 」(講師:金沢文芸館館長 小西 護さん) です。
あの五木寛之さんが、金沢とゆかりがあることはたいていの人は知っていることでしょう。
しかし、皆さん その知識はかなり曖昧なものではないでしょうか。
そして機会あれば、その辺のところを詳しく知りたいと思っている人は多くいることと思われます。
同じ尾張町にある金沢文芸館の2階は「五木寛之文庫」となっています。
その館長の小西さんに、「五木寛之と金沢」をたっぷりと語って頂きます。
2018年12月8日
双六その他昔の玩具展
ここで言う「双六」とは、「絵双六」を指します。
(他に「盤双六」というのがありますが今回の展示は「絵双六」です。)
サイコロを振り、出た目に従ってマスから駒を進め、上がりを目指すゲームです。
仏教で説く十界の世界観に基づき構成された「浄土双六」が室町期に成立しました。
江戸時代に入り庶民層に普及し、「道中双六」や「出世双六」が生み出されました。
「道中双六」は庶民の旅への関心を高め、「出世双六」は人生の栄達を主題とするので
、新春のめでたい時期の遊びとして好まれました。
江戸後期になり、錦絵に代表される木版多色摺りの技術が確立すると、人気浮世絵師の
手になるものが多く生み出され、「絵双六」は一層華やかさを増しました。
合わせて「独楽」、「ビー玉」、「おはじき」、「けん玉」、金沢独特の「旗源平」
などの昔の玩具も展示しましたので、お手にとってご覧ください。
展示期間は平成30年12月8日(土)から平成31年3月7日(木)まで。
2018年11月18日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 北前船と全国市場 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第6回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「 北前船と全国市場 」~ 北前船がもたらした加賀藩、石川県への貢献及び経済効果 ~ )と題した講演会は11月17日(土) 安藤 竜 氏 (金沢歴活 代表)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
安藤さんは、昨年9月16日に「江戸時代の近江町市場と尾張町」と題した講演をされ、参加者の皆さんから大好評を博したのが記憶に新しいところです。
安藤さんの主宰する歴史文化コミュニティ・「金沢歴活」のホームページを訪れると このようなテーマが目に飛び込んで来ます。
「歴史を通じて未来の生き方を変える」
「歴史を通じて人・企業・地域を活性化する」
「歴史を知ればなんでもない場所がかけがえのない場所になる」
「歴史と文化は世の中を変える武器になる」
いずれも含蓄に富んだ深い言葉ですね。
こうした歴史観、歴史研究の有用性といったものが安藤さんの講演の底流に流れているのが 伺えるのです。
また、安藤さんの講演は、テーマを語るに際しての、史実の分類、分析に関するその正確・精緻さゆえ、 もはや講義といったほうが良いのかもしれません。
本日の演題の「北前船と全国市場」は安藤さんの歴史知識の、ほんの「ONE OF THEM」といったところでしょうか。
そして、知識を「個別具体的知識」と「幅広く全体を俯瞰する知識」との対応に置き換えさせて頂ければ、( 前者をONEとし 後者をTHEMとすれば )安藤さんの講演には、個別の、全体における位置関係、全体に対する影響度合い、といったものが 常に示されていて、聴衆は迷子にならずに、安心して聞いておられるのです。
だから安藤さんの講演は聴きおわった後、いつも頭の中がすっきりするのです。
本日もそのような展開でした。
今回、提示されたレジュメは、いつもながらの安藤さん一流の分類にかかるもので、分類内容の多岐さ、その簡明さ、 各分類間のつながりの巧みさ、等々の工夫で、我々聴衆の理解を大いに容易にさせてくれました。
殆どの人は、聴きおわって、今回のテーマに関する疑問点がすっきり氷解したことでしょう。
私(筆者)においては、北前船の乗組員達が、単なる荒くれ男達ではなく、航海術をよく心得ていて、計算に明るく、商才に富み、 いわばスーパーエリート達であった、ということが驚きでした。
ああ、だから「北前船主」達が、銀行業、保険業などをたくさん創業したんだなぁ、といった由縁が感慨を伴って分かった次第です。
安藤さんが、益々ビッグになられ、当講演会の講師としてまたご登壇されることを切に希望する次第です。
次回は、12月15日(土)「金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」(講師:石川郷土史学会 常任幹事 加納 嘉津政さん) です。
加納さんは長らく 石川県の高校における歴史教育に携わって来られた方です。
加納先生の、歴史学攻究を通して培われた豊富な知識・人生観が場合によっては表題のテーマを超えて展開するかもしれません。
乞うご期待 !!!
2018年10月24日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第5回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」~ 水戸光圀を育てた本家 広済寺(滋賀県)の武佐 ~ )と題した講演会は10月20日(土) 中田 隆二 氏 (郷土史家)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
「葵御紋を使う金沢広済寺の由緒」というのが本日のメインテーマでした。
金沢市扇町にある真宗大谷派の広済寺の家紋がなぜ「三つ葉葵」なのでしょうか?。
この疑問を解き明かす前に、金沢広済寺の梵鐘に刻まれていた漢文が新発見事実として 出てきます。
各地の寺院で鐘を鳴らすを趣味とする粋人が、あるとき金沢広済寺にやって来て鐘を撞いたところ 鈍い音がしたそうです。そのため住職殿が調べたところ鐘の底にひび割れがあったため、住職殿はこれを高岡の銅器会社に 処分のため売却したそうです。しかし住職殿は、この鐘に刻まれていた漢文の内容が以前から気になっており、 調べる決心をし、さっそく本日の講師の中田先生に鐘に刻まれた漢文の調査を依頼しました。 鐘は処分寸前だったところ、すんでのところで間に合い、本日の講師の中田先生の解読作業に供せられました。
中田先生の解読によると
この鐘には加賀一向一揆の拠点だった「尾山御坊」の由来が記されていました。
1501年、江州広済寺10代厳誓坊祐念の次男の「祐乗坊」が本願寺の実如の命を 受け尾山御坊に長く滞在し、寺院を建て布教した、などど記されているわけです。
金沢広済寺はこの祐乗坊を初代とするわけです。
この鐘に刻まれた文書は一向一揆についての貴重な史料となるわけですが、中田先生、この文書の真偽のほどを 確かめたいという思いに駆られます。
そこで先生は、滋賀 近江八幡にある本家の広済寺に行って本家の歴史を調べることにされました。
そこで分かったのが以下のことです。
本家広済寺の由緒書には、本家広済寺8代住職の岡崎安休(あんきゅう)に関すること、また、家紋の由来が 記されていたそうです。
安休は浅井長政と異母兄弟にあたり、ゆえあって広済寺に入り、僧侶となった。 優れた知恵と軍略を身に付けており、天正年間(1575~1592)の一時期、顕如の命を受けて尾山御坊に派遣 され、僧侶を率い、加賀、越前の門徒を治めた。 打倒信長のため一揆の指揮を執ったわけです。
この安休には「感」と「武佐」という娘がおり、二人とも御三家水戸藩の初代徳川頼房公の乳母としての任を果たしました。 特に武佐は、頼房とその側室の長男(高松藩初代藩主松平頼重公)と次男(水戸藩二代藩主徳川光圀公、俗にいう水戸黄門)の命を守り 育てた養い親だったのです。
安休は武佐の嫁いだ三木家と水戸徳川家を通じて徳川家康と親交を深め、家紋「三つ葉葵」や刀を賜ったことが由緒書に記されている、 とのことでした。 こうして本家広済寺では葵の紋を用いるようになります。のちに重要な儀式では松平頼重公よりいただいた葵御紋の幕を使用したとも伝わります。
このようにして安休が家康公より拝領した葵御紋は金沢広済寺にも受け継がれ、寺紋とするようになったのです。
中田先生のご活躍により、以上の歴史的新事実が明らかになったわけです。
梵鐘の調査、近江の広済寺の史料の調査等々、中田先生の、ロマンある歴史的時空探訪の旅が一つ結実したわけですね。
次回は、11月17日(土)「 北前船と全国市場 」~ 北前船がもたらした加賀藩、石川県への貢献及び経済効果 ~ 」(講師:金沢歴活 代表 安藤 竜さん) です。
安藤さんといえば、昨年9月16日に「江戸時代の近江町市場と尾張町」と題した講演をされ、大好評を博した あの新進気鋭の歴史家の安藤さんです。
安藤さん独特の視点からの「北前船」論が展開されることと思います。
楽しみですね !!!
2018年9月16日
歴史と伝統文化講演会 ー 「加賀百万石と前田家」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第4回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「加賀百万石と前田家」~ 前田家三代と加賀八家 ~ )と題した講演会は9月15日(土)、中田 廉子 氏( 観光ボランティアガイドまいどさん )を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
中田さんは、「まいどさん」のかたわら 様々な場所で、歴史・文学関連の講義・講演をされており、また、「金沢城・兼六園研究会」にも所属され多彩な活躍をされている方です。
「百万石まつり」、「百万石行列」、「百万石音頭」、「ミス百万石」、「ひゃくまんさん」・・・というように 加賀百万石の「百万石」を冠し、あるいはこれを取り入れている呼称、命名がいくつかあります。
観光で金沢を訪れる人からは、「・・・さすが百万石の城下町ですね・・・」などど百万石という言葉に畏敬の 念をこめての、金沢を賞賛する言葉をよく聞きます。
地元の人たちには、「百万石」という音にずっと慣れ親しんでいて、そして心の奥底には、この百万石に誇りと自負を 抱いている方が多くみられます。
では、この「加賀百万石」という城下が、所領が、経済が、政治が、文化がどうやって成立したのか、様々な危難の なかでどうやって維持され続けてきたのか、そして発展してきたのか、ということに明確に答えられる地元の人は どれだけいるでしょうか。
前田利家公のことは少しなら分かっているけど、2代目、3代目さんのことは「あんまり・・・」という方も多いことでしょう。
「本多町」、「横山町」・・・・などの町名から、こういった名前の、前田家に仕えた重臣たちがいて、その上から八つを「加賀八家」というくらいのことは 知ってるけど、各家のプロフィール、前田家への貢献度合い、などについてはあまり知らない・・・という方もこれまた多いでしょう。
以上のこと 少しならわかってるけど、あくまでそれは何となくで、スッキリしない・・・という方も多かったのではないでしょうか。
そんな、すっきりしない頭の中の「もやもや(蒙=「暗さ」)」をスッキリ・明るくさせてくれた中田さんの講演でした。
まさしく、加賀百万石、前田家、加賀八家、そして金沢城のことなどについて、私たち聴衆を、一挙に「啓蒙」して下さった本日の 講演でした。
加賀藩がなぜ改易されなかったのか。
徳川体制のもと、(幕府成立から綱吉まで)改易減封されたお家が191もあったとのこと。
前田家各代の藩主の勇気と、知恵と、政策と、そのまた奥方たちの手助け・活躍と、そして八家の命がけの助力・貢献を 中田先生、丁寧で分かりやすいスライド、明快な口調で解説されました。
スライドが1枚1枚と進むごとに、そのつど頭の中が知識で満たされ、曖昧が雲散霧消して 頭の中が晴れやかになって行く感慨にとらわれました。
講演の丁寧さ・明快さすべては、中田さんの心の底流にある「金沢愛」に裏打ちされていることが伺えました。
講演中、中田さんはこんなお話をまじえられました。
あるときテレビで関口宏さんの番組でこんなのがあったそうです。
戦国武将の「おしゃれ」ベストテンに入るのは誰か、というような番組だったそうです。
10位から発表されていって、9位、8位、・・・ と なかなか前田利家公は出てきません。 ・・・もうダメかと思ったとき、なんと利家公、堂々の3位ランクインだったそうです。
そのとき中田さん 心の中で快哉を叫んだそうです。
私たちもその番組を見ていたら同じ心境になったでしょうね。
ここからも、中田さんの深い「金沢愛」が見て取れますよね。
(ちなみに2位は伊達政宗、1位は織田信長だったそうです。)
中田先生、明快で、そしてユーモアに富んだ楽しい講演 有難うございました。
次回は、10月20日(土)(「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」~ 水戸光圀を育てた本家 広済寺(滋賀県)の武佐 ~ )(講師:郷土史家 中田 隆二(たかじ)さん) )です。
中田さんは、金沢の広済寺さんにおいて長年使用されてきた梵鐘の表面に、同寺が尾山御坊にあった時のことなどの史実を記した文章の解読に当たられました。
そのとき発見した歴史上の真実とは・・・乞うご期待 !
2018年9月7日
引札と浮世絵の競演展
引札も浮世絵も主に版画(木版画、石版画 )であり最終形は多色刷りである。
引札には製法において浮世絵技術が活かされている。
浮世絵はもともと江戸時代の庶民にとって関心ある情報を伝達するためのメディア的側面をも有しており(特に名所絵)、広告物として活躍していたものもあった。
一方 引札は江戸時代に始まり明治で最盛期を向え、商店、問屋、仲買、製造販売元などのために作られた広告、チラシの類であった。そして広告、宣伝のための道具というだけでなく、生活の中に笑いや遊びを取り入れようとした一種のエンターテインメントでもあり、また庶民の情報源(よってメディア的側面を有する)でもあった。
浮世絵も引札も当時の時代考証的資料の価値を有し、また どちらも美術的価値を有することは言うまでもない。
大きな概念から言えば、引札は浮世絵の一種と言えよう。
以上を踏まえて この両者を大正ロマン溢れる当館の中で とくと見比べてお楽しみください。
当展示は、平成30年9月7日(金)から12月5日(水)まで。
2018年7月22日
歴史と伝統文化講演会 ー 加賀百万石の漆芸の歴史
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第3回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「加賀百万石の漆芸の歴史 ・ お茶のお話」と題した講演会は7月21日(土)、岡 能久 氏( 株式会社 能作 代表取締役会長 )を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
株式会社 能作は、創業200有余年の、うるし・漆器の製造販売を手がけてこられた 大老舗です。 本日の講師を務められた岡 能久さんは、その「能作」の七代目にあたる方です。 現在は同社の代表取締役 会長さんを務められています。
ネットで得た知識ですが、岡さんは、東京で大学生活を送られ、卒業後、京都に ある日本一の漆器店に就職され、東京支店配属となり、そこで業績を上げられ、その後、 金沢のお父様から呼び出しがかかり、漆器の店を任せられ、今日の「能作」を築き上げられた、 とあります。
いわば東京、京都、金沢の三都の文化を吸収されたわけです。 このことが、「京蒔絵」、「江戸蒔絵」、「加賀蒔絵」を客観的に評価する際の 審美眼にもつながったのでしょうね。
金沢に戻られてからは、社業の傍ら、漆産業・金沢漆器や加賀百万石の伝統文化、 茶道や能楽の振興に努められ、また金沢の中心街のまちづくりにも腐心されておられます。
本日の講演は、冒頭 ㈱能作さん制作にかかるビデオ「金沢漆器」を映写されて、皆を 金沢漆器の世界にぐいと引き込んでから始められました。
「京蒔絵」、「江戸蒔絵」、「加賀蒔絵」の特色、それぞれの違い、また この石川にあっては 輪島、山中、金沢が漆器産地ですが、これらの間の製法の違い、特色、を詳らかに 説明して頂きました。 沈金と蒔絵の違いや、各分野における様々な「名工」たちのお話もされました。 とくに、金沢の蒔絵のゴージャスさ、品のよさを力説されました。
また、石川在住の人間国宝8人中4人は漆芸の方である、とのことを誇らしげに語られました。
時おりしも、文化審議会が20日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に 沈金の山岸一男氏(輪島市河井町)ら3人を認定するよう、林芳正文部科学相に答申した との喜ばしいニュースがあったばかりです、とも語られました。
漆産業に携わる人々の生活基盤の安定、当産業の発展、ひいては工芸王国 金沢、石川の 文化的発展を希求する(岡さんの)心情溢れる講演となりました。
金沢の漆器、蒔絵がよりいっそう身近なものになった講演でした。
次回は、9月15日(土)「 加賀百万石と前田家 ~ 前田家三代と加賀八家」(講師:観光ボランティアガイドまいどさん 中田 廉子(やすこ)さん )です。
中田さんは、様々な場所で、歴史・文学関連の講義・講演をされておられます。
わかりやすい、明快な講演が きっと皆様の心の奥底に届くことでしょう。
乞うご期待 !
2018年6月21日
なつかし・おもしろ団扇(うちわ)展
かつて 商店、会社などの 夏における広告・宣伝媒体として隆盛を極めた
団扇。
主に昭和の時代の団扇( 42本 )を展示しました。
団扇には表、裏の両面があります。別々の絵柄だったり、絵柄が片面、もう片面が
商店名、商品名だったり。
係員に申し出て頂ければ、ショーケースから取り出しますので 手にとってご覧いただけます。
( 鳩の形をした「鳩団扇」や、水につけて気化熱で涼む「水団扇」などの珍しいものも展示しています。 )
北向きに建ち 夏でも涼しい当館の中で、人々に涼しさを届けた団扇たちを眺めて
眼からも涼んで行って下さい。
協力 松田文華堂 様 綿谷小作薬局 様
展示期間は、平成30年6月22日(金)~ 平成30年9月5日(水)まで
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