2019年9月22日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 徳田秋聲を考える」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第4回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 徳田秋聲を考える」と題した講演会は令和1年9月21日(土)藪田 由梨 さん (徳田秋聲記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
藪田さんは 当講演会でのご登壇がついに4回目となりました。歴史家の「屋敷 道明」先生以外では最多のご登壇となります。藪田さんの お話を楽しみにされている方が多きゆえの、自然な帰結なのです。
薮田さんを通して「徳田秋聲」を聞くのか、「徳田秋聲」解説を介して「藪田さん」を聴くのか、どうもそこのところは境界が不分明となってきている感があります。(後者は、題材は何でもよいから とにかく「藪田さん」を聴きたい、というようなことです。)
4回目のご登壇ともなれば、「藪田さん」を聴きたい、「薮田さんの文学観」に触れたい、浸りたい、というのが第一義的に目的化してきている方もおられることでしょう。
そういうことで、薮田さんの講演は数えて4回目。
講演の内容も回を追うように深化しています。
先ずもって、予めお断りをさせて頂きたく存じます。
浅学菲才の私(筆者・報告者-老舗交流館の担当係員の私)ごときでは 薮田さんの、高度な内容を有する講演を詳らかにお伝えするにつき、なかなかのハードルの高さが 眼前に聳えているのを感じざるをえません。
この報告は、まったく文学的素養の乏しい私のなせる感想文でありまして、そこかしこに間違いが あるかもしれないことをお断りしておきます。 当ブログの読者諸氏、講演会の参加者の方々、薮田先生、におかれまして、あそこは違うよ、 そんなこと言ってないよ、なんてことがありましたら どうぞご指摘ください。速やかにこのブログの 訂正をいたしますゆえ。
4回目ご登壇の薮田さんは、4回目ということもあり、「徳田秋聲」をじっくり煮詰めた講義を なさいました。 講演後、参加者の感想がちらほら聞かれました。
「すごかったね、素晴らしかったね」、「・・・学問でしたね(大学で聴く講義みたい・・・の意)」。
まさに、円熟の講演だったと思います。
しかるに演者たる薮田さんはというと、依然と初々しく、まるで女学生然としていて、ずっと 永遠の、鮮やかな緑の初夏のごとき若やいだ乙女の体(てい)での講演でした。
講義内容の「円熟」と、薮田さんの帯びる「新鮮、初々しさ」との対比が、ことのほか 印象深い講演でした。
このような(上記の)対比あるいは対極とでもいいますか、そういった相反的なものが 講演の内容にも現れていました。
薮田さんは、かつて「中原中也記念館」に学芸員として勤められ、現在は「徳田秋聲記念館」の学芸員としての 立場におありです。
両巨人に通暁されている、得がたい方なのです。
そんな薮田さん、「秋聲を考える」という当講演で、天才「中原中也」を引用・引き合いに出されました。
中也作「酒場にて」中の、「ほがらか」という言辞を引き合いに出され、これを対称軸に「中也」と「秋聲」をそれぞれ 対極に位置させ、「秋聲」の特徴を抽出し、「秋聲」という人を炙り出されました。
本当に見事な技法であったと感嘆させられました。
中也の謂う「ほがらか」とは、他人に合わせる「ほがらか」とは違い、己の気持ち、感情に素直に己を発現させること、 というふうに筆者は受けとりました。他方、「秋聲的ほがらか」とは、他人の中で他人と旨くやって行くために ことによったら 己の真情をある程度抑制しての、旨く処世できるべき心の持ちよう、態度、であると受け取りました。
秋聲作品を巧みに引用しての、具体的な「ほがらか」さの表象事例をいくつか挙げられ、また、中也の「ほがらか」に対する アンビバレンツ的感情を表す詩を引用され、はたまた、(文学の)諸大家の「秋聲」評をも例示され、まことに立体的に、遠近的に 秋聲文学というもの、秋聲の文学的態度、というものを薮田さんは聴衆の眼前に詳らかにされたのです。
私(筆者)の理解が間違っていなければ、本日の薮田さんの講演はこのようなものだったのではないでしょうか。
中原中也と徳田秋聲の、人を見るときの眼の角度の違い、「ほがらか」観の違い、作家・文学者としての処世観の違い、 これらの対極の妙でもって 薮田さんは、秋聲も中也をも解き明かして下さったのです。
「秋聲」と「中也」の双極を知悉し、これを文学的糧にされている薮田さん・・・とても良いバランスの籠められた研究者さんなのですね。
薮田さんが斯界において ますます輝かれることを祈念してこの稿を締めさせて頂きます。
そして また次の機会があることを切望いたします。( 第5回目を )
斯界における「恒星」のような薮田さんの講演に接して、感嘆の思いがさめやらぬうちにこの稿を起こしました。 乱文、おゆるしを。
次回は、10月19日(土)「 伝統の中の独自性」(講師:徳田八十吉陶房 四代 徳田 八十吉 さん)です。
かの 徳田八十吉 さんのご登場です。特別講演と銘打っての「四代 徳田八十吉」さんの
講演です。
どうぞ お楽しみに !!!
2019年9月18日
「研究千代女」展
松任の生んだ江戸時代の女流俳人、様々な伝説にて語られる民衆のヒロインである「 加賀の千代女」。
今回も金沢市材木町在住・俳文学愛好家 小笠泰一さん所蔵の豊富な資料の中から「加賀の千代女」に関する資料を展示させて頂きました。( 30数点。 )
本企画のタイトルである「研究千代女」展は、小笠氏の命名であります。
このように「研究千代女」展としたのは、「千代女」という存在を、伝説・小説の類から解き明かすという方法から、客観的な史実を基にした研究方法による解明へと転換させたいとする小笠氏の「強い意欲の現われ」に起因します。
展示期間は、令和元年9月18日(水) ~ 令和2年3月13日(金)まで。
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2019年7月21日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 遠藤・輝・炎鵬」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第3回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 遠藤・輝・炎鵬」と題した講演会は令和1年7月20日(土) 西塔 幸子 さん (紫錦台中学 教師)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
西塔先生は、当講演会の案内広告には、元 西南部中学・相撲部顧問と表記させていただいていましたが、これは先生が謙遜なさってのことで、本当のところは監督さんでした。
そう、今 角界の、しかも幕内で活躍している「遠藤」、「輝」、「炎鵬」の人気3力士の、中学時代の面倒を見た先生なのです。
先生は、女性ですから実技の指導はなさいませんが、部の運営面、選手の生活面など様々な面で西南部中学の相撲部に貢献なさって来ました。
「遠藤」、「輝」、「炎鵬」の3人の指導をなさったことは勿論です。
絶大な人気を誇る「遠藤」、ここのところ、その小兵から繰り出す技の切れ味でとみに人気の出てきた「炎鵬」、そして各界入りは3人の中では一番古い、大器晩成の風格を漂わす、野武士的風貌の「輝」、こんな才能豊かな大物力士3人の中学生時代を、如実にご存知の西塔先生の講演ということで、集まった参加者は、胸高鳴る思いで本日の講演に臨んだことでした。
先生は、「遠藤」、「輝」、「炎鵬」3人の、西南部中時代の豊富な画像、動画をお持ちになり、少年時代の彼らの様子を伝えられました。
小柄な炎鵬の、さらに小柄だった中学生時代の写真、輝の中3時の中学横綱(都道府県大会で優勝) になったときの写真、遠藤の当時からの風格・貫禄ある写真などは、参加者一同みなほほえましい心持で 見入りました。
また、西南部中の強くなった秘訣を解き明かすテレビ動画、平成17年時の全中大会(このときは遠藤が中心選手)の 動画、には みな感動の面持ちで見入ったものです。 ああ、あのころから遠藤は柔らかい足腰の、相撲センス抜群の選手だったんだな、との思いをみな強くしました。
いずれの写真、動画にも西南部中部員のそばには暖かくよりそっている西塔先生の姿が見られました。
監督であり先生ですから指導者たる振る舞いは勿論のことですが、常に部員達にたのもしく寄り添っている先生の姿は、 母のようでもあり、姉のようでもあり、部員の生徒たちにはさぞかし心のよりどころとなる暖かい存在だったことが 伺われます。
写真、動画を駆使して先生は、遠藤、輝、炎鵬の3人の中学生時代の様子、性格(みな素晴らしく良い性格の 持ち主)、エピソードを語られました。
西塔先生は 3力士の、恩師でもあり憧れの先生でもありましたから、今でも彼らとの行き来は続いています。 先生は、現在の3力士の様子なども語って下さいました。
そして先生のステキなのは、その降り注いだ愛情が、この3力士にととどまらないところです。 他の部員全員にも先生は等しく愛情を降り注がれました。他の部員達の、様々な分野での活躍ぶりを 紹介さたことからも先生の心持が伺われます。
いずれも微笑ましい話、感動をもたらす話ばかりで、参加者一同、西南部中出身の彼らに対する応援の意を強くしました。 「 これからは、応援の気合の入れ方が変わるね 」などの声が講演会の後、あちこちで聞かれました。
西塔先生、本日は素晴らしいお話をたくさん 有難うございました。 心から感謝です。
ときあたかも、名古屋場所の真っ最中。これを書いている今(21日午前)、3力士の活躍の報に接しています。 名古屋場所14日目終了時点で、3人とも勝って、遠藤関は9勝、輝関は7勝、炎鵬関は、幕内では初の、念願の勝ち越し決定で8勝 (輝関の千秋楽の勝利を祈るばかりです)。
相撲の素人の私(筆者)が、専門家の方を差し置き申し上げるのもはなはだ僭越なのですが、この場を借りて3力士にアドバイスさせてください。
遠藤関へ。
もうしぶんのない相撲巧者の遠藤関には、今の相撲の完成度をそのまま高めて行かれればと思います。 しいて希望を申し上げさせて頂ければ、突き、押しの、圧力の強い、いっぺんに相手を持って行く相手には、立会いでいきなりマエミツを狙うのでなく 突き、押しで相手を起こして、それから廻しを狙う、といった取り口のほうがリスクは少ないと思います。
炎鵬関へ。
土俵際でのせめぎあいのとき、相手に大きな相撲を取らせないように、必要とあらば内掛けを仕掛けられるような密着具合の、足の運びをしたらどうでしょうか。 内掛けはしないまでも、外掛けの構えよりは相手に大きな、引きずるような投げを打たせないような気がしますし、このほうがこちらも投げが打ちやすくなるのでは、 と思います。
輝関へ。
足の構えを、かつての小兵大関 旭国さんのように交互に斜めに構え、突き、押しを、かつての大関 清国さんのように強烈な「おっつけ」を多用して行い、 あるいは「はず押し」をもまじえて、下から上への「圧」のかけ方にされたらいかがでしょうか。 総合的には、「ニワトリを追うような」と形容された、第46代横綱 朝潮さんのような取り口が輝関には一番合ってるのでは・・・と考えます。
素人の私が、たいそうなことを申し上げてまことに申しわけございませんでした。
でも皆さん、あの美しい四股の遠藤関の横綱土俵入りを見たいと思いませんか。
輝関には(さきにも述べました)かつての横綱 朝潮のような取り口の横綱を望みませんか。
炎鵬関には、まったくの、力学的に合理的な、出し投げ、あるいは捻りの極意を極めた横綱を望みませんか。
次回は、9月21日(土)「 徳田秋聲を考える 」(講師:徳田秋聲記念館 学芸員 薮田 由梨 さん) です。
薮田さんには今回で4回目のご登壇を頂くこととなります。
藪田さんの、軽妙で洒脱な、秋聲愛に溢れるステキなお話にまた遭うことができるのです。
みなさん、薮田さんの講演にまた酔いしれましょう。
お楽しみに !!!
2019年7月18日
奥の細道330年 義仲・巴・芭蕉展
平安時代末期の武将「木曽義仲」と女武者「巴御前」のロマンスをテーマとしてのNHK大河ドラマを誘致しようとする取り組みが、津幡町、小矢部市、加賀市 等において行われています。
津幡町と小矢部市にまたがる「倶利伽羅峠」が舞台となった源平合戦を通して、平家を打ち負かした源氏の武将「木曽義仲」と義仲に寄り添い戦功をあげた「巴御前」とのロマンスの、テレビドラマ化推進の取り組みがなされているのです。
今回は金沢市材木町在住の、俳文学愛好家の小笠泰一さん所蔵の、これらに関する豊富な資料( 版本、浮世絵 等 )を展示させて頂き、上記ドラマ化へのPRも兼ねさせて頂きます。
また、松尾芭蕉の「奥の細道」紀行330周年ということもあり、木曽義仲に感銘を受け、彼を心から敬慕した芭蕉に関する資料も展示しました。
展示期間は、令和元年7月19日(金) ~ 9月11日(水)まで。
2019年6月16日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 浪漫の作家 泉 鏡花」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第2回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 浪漫の作家 泉 鏡花」と題した講演会は令和1年6月15日(土) 穴倉 玉日 さん (泉鏡花記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
講演を聴き終えて、穴倉さんのあまりに濃密な鏡花のご紹介は、我々聴衆の心をとらえて離さず、我々の心の中を「鏡花」の世界を以て、たっぷりと浸して下さったことを感じました。
鏡花愛読の方々ならいざ知らず、鏡花に”あまり”、あるいは”まったく”接してない人にとり、本日の穴倉さんの講演のいかに有益であったことか・・・参加者の皆の表情からその満足感、充実感がうかがい知れたことでした。
講演後の質問コーナーで ある方がこんな質問をされました。
「 先生はなぜ鏡花を択ばれたのですか。その理由を教えてください 」
これに対する穴倉さんの回答が、本日の「鏡花」講演のエッセンスのすべてを言い表していました。
穴倉さんは こうおっしゃたのです。
「 私はもともと読書に教訓( 訓示めいたもの、人生の道徳的な、あるいは指針的なもの・・・という意味でしょうか )めいたものを求めてはいないのです。 鏡花作品は私を未知な世界( 異界とでもいうのでしょうか )へと連れて行ってくれるからです。そこに魅力を感じました。 」
( 筆者の聞き違い、あるいは記憶違い がなければこういうことをおっしゃたのです )
この穴倉さんの言葉に、泉鏡花文学の魅力が端的に言い表されているのでしょうね。 鏡花文学は、エンターテインメントの極致なのでしょうね。
穴倉さんは、鏡花作品の中から「義血侠血」、「照葉狂言」、「化鳥」、「由縁の女」の抄録部分を収めたレジュメを用いられて、それらの各作品に即して、鏡花の世界を私たちに伝えて下さいました。
いずれも金沢ゆかりの作品群です。
したがって
穴倉さんによる、鏡花ワールドのナビゲートにより、私たちも、鏡花作品の足跡を金沢の「まちなか」に辿ることができることを知りました。
戦災に遭ってない金沢は、名所旧跡、伝統工芸・芸能ばかりでなく、文学探訪の宝庫でもあることに 気づかされた1時間半でした。
先にも述べましたけど、講演後の質問コーナーこんな質問もありました。
「 先生の、一番好きな作品は何ですか ? 」の問いに
「 一番好き というのは言うに難しいのですけど、一番の最高傑作はと問われると、それは 『春昼/春昼後刻』ですね・・・・」とおっしゃいました。
鏡花作品を殆ど読んでない私(筆者)が、きのうから手に取って読み始めたのが、まさにこの「春昼/春昼後刻」でした。
何か不可思議な力によって鏡花世界にいざなわれている気がして ちょっとぞくっとさせられました。
本日、穴倉さんは、私たちにとっての、 まさに「鏡花文学」の宣教師、伝道師でありました。
有難うございました。心から御礼申し上げます。
次回は、7月20日(土)「 遠藤・輝・炎鵬 」( 講師:元西南部中 相撲部顧問の西塔 先生 ) です。
郷土が生んだ、大相撲界人気の看板三力士・遠藤、輝、炎鵬の、中学生時代の興味あるお話が聞けます。
相撲ファンはもちろんのこと、相撲ファンならずとも是非聞きたいですよね。
お楽しみに !!!
2019年5月22日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」
今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第1回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」と題した講演会は令和1年5月18日(土) 鳥居 貞利 さん (花嫁のれん館 館長)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
平成28年4月にオープンした「花嫁のれん館」は、七尾の一本杉通りと小丸山城址公園を結ぶ場所にあり、 花嫁のれんをはじめとする、能登に伝わる婚礼文化の見学や体験ができる施設として、 また、憩いと交流の場として、多くの観光客、市民を惹きつけています。
本日は、この「花嫁のれん館」の館長を務められている鳥居貞利さんに、ここにいたるまでの苦労話、成功談の 数々を伺いました。
昨今の、七尾駅周辺の商業施設についての芳しくない話題があるなか、本日の鳥居さんのお話は、そういった 暗さを吹き飛ばす、希望に満ち満ちた明るいお話でした 。
もともと七尾は8世紀初めに「能登の国」の「国府」が設けられたり、15世紀初めには、守護の畠山氏が七尾城 を築いたりと、石川県では一番古くから繁栄していた地域ですものね。往時の繁栄ぶりを取り戻して欲しいものです。 そういう意味でも、本日の鳥居さんの講演は聞いていてたのもしく、嬉しくもなるお話でした。
カジュアルないでたちで、それでいてダンディーな鳥居さんは、パワーポイント操作のアシストのために来られた、チャーミングな美人の スタッフの方(赤尾さん)と一緒にご登場となり、かっこよい風貌のままに、講演もとてもかっこよく、味のある話しぶりを展開されました。
本日のテーマは「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」というものです。
(「花嫁のれん」の風習は、石川県を中心に北陸地方各地で見られるというものの、加賀藩の範囲の地域に限られ、支藩の 富山藩、大聖寺藩の地域には見られない、また、奥能登にも見られない、ということです。)
まちづくりのための、数々の取り組みの履歴を細かに話して頂きました。
以下にそのエポックメイキングな出来事、取り組み、成果を記しますと、
昭和50年、季刊誌「銀河」で千代(せんだい)芳子さんが「花嫁のれん」という表現をされました。
そして
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)創刊の森まゆみ さんの、「一本杉通りが能登の先頭を走るべき」との叱咤があり、
また
フリージャーナリストの佐々木和子さんとの交流もきっかけとなり、一本杉通りのおかみさん達(5名:ろうそく屋、こんぶ屋、仏壇屋、しょうゆ屋、陶器屋の各おかみさん達) が「花嫁のれん」を飾ってはどうかと提案し、平成16年に「花嫁のれん展」第一回目の開催の運びとなりました。 これが人気を博し、花嫁のれんの常設展示館としての「花嫁のれん館」開設につながりました。
さらには
「花嫁のれん」にまつわる話をする語り部処を一本杉通りに何ヶ所か設けました。 今では、各商店作製のオリジナル商品を館内のショップで販売するまでになっています。
さらに
「JTB交流文化賞最優秀賞」、「ティファニー財団賞伝統文化大賞」、「石川テレビ賞(オーゴットの会)」を受賞し、高い評価を得るまでになりました。
さらには
テレビドラマ「花嫁のれん」が制作・放映され「花嫁のれん」が広く認知され、「花嫁のれん号」の電車、バスも走るという運びとなりました。
「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」につての鳥居さんのお話をかいつまんで紹介いたしますと以上のごとくです。
人脈の広い鳥居さんは、あのフォークシンガー「小室 等」さんとも親交があり、小室さんに「花嫁のれん」の歌を作曲してもらい、CDも発売されています。 (「六文銭」が歌っているそうです。)
みなさん、いかがでしたか? 七尾に行って、一本杉通りに行き、七尾の歴史・文化に浸りたくなりましたよね。
そして「花嫁のれん館」に行って、その色鮮やかさを鑑賞し、「花嫁のれんくぐり」体験はいかがですか。
次回は、6月15日(土)「 浪漫の作家 泉鏡花 」(講師:泉鏡花記念館 学芸員 穴倉 玉日 さん) です。
お楽しみに !!!
2019年5月10日
石川県の、明治~大正期の、洋風建築写真展
2019年5月8日
尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」のお知らせ
お申し込みはこちらからお願い致します。
2019年3月17日
歴史と伝統文化講演会 ー 「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」
今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第10回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 金沢の文化を知る ~ 芸妓さんから見た金沢 」と題した講演会は平成31年3月16日(土) 桃太郎(仲乃家) 氏 (金沢主計町 芸妓さん)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。
いよいよ待ちに待った主計町一番人気の芸妓さんである桃太郎さんのご登場です。
お座敷体験のまったく無い私(筆者)は、「芸妓さんの世界」はテレビ、本などを通じて少し 知るのみで、まったくの遠い存在でした。 本日の講演会参加者の方々の多くも私同様だったと思います。
さて そんな私たちに、本日の講師「桃太郎」さんは、金沢芸妓の世界、金沢の誇る三茶屋街の世界を ぐっと引き寄せてくれました。
主計町・桃太郎さんがご登壇になったわけですが、あくまでも講演会でのことなので、お座敷では ありませんから桃太郎さんの踊り、お囃子などの芸が見聞きできたわけではありません。
しかし、桃太郎さんは本日、お座敷に出るときそのままのいでたちでご登壇となったので、 その あでやかさ、雅やかさ、粋で凛とした立ち居振る舞い、まさに名花と呼ぶにふさわしいお姿で 講演されたものですから、参加者(男の方、女の方)みなうっとりとして、桃太郎さんの 語られる金沢芸妓、茶屋街の世界のさまざまを、夢見心地で聞きました。
金沢芸妓の芸の種類、金沢芸妓という職業の内容、お茶屋さんのシステム、三茶屋街のそれぞれの特徴、等々を、時おりユーモアをまじえながら分かりやすく語っていただきました。
具体的には、芸妓さんの、とある一日を例に出して頂き、芸妓さんの日々の生活の一端を 紹介され、また、時代の流れを汲みとった新しいやり方(バスツアーでの観光案内、銀座の金沢アンテナショップでの つとめ、安価に参加できる「金沢芸妓の舞」、そしてすでに恒例となった「金沢おどり」などの取り組み)を 案内して頂きました。
また、桃太郎さんご自身の自分史的紹介もしていただき、桃太郎さんという存在が皆の中で すごく身近なものになったことでした。
桃太郎さんは「・・・芸の習得には終わりは無いんです。一生お稽古です・・・」といった芸妓修行の厳しさをも語られました。
美しくて、あでやかで、優雅で、それでいて、粋で凛々しくて、そして知的な桃太郎さん。
芸妓としての、日々のお稽古・修行によって培われた技芸、及び教養が芯に備わった桃太郎さんだからこそ その名花ぶりが いっそう輝いて見えるのでしょうね。
講演終了後、桃太郎さん、ご自分の「千社札(花名刺)」を参加者全員に配られていましたが、その際の しなのある所作、振る舞いの優雅さに またまた見とれてしまったものです。
これから主計町を歩くときは、桃太郎さんに会えずとも(会えたらなお良いのですが)今までより よりいっそうの 艶っぽさを感じられるのではないでしょうか。
桃太郎さん、これからも金沢の芸妓界を どうぞ牽引してください。
そして金沢の名花としてずっと末永くご活躍ください。
本日は有難うございました。
平成30年度(平成30年4月~31年3月)の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」はこれにて終了いたしました。
平成31年度の講演会企画につきましては、近日中ににチラシを発行し、及び当ホームページにてもお伝えいたします。
お楽しみにお待ちいただきたく存じます。
2019年3月7日
金沢城下の各時代地図展
江戸期から平成までの各時代の、金沢城下の市街図を展示してあります。
ガラスケースの中の地図は、係員にお申し出頂ければ、手にとってご覧頂けます。
展示地図は、「安政元年」、「明治3年」、「大正8年」、「大正8年(金沢市街電車路線図)」、「大正12年」、「昭和4年」、「昭和14年」、「昭和19年」、「昭和28年」、「平成27年」の各時代のものです。
この中の「昭和14年」のものは、職業別住所入地図と職業別明細図の2枚からなっています。
昭和30年代前半・昭和56年の、対比する形の「尾張町住宅地図」も展示してあります。また、文化8年(1811年)の「金沢町絵図」(製本版)もご覧頂けます。
展示期間は、平成31年3月8日(金) ~ 5月9日(木)まで。
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