2026年1月17日
齋藤先生、金沢の工芸の歩みを熱弁
金沢市立中村記念美術館 学芸員 齋藤直子先生の第4回目の講演(令和8年1月17日)
です。
先生の講演は、前回も、前々回も1月の寒中でした。
先生の講演は茶道具をはじめとする美術工芸品を中心とされることが多く、
この季節の心身にもたらす凛とした寒さは、
茶道具などの凛とした美しさと相通ずるところがあって
先生の講演は、この寒中がふさわしい、などと思ったりもします。
寒さのもたらす「緊張感」が、先生の講演を聴くものにとって、聴くことに対する
ある程度の緊張を植えつけて、ほどよい塩梅なのかと。
そして寒さのもたらす「こわばり」は、先生の講演の暖かさにより
ほっこりと緩んで行くのでした。
と思っていたところ
本日はこの時期にしてはわりと暖かい日でした。
さらに、
齋藤先生の、金沢の工芸史を彩った多士済々の作品群の
紹介、解説により、参加者各自は耳目を奪われ、それら作品群の
放つ美に心が満たされ、ほっこりと心が尚更暖まったことでした。
今回のテーマは「金沢の工芸100年―金沢市工芸協会の歩みを中心に―」です。
金沢市工芸協会は、昨年、創立100周年を迎えています。
先生は、この協会の設立の趣旨、目的、沿革を説明され、
( 大正14年 金沢市意匠図案研究会は発足し
戦後、これが金沢市工芸研究会を経て昭和32年に今日の
金沢市工芸協会となったわけです。 )
金沢市意匠図案研究会会報創刊号によると、当時の金沢市の
工芸に対する考えが伺えます。
( 工芸が金沢の特産物として、地域発展の主役の一つであるが如き
力点を、工芸に対し金沢市は置いていた、金沢の工芸は
金沢を支える一大産業なのだというふうに。 )
ここからの先生の講演は、さながら工芸の名品の鑑賞会の様相を呈してきました。
先生は豊富な画像データから
金沢市意匠図案研究会の構成員(販売業者、製作者から構成)の
中の著名なる各作家の作品、経歴、
そして
金沢市工芸協会となってからの各会長(初代~六代)の作品、経歴
についての詳細な解説を行われました。
各時代の巨匠たちの、陶芸、漆芸、金工、染色、木工、各分野の作品の
美、機能についての奥深い解説を頂きました。
また、それらの作家の来歴、郷里に対する貢献度合いをも説明して頂きました。
工芸協会も、作家も、販売業者も、行政も、作品の購入者も、そして各展覧会の観覧者も
皆一体となって、この地の工芸を支え、盛り上げて来たのだろうと
本日の齋藤先生の講演に接して身に沁みて思うところでありました。
齋藤先生、有難うございました。
次回も、どうぞよろしくお願い致します。
2026年1月16日
兼六園展
兼六園展
協力 川村 久美子 様
米永 哲三 様
金沢くらしの博物館
後援 北國新聞社
期間 令和8年1月17日 ~ 令和8年4月30日
金沢城に隣接する「兼六園」は、歴代の加賀藩主・前田家によって長い歳月をかけて形づくられた、
江戸時代の代表的な大名庭園です。
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と共に日本三名園に数えられています。
( 1922年(大正11年)国の名勝に指定され、1985年(昭和60年)には特別名勝へと格上げされた。)
兼六園の名称は、優れた景観の代名詞「六勝(ろくしょう)」に由来します。
六勝とは、「宏大(こうだい)」・「幽邃(ゆうすい)」・「人力(じんりょく)」・「蒼古(そうこ)」・「水泉(すいせん)」・「眺望(ちょうぼう)」のこと。
宋時代の書物『洛陽(らくよう)名園記』に、相反する六つの景観(六勝)を兼ね備えているのは
「湖園」だけと記されています。
すなわち、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし、
人力勝るは蒼古少なし、水泉多きは眺望難し、此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」というように
記されているわけです。
その伝えるところは、「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。
広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。
人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。
また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」
そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と言うわけです。
兼六園は、この湖園に似つかわしく、これら六勝をまさに兼ね備えた庭園であるいう理由から、
文政5年(1822)、この名を与えられました。
池泉廻遊式の広大な園内は、大きな池、築山(つきやま)、御亭(おちん)や茶屋が点在し、
それらに立ち寄りながら遊覧できるようになっています。
そして園内を流れる曲水にはいくつもの橋が架かり、多彩な樹木や苔の緑、春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさが訪れる人々を魅了します。
このように兼六園は単に御殿の書院などから見て楽しむ座観式の庭園ではなく、
「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。
初めて兼六園を訪れる方も、初めてでない方も、どうぞ、当園の池泉廻遊の様式を味わいながら、そして、「六勝」の美、風情を感じながら散策されて下さい。
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2025年12月20日
遠来の安藤先生、金沢の妖怪スポットを紹介
本日(令和7年12月20日)は安藤 竜先生の第6回目の講演です。
昨年の令和6年8月17日、「加賀藩領のスシと発酵食文化」という
テーマで講演して頂き、いつもながらの安藤先生の明解かつユーモアを
交えた講演にいたく感心した次第ですが、あれから1年と4カ月。
昨年のその講演の後、安藤先生はお仕事の都合上、近々、生活拠点を
金沢から、兵庫に移される、という話をされました。
( 安藤先生は現在は、兵庫県公立大学法人 芸術文化観光専門職大学
の助教に赴任されています。 )
私どもとしては、安藤先生の当講演会へのご登壇もこれで最後か、と
一瞬落胆したわけですが、今後も来沢の機会もあり、スケジュールを合わせて
当講演会へのご出演も可能、との心強いお話をお聞きし、ほっとしたことでした。
( 表題の、遠来の・・・は、先生が本日兵庫から来沢、ということでの意味 )
そして向かえた本日。「城下町金沢の妖怪」という、興味津々のテーマ」を
携えて安藤先生は兵庫から遠路はるばるお越しになったわけです。
当テーマは安藤先生がかねてから温めていたテーマだったようです。
( 今、NHKの朝ドラでやっている「ばけばけ」は怪談を扱っています。
怪談には妖怪、幽霊の類が出てきますから、「妖怪」は今風のテーマですね。)
安藤先生は「城下町金沢の妖怪」という本テーマに入る前に
まずはウオーミングアップとして、妖怪、幽霊、怪異についての基礎知識
を我々に植え付けられます。
このへん、知ってるようであまり知らないものですね。
ここで頭がクリアーになります。
古代においては、「もののけ」「死霊」「鬼」が怪異現象、
中世においては、人の恨みが鬼や蛇に変化。
その後人こそが化け物であるという考えになって来た。
近世においては、すべてを化け物と表現。
「妖怪」「夭怪」「奇怪」と書いてこれらはすべて「ばけもの」と読む。
江戸時代においては、幽霊は誰か特定人の名の付いたものだが
この固有名詞が取れて一般化したものが「妖怪」になると。
という具合に安藤先生は、化け物、妖怪、幽霊についての概念の
時代的変化、推移を上記のように説明された、と理解しました。
江戸時代に入ってからは、幽霊と建物の関連が強くなり「化物屋敷」の
物語が主流となったようです。
ここから安藤先生は、金沢古蹟志その他の文献から丹念に調べ上げられた、
金沢を中心とする妖怪現象を現在の具体的な場所と照らし合わせて、
克明なスライドで紹介されました。
香林坊の「富永家の鬼」、法舟寺の「猫と老鼠」、松原町の「牛鬼」、
能登・柳田の「猿鬼伝説」、小松の「女工に化けた猿」、尾張町(今町)
の「天狗」、「天狗中田本店」の名の由来、柿木畠の「鼠に変化する少女」、
いしかわ四高記念公園の「枕返し」、貴船神社向かいの「化け物屋敷」、
長町中学校裏の「化物屋敷・こだま」、金沢、能登の複数個所に伝わる
「飴買い幽霊」、全国48箇所に伝承される「皿屋敷」等々を
紹介されました。
先生自らそれらの地に足を運んでの紹介でした。
聴衆である我々は、先生の文献調査、現地調査に基づくお話を
何の労苦なくして聴かせて頂いているので、まるで、安藤先生の
発するエンターテインメントに心地よく身を委ねている感のある、
楽しさに満ちた講演でした。
冒頭申したように
安藤先生の講演はもう6回目となるのですね。
この間、有難いお話を何度も何度もお聞かせ願ったわけです。
感謝の念に堪えません。
また次回講演も心よりお願いいたします。
安藤先生の、更なる飛躍を強く祈念いたします。
2025年11月22日
猪谷先生の大拙愛あふるる講演
鈴木大拙館 学芸員の猪谷聡さん(以下 猪谷先生と称させて頂きます)の講演は
2022年12月18日以来3年ぶりです。
前回テーマは「『思索』のすゝめ ~鈴木大拙をめぐる~」でした。
そして今回(2025年11月22日)は「 火打石のころ ― 鈴木大拙、金沢を語る ー 」
というテーマです。
大拙が、よって立つ基盤としての、愛してやまない「金沢」がそのタイトル中に
入っています。果たして猪谷先生は何を語って頂けるのか。
大拙の世界観と金沢の関係は、如何なるものなのか。
以下に本日の講演の様子を報告いたします。
先生は、大拙の足跡を簡便にして明瞭に説明されました。
先生は、この話の中で、大拙の父、母の存在、加賀藩の
教育的気風の存在、第四高等中学で得た友人の存在、が
大拙という人物をして、思想界の巨人たらしめた重要ファクター
の一つだと指摘された、と筆者は解しました。
大拙は金沢市本多町生まれです。
金沢にいたのは約20年くらいでした。
あとは、東京、神奈川、京都、そして欧米での暮らしでした。
このように95歳の人生の中で、金沢での暮らしは、僅かなものです。
しかし、先生が語るに、英語を自在に操る大拙は、こと日本語となると
金沢訛りがずっと抜けなかったそうです。
否、あえて金沢訛りから脱しようとは思っていなかったのかもしれません。
むしろ金沢(弁)訛りに誇りを抱いていたのでしょうか。
本日のテーマである「 火打石のころ ― 鈴木大拙、金沢を語る ー 」は
金沢での幼少期の思い出のよすがなのです。
野田山の、母と行く父の眠る場所、への墓参の時の思い出の象徴が「火打石」なのです。
線香をあげ、蝋燭を灯す際の火仕事での(当時の)、必需品である「火打石」が
幼少期の金沢の思い出の象徴的存在なのでした。
母とともに行き、帰りに供え物を分けてもらったことが大そう楽しみだったそうです。
「ふるさと」と言えば、「火打石」とともに母との墓参の楽しかったことを
思い出したのでしょう。
拠って立てる大地、の感触。ただの広漠と感ずる地、というだけでは具体性に欠ける。
己が踏みしめる大地との連携の感触、こういう具体的事象の認識。
こういうものを喚起してくれるものが「ふるさと」だと大拙は
言いたいのでしょうか。
本日の猪谷先生の講演から、筆者はこのような感想を覚えました。
私の、不理解かもしれません。そうでしたら猪谷先生 どうかお許しを。
鎌倉 東慶寺には、大拙の墓があるのですが、その近くには
西田幾多郎、安宅弥吉、出光佐三、ら生前交友の篤かった人々が
眠っているそうです。
地縁、人の縁の強さを感じますね。
僅か20年の金沢生活でしたが、大拙にとっては金沢はかけがえの
ない「ふるさと」であったと思われます。
己の根を擁立させ、その後の、己が人生の幹への養生をなした金沢、
という「ふるさと」を大拙はこよなく愛し、誇りに思って
いたことだと思います。
猪谷先生の講演は、郷土が生んだ思想界の巨人 鈴木大拙 を
もっともっと我々が顕彰し、敬愛し、彼の思想に触れて、
もっともっと彼に学んで、皆、豊かな人生を歩むべし、
と訴えているような気がしました。
猪谷先生、鈴木大拙先生をもっともっと皆に紹介され、皆を
もっともっと啓蒙して頂けることを心からお願いいたします。
本日は大変ありがとうございました。
是非、続編をお願い申し上げます。
2025年10月18日
山岸先生、金沢の福祉を築いた偉人達を大熱弁
金沢ふるさと偉人館の副館長 増山 先生の講演による
「高峰譲吉と渋沢栄一」の偉業、両者の関係性、についての
お話は昨年6月10月19日のことでした。
皆さんのふるさと愛が一層強まった講演会でした。
それから、ほぼ1年後の令和7年10月18日の今日。
同じ「金沢ふるさと偉人館」学芸員の山岸 遼太郎 先生による、
ふるさと愛、ふるさとに対する誇り、を一層強める講演が
行われました。
題して「金沢の福祉を築いた偉人達」。
金沢には、藩政期から「御救小屋」なるものが存し、これは200年近く
加賀藩によって運営されてきました。
金沢には藩政期から「福祉」の伝統があったわけです。
藩の経営ですから、いわば公的福祉ですね。
それが、明治になって加賀藩の諸制度の廃止とともに
この公的福祉は、消滅しました。
しかし、生活困窮者は増加の一途。
金沢には、社会においてそういう生活困窮者、障害者を放っておけないとする
気風の、情の熱い篤志家の人たちが、明治~昭和にかけて幾人もいました。
時代順に挙げますと、小野太三郎、井上友一、今田與三松、安藤謙治、浦上太吉郎、
荒崎良道、の6氏です(うち、安藤、浦上、荒崎の三氏は「善隣館の三傑」と
呼ばれています)。
山岸先生はこれらの6名の、社会福祉に大貢献した偉人達を列挙され、
彼らの福祉活動への取り組みを詳細に語られ、その功績を讃えられました。
金沢の今日の、陽風園、善隣館は、上記の偉人たちによってその礎が築かれたわけです。
現在はいずれも社会福祉法人ですが、設置の当初はいずれも、上記偉人の彼らが私財を
投じての、尊い社会貢献でした。
世知辛い今日から考えますと、なんと立派で尊い方々がいたのだろう、と驚きの
念を禁じえません。
そして
このような社会福祉活動が藩政期から今日まで続いていることは
金沢の大きな誇りと言えましょう。
山岸先生の講演は、明瞭で、闊達で、そして熱にあふれていて、
聴衆をして一瞬たりとも飽きさせることのない素晴らしいものでした。
山岸先生、次年度も、是非とも郷土の偉人たちの功績、活躍を
語って下さい。
大変有意義な秋の午後を、有難うございました。
2025年10月4日
近江町市場展
近江町市場展
協力 近江町市場商店街振興組合
金澤ふるさと倶楽部 伊藤 正宏 様
後援 北國新聞社
期間 令和7年10月5日 ~ 令和8年1月15日
令和 3(2021)年に開設三百年を迎えた近江町市場は、「金沢市民の台所」として
皆様に親しまれ、金沢の高い食文化を支え続け、いまや観光スポットともなっている
人気の市場です。
いつ訪れても、春夏秋冬いろんな旬の食材に囲まれ、威勢の良い売り声が飛び交い、
活気と魅力にあふれた市場は、金沢の大事な財産であり、大切な宝物です。
そんな近江町市場の、いまむかし、風景、を写真やパネル、資料でご覧いただき、
さらに市場の歴史、地理、風物、文化などを ”不思議” という視点から捉えた
「近江町の不思議」(くノ一、穴、標柱、惣構史跡など)を紹介いたします。
近江町市場をもっと深く知っていただき、さらに身近に感じていただき、
そして近江町のファンになって頂きたいと願って企画した「近江町市場展」です。
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2025年9月20日
竹松先生、江戸時代の金沢の「蔦重」的世界を熱弁
ハイテク機器を利用しての、電子書籍ばやりの昨今ですが、
紙の書籍の方が良い、という人もいまだ多くいます。
紙媒体であろうが電子媒体であろうが、本は本です。
知と情報を我々に届けてくれるものに変わりはありません。
書籍(本)は文化の担い手としての筆頭に変わりはありません。
そんな書籍(本)をめぐる、江戸時代における金沢の状況は
どうだったのでしょうか。
その時代の金沢における出版事情はどうだったのでしょうか。
そんな疑問に答えて頂いたのが本日(令和7年9月20日)の、前田土佐守家資料館の
副館長 竹松幸香先生の講演でした。
おりしも今 放映中のNHK大河ドラマは、江戸時代の出版事情を物語った
「べらぼう」(蔦屋重三郎の活躍を描いている)です。
本日の竹松先生の講演は、その意味で時流に乗っかっているのです。
テーマは、まさに「江戸時代金沢の出版」です。
( 竹松先生は、令和6年6月15日以来のご登壇です。
前回のテーマは「加賀藩上級武士家の『部屋住』」でした。 )
先生は、冒頭 「日本の出版とその歴史」を俯瞰的に説明され
本題に入るための知識整理をされます。
これがかなり勉強になりました。
以下、江戸時代の金沢の出版事情についての、先生の長年の研究の成果を
いっぱいいっぱい披露して頂きました。
お聞きしていますと、本テーマは、先生が、学生時代から
取り組まれていた研究テーマとのこと。
本日我々は、たいへんな有難い講演に接しられたわけです。
先生のご用意された「江戸時代金沢の本屋」、「金沢の出版物一覧」は
詳細かつ膨大なもので、調査に当たっての先生のご苦労が偲ばれます。
また、加賀八家奥村宗家第13代当主奥村栄通の、読書目録の一覧表
には、圧倒されました。
また
江戸時代の、出版に至るまでの手続き、費用の大変さを詳細に
語って頂き、当時の本の値段のたいへん高い由縁がよく解りました。
以上、先生の本日の講演は、多岐詳細にわたりますので筆者には
到底、書きつくせません。
前田土佐守家資料館の夏季企画展
「江戸時代金沢の出版ー本をめぐるいろいろ」は
9月28日まで開催中です。皆さん、まだの方はまだ間に合いますよ !!!
先生のご案内により
昔の出版の大変さを学ぶことが出来て、本というものに対する
リスペクトの念が高まった人も多かったのではないでしょうか。
本日、竹松先生の講演は、終始楽しい雰囲気に満ち満ちていました。
やっと涼しくなった今日この頃ですが、先生の熱い講演は
真夏の熱気の様相でした。
竹松先生、本日はたいへんありがとうございました。
2025年8月16日
本康先生 第9師団と日露戦争及びその影響を語る
本日(令和7年8月16日)は金沢星稜大学特任教授 本康宏史 先生の講演の日であります。
先生の講演は、今回で数えて4回目になります。本日のテーマは「日露戦争と第9師団」です。
日本の近現代史、地域史、産業史のスペシャリストとしての先生の講演は毎回耳目を
そばだてます。金沢、石川県全体の、近現代の成り立ちの道程を如実に語って頂き、
当地に対する誇りを一層掻き立てるものがあるからです。
今回のテーマは、金沢の軍都ぶりを示す「日露戦争と第9師団」ですが、先生の
講演中、第2回講演(令和5年11月1日)は「軍都金沢と陸軍御用の門前町」
というものであり、その回において、
1.金沢の軍都(軍事基地)としての適格性。
2.金沢において軍事基地があっとことの名残り。
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町)
・・・・・という側面から、第9師団等の軍組織を語っていただきました。
今回は、軍の、国のために担い、国に貢献した、軍隊としての本来的側面
の解説と予想しておりました。
もちろんそういう面からの説明は多々ありましたが、日露戦争での教訓が
後の大東亜戦争における日本の戦争観に大きな影響を与えたことを
先生は指摘されました。
日本の戦争史の大きな流れの指摘でした。
以下に本日の本康先生の講演内容を(私(筆者)の主観で)ご紹介します。
1.先生は、日露戦争の歴史的概略を述べられました。
概略にとどまらず、奉天、二百三高地などでの日本軍の作戦、戦術を
述べられ、また、石川県各地の神社に奉納された当該戦争の絵図、当時の写真
を用いて説明され、一層この戦争の詳細が理解出来ました。
特に、先生が調査団の一員として旅順、大連、奉天を訪れた際に
先生自ら撮られたかつての戦場及び戦争遺産の写真は興味あるものでした。
2.第九師団について
第九師団の構成を説明され、日露戦争にあっては、かの乃木希典の
指揮下に入ったとのこと。この戦争においては、当該師団は多数の
犠牲者を出しました。しかし、引き換えに第九師団はその勇名を
大いに上げたのです。
3.ロシア兵捕虜の扱い
各交戦の、当該師団が捕虜引き受けたわけですが、第九師団も多数の
ロシア兵捕虜を引き受けました(金沢にては約6000人収容)。
それが大変な厚遇をもって接したようです。
食事の豪華さのみならず、観劇、海水浴、芸妓によるもてなし、などが
ありました。
これは、当時の国際法の規定に準拠しての捕虜取り扱いだったようです。
(自国の兵士に対すると同様の遇し方をもって対応せよ、との。)
4.軍事力において大いに劣る日本が、大国ロシアに対して勝利を収めて
しまったことの要因を、日本軍の精神力の(他国に)勝ること、勝ったこと、
に求めてしまったことが、後の大東亜戦争、太平洋戦争にまで尾を引き、
影響し、彼我の冷静なる戦力分析を誤らしめ、無謀な戦闘状況を引き起こした
のではないか、と。
5.エピソードとして
「正露丸」です。あの下痢止め「正露丸」は、もともと「征露丸」と書いたとのこと。
露西亜をも征する薬、ということだったのですかね。
羽咋の神社に奉納されている、日露戦争の戦闘の様子を描いた絵図中に、ロシア兵
を介抱している日本兵が描かれている箇所があります。先生が発見されました。
日本の「武士道」、外国の「騎士道」精神の発露の場面が見て取れます。
「殺戮」の場でのことなのに。
その頃は戦争もまだ牧歌的だったのでしょうか。
本康先生のこのような講演は、詳細に調べ上げられた史実に基づくこと勿論ですが、
豊富な絵図、写真、といったヴィジュアルなものを豊富に引用されていて
分かりやすさナンバーワンといった趣があります。
日露戦争は、我が第九師団の勇名をとどろかせ、日本の国際社会での地位引き上げに
大いに寄与しましたが、他方で、この時の自信の根拠が(精神論)、後の戦争での
悲哀に繋がったのでは、と本康先生は語られたような気がしました。
本康先生の、近現代史論の、ほんの一端を我々は伺ったにすぎません。
ほんの一端ではありますが、知識を得られた満足度合いは夥しいものがあります。
本康先生の、豊富な研究成果・学識に触れられる喜びを我々は噛みしめねば
なりません。
本康先生、来年もまたよろしくお願いいたします。
本日は大変ありがとうございました。
2025年7月19日
東條さんの「加賀万歳」が心地よく響いた午後
本日(7月19日)は、金沢くらしの博物館 学芸員 東條さやか さんの
久々の、当講演会ご登壇です。
東條さんとしては今回で3回目の講演となりました。
第1回目は平成27年11月21日、第2回目は平成28年1月16日でした。
ほんとうに久しぶりですね。
その第1回目は「加賀万歳を学ぼう」がテーマでした。
今回のテーマは、その発展形ともいえる「金沢町づくし~加賀万歳と金沢の旧町名を
中心に~」というものです。
生活に根差したテーマ、ほのぼのと郷愁を誘うテーマ、また、郷土愛をかきたてるテーマ
の数々を、多くの企画展で取り上げられている「金沢くらしの博物館」の
東條さんのことですから、今回のテーマも、郷土愛をかきたててくれるものだとの
期待をもって講演会に臨みました。
講演が終盤の佳境に入ったころ、東條さんの真骨頂が発揮されました。
それまでは、各地方に伝わる万歳の発祥、特徴の説明を
座学的に講じられてきましたが、万歳はやはり実演だとばかり、
加賀万歳を謡う東條さんの美声が館内に響き渡り、我々聴衆を圧倒しました。
座学において、各地方に伝わる万歳の特徴、加賀万歳のこれらとの
違い、特徴、を詳しく解説頂きましたので加賀万歳の予備知識を得てからの
拝聴でした。
テーマにある通り、本日の講演の肝は、金沢の旧町名が
加賀万歳に如何にうまく織り込まれているか、謳われているか、
それも、加賀万歳「金沢町づくし」という曲の一節一節の解説を
旧町名地図と照らし合わせてのものでしたから、大変分かりやすく
皆の腑に落ちたことでした。
そして最後の、加賀万歳「金沢町づくし」を全体通して、美声で詠じ謡われた
圧巻の実演でした。
東條さんの、講演終盤での「金沢町づくし」全体通しての実演前に、一節一節の詳細な
解説を聴いていたことにより、ほぼ内容を理解し得ていた我々の心には、
まことにすっと入ってくる、「金沢町づくし」朗々として堂々、の実演でした。
加賀万歳の良さをしみじみ感じさせて頂き、「金沢町づくし」の中に
ユーモアたっぷりに織り込まれた金沢旧町名の、味わい深さ、城下町らしさ、
を丁寧に届けて頂いた東條さんに感謝いたします。
東條さん、本日はたいへん有難うございました。
厚く御礼申し上げます。
そして「金沢くらしの博物館」を今後さらに我々の心の拠り所
にさせて頂きたくお願い申し上げます。
2025年7月5日
企画展 ー 鬼神面と道具たち ー
企画展 ー 鬼神面と道具たち ー
協力 能面アート倶楽部 様
後援 北國新聞社
(開催年月日):2025年7月6日 ~ 2025年10月3日
金沢は「空から謡が降ってくる」と言われるほどの能の盛んな土地柄。
かつて、秀吉、家康、とともに能を舞ったのが前田利家。
その前田利家が当地に能の種をまき、5代綱紀が加賀宝生の礎を築きました。
そんな能において欠かせない重要小道具が「能面」です。
今回は「能面アート倶楽部」様のご協力で、能面展示の企画展を行います。
能は、平安(794~1185)、鎌倉(1185~1338)時代に”猿楽”と呼ばれ、
曲芸、物まね、寸劇、滑稽芸等の様々な芸が劇形式に変化し、現在の能は
室町(1392~1573)時代に、”観阿弥”、”世阿弥”親子が足利義満に気に入られ
、その強力な援助のもと、より発展し、洗練されたものになって行きました。
桃山(1573~1600)時代になると、大名や武将たちが能を習い、舞うことを
楽しむようになります。能は武士たちのたしなみとして受け継がれ、武家の儀式(式楽)
としての位置づけにもなりました。
また、加賀藩においては能が町民にも奨励され、上述の「空から謡が降ってくる」という
形容も生まれてきました。(庭師や大工が作業をしながら”謡”をくちずさむ、ことから)。
こうして加賀藩においては能は一層盛んなものとなりました。
加賀藩5代前田綱紀は、5代将軍徳川綱吉に倣い、それまでの金春流から
宝生流への転流を図りました。宝生流は加賀藩の絶大な庇護を受け
「加賀宝生」という言葉が生まれるほどの、宝生流の一大拠点となったわけです。
さて、「能面}ですが、能面は、各流派(観世、宝生、金春、金剛、喜多の能楽五流派)
の家元に存在した面、または、各大名家が所持した面、を模写模作して作るのが
慣習であり、偽物という概念は無く、”写し”として公認されているのです。
能面は、その作製過程において、能の登場人物の性格を、心をこめて面に
打ち込みます。よって能面を作ることを「面(オモテ)を打つ」と表現します。
そんな能面の数々、じっくり、そして、とくとご覧ください。
また、能面制作の道具、材料の木材、等々の展示もしてあります。
きっと、皆さまの興味を惹くこと請け合いです。
是非、ご来館のほどを!
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