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2023年12月16日

藪田さん 迫真の、秋聲像への接近

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徳田秋聲記念館 学芸員 藪田由梨さんの講演も
今回で第6回目となりました。
当講演会においては勿論 ダントツの最多出演です。
いかに多くの方が藪田さんの講演を熱望、嘱望されているかの
証です。
 
今回(令和5年12月16日)は、「没後80年-秋聲を偲ぶ」という
テーマで講演をして頂きました。
 
ここで、今までの藪田さんの、当講演会でのテーマを辿ってみますと、
第1回目が「金沢の三文豪を知りたい」、第2回目が「中原中也と金沢」、
第3回目が「秋聲文学とのつきあい方」、第4回目が「徳田秋聲を考える」
となっており、前回の第5回目は「徳田秋聲の先進性~生誕150年を終えて~」
でした。
いずれの回も、「自然主義文学」というキーワードを用いられ、
時には文学的立場において対極にある中原中也との対比をもって秋聲文学を
解き明かす、といった講演をして頂いた、と解しています。
 
回を重ねるごとに「秋聲文学」、そして「徳田秋聲」の人となりに
ひたひたと迫り来る、といったようなテーマの進行具合のように見受けられます。
 
さて、前述のように今回のテーマは「没後80年-秋聲を偲ぶ」、という
秋聲さんを総括するような講演内容の予感がありました。
つまり、秋聲をまとめ上げるような・・・。
 
でも、そうではなかった、まとめるには まだまだ「秋聲」は奥深いのだ、まだまだ
面白いのだ、というのが筆者(講演会報告者:交流館 係員)の感想でした、
結論を申しあげれば。
 
「没後80年-秋聲を偲ぶ」というテーマにもある通り、徳田秋聲が世を去って
80年も経つのです。
 
そのくらい経つと、秋聲に対する評価、解釈はもはや動かしがたいものに
固定されてしまっていると考えられます、普通は。
 
そこのところに藪田さんは、本日は深いメスを入れられたかの感がしました。
 
はたしてそうなのか、今までの「秋聲」論は既成のものになって
久しく、固定化してしまっているのか、と。
 
以下に述べるは、筆者の感じ取った全くの、個人的見解に過ぎず、
誤解、曲解があるやもしれません。
そうであれば、平にお許しを。
 
整然とした、しかしその流れにおいて「秋聲」をダイナミックに我々に
示すが如き藪田さん提供のレジュメは、盛りだくさんの「秋聲」像を
本日、我々(聴衆)にもたらしてくれました。
 
今回は、「秋聲の発した追悼文(対 泉鏡花、夏目漱石、芥川龍之介、葛西善蔵)、
を通しての、彼らに対する秋聲からの評価」、また、「作品中に描写した
(父、長女、母、義母、妻)の死という事実に遭遇した時の、秋聲の心情、
その時抱いた心の起伏」、といったものを通して「秋聲」文学、「秋聲」という人物
の真相、に迫ろうとの試みだったような気がします。
藪田さんの、超一流の説明テクニックを駆使しての。
 
また、徳田一穂氏から見た、「秋聲」の死を通しての「秋聲」の小説観、
広津和郎を通しての、正宗白鳥の弔事に見る「徳田秋聲」評、「徳田秋聲」観、
川端康成の「徳田秋聲」評、「徳田秋聲」観、久米正雄、高見順、舟橋聖一、
の「徳田秋聲」評、「徳田秋聲」観、を怒涛の如く、藪田さんは紹介及び解説
されました。
 
秋聲文学を解明するキーワードとして、「事実の正確な凝視」、「現実性」、
「自然」、「自由」、「無礙」、「とらわれぬ、こと」、「天衣無縫」、が上げられる
のですが、これらのことがややもすれば「無技巧」、「無計画」という評価にも
帰結しそうです。
ところが舟橋聖一は秋聲作品を評して、「事実の正確な凝視」をしっかりした上で、
「自由闊達」に再編成という作業を経た芸術品である故、他の理想主義作家
より「想像力」を持っていた、と喝破しています。
 
秋聲は、作品中、無技巧で、無計画なふうを見せかけ、
しかしその実は「緻密」な計画性をもって創作に当たったのだ、
と本日 藪田さんは力説されたような気がします。
 
そうだとすると、「秋聲」の読み方は変えなければいけませんね、
そうすれば、もっと「秋聲」文学がわかるかも。
 
高見順の、「秋聲文学は難解、人生のように難解」、「海のように単調で複雑」、
という評もあるほどで、今までの通説的既成観念で秋聲を論ずることは
できないのだ、と思いました。
 
藪田さんが、「秋聲」文学の奥深き難解さを、心から楽しんでいるのでは
ないか、とさえ思えてきた今日でした。
 
藪田さんの、軽やかで、闊達で、リズミカルな語り口が、時として
子守歌ふうに筆者の耳を覆い、不覚にも講演中、「うつら」とした
瞬間がありました、数分ですが。
 
もしやその時、大事なことを聞き逃したのではないか、と悔やみながら
この報告を書いています。
もしそうであれば、お許しを。
 
話は余談になりますが、当報告を書くときに、筆者は
講師の方を「〇〇先生」と記すことが多いのですが、今回の報告では
「藪田さん」と書いてしまっています。今や、「寸々語」においても全国にファンを
持つ「藪田先生」をつかまえて「藪田さん」とは何と馴れ馴れしくて失礼な、
と自問してしまいました。
過去の報告(ブログ)を振り返りますと、
第1~第3回までは「藪田先生」でした。しかるにどういうわけか
第4回から今回の第6回目まで「藪田さん」と記述してしまっています。
知らぬ間に。
藪田さんの講演に接するに従って、リスペクトの念は高まっているのに、
それに反比例するがごとく「先生」から「さん」になっています。
 
心理分析をしてみると、藪田先生に対する親しみの度合いが著しく増大した
ことの現れなんだと思いました。
ほぼこれと同期して「秋聲さん」に対する親しみ、も飛躍的に増大しています。
 
次回の藪田さん、どういう「秋聲」を語って頂けるか、楽しみです。
それまでに我々も、少しでもたくさん「秋聲」を読んで、準備をしておきましょう。
 

2023年11月12日

本康先生、「軍都」金沢の背景、意義を詳説

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待ちに待った、日本の近現代史、地域史、産業史のスペシャリストとしてご活躍の、
金沢星稜大学特任教授 本康宏史 先生の講演会です。
(本日(令和5年11月1日)実施。)

実は、本康先生の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」としての
講演は今回が初めてなのです。
そして待ちに待った、とは、先生の講演は昨年の8月20日に
「軍都金沢と陸軍御用の門前町」というテーマで組まれていましたが、
猛威を振るうコロナの前に、延期を余儀なくされていたのです。
 
しかし、実質的には、先生の講演、講演的なものは今回で
3回目なのです。
2019年6月、NHK金沢局制作の、「かがのとイブニング」という番組に
ご出演いただき、老舗交流館の展示資料などをもとに、金沢市制130年というテーマで
語って頂いたのが第1回目(これは観客無しなので講演的なものと位置づけました)。
 
そして、第2回目は令和元年11月3日の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」
の特別編として講演をして頂きました(「3茶屋街にぎわい創出」企画。このときは
「観光金沢と旧城下町の茶屋街」というテーマで語って頂きました。)
 
ということで今回が実質的には3回目の講演となるわけです。
勿論 テーマは昨年より持ち越しの「軍都金沢と陸軍御用の門前町」です。
皆の、最大の関心事のテーマです。
 
老舗交流館には、お客様から寄贈された大正8年、同12年の
金沢市街地図があります。
 
よく見てみると、金沢城内には、「第九師団司令部」、「歩兵第七連隊兵営」、
「第六旅団司令部」があり、また、街中には、出羽町練兵場、野村練兵場、
各種の連隊、大隊、兵器支廠があることに気づきます。
 
まさに軍事都市の様相です。
 
このように、軍隊が設置されている金沢の都市計画はどうだったのか?、
軍隊設置と金沢の経済の関係は?、軍隊と市民の関係はどうだったのか?、
 
よって、本日の本康先生の講演は興味津々の心持で臨みました。
 
冒頭、先生は 以下の各期における金沢城内の「主」は誰、と問いかけられました。
 
藩政期以後の期間を大きく3つに区切り、1871から1945年までと
1945年から1949年までと、1949年から1994年の3つの期間です。
 
上記を第一期、第2期、第3期としたとします。
 
第一期は陸軍の軍隊、第3期は金沢大学、とここまでは皆 すぐに分かりました。
 
第2期が意外とすぐに思い浮かびませんでした。
そうです、進駐軍でしたね。
先生の、この話の持って行き方で、皆、ぐっと金沢城を中心とした金沢の
軍都ぶりに思いを馳せました。
 
先生の本日の講演は、
 
1.金沢の軍都(軍事基地)としての適格性。
2.金沢における軍事基地があっとことの名残り。
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町)。
 
の3つに大別される、と筆者は解釈しました。
 
1.金沢の軍都(軍事基地」)としての適格性
 
  金沢は、金沢城を中心に擁する城下町であり、もともと軍事基地として
好適であり、1871年(明治4年)に城地は兵部省の所管となり、
その後、歩兵第7連隊(城内)、歩兵第35連隊その他の軍事施設及び隊が
金沢に置かれました。そして、1898年(明治31年)、日露戦争に備えるべく、
第9師団が置かれたのです。
師団が置かれるのは、代表的な都市だけであり、金沢もその例に
洩れなかったわけであります。
金沢の都市としての格が大いに上がったわけであります。
 
先生が仰るには、師団の長たる師団長には、中将がなるもので
県知事より格が上だったそうです。
 
金沢駅が1898年(明治31年)に設置され、小松~金沢間に鉄道が開通しました。
同年設置の第9師団開設に沿うように、軍事目的の一環だったわけです。
 
よって、開設された金沢駅も軍事施設の一つでありました。
 
2.金沢における軍事基地があっとことの名残り
 
 金沢は戦災に遭っていないため、様々な建築物が残っています。
軍事施設も例外ではありません。
赤レンガの歴史博物館は、元は旧陸軍兵器支廠兵器庫であることは
多くの人が知るところでありますし、近年東京から大部分を移設された
国立工芸館の建物も、もとは軍事施設を引き継いだものです。
旧陸軍の第9師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築したんでしたよね。
趣があり大変立派な建物で市民、県民の誇りですが、
先生がスライドで示された、本家の国立工芸館(東京 竹橋)はもっと立派でした。
元は、近衛師団司令部庁舎だったそうです。立派なのは当然でした。
 
あと、金沢城内の、軍事基地であった数々の名残の場所を先生は
スライドで示して頂されました。今後の城内散策が楽しみです。
 
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町)
 
 尾張町界隈には軍需の恩恵を受けた商店等が多く残っていることを
先生は指摘されました。
テント屋さん、軍服製造が転じての学生服のお店、写真館、
干菓子を扱う和菓子屋さん、本屋さん、旅館、料亭、遊郭等々。
 
いずれも、軍隊関係・その家族からの需要を享受した商店等で
「陸軍御用の門前町」といえる様相でした。
 
軍隊が居ることで潤った例として、軍縮政策の一環で7連隊が一度
野村の方に移され、城下の街(尾張町、大手町、中町)が廃れたので
これらの街の人たちが7連隊復帰嘆願運動を行い、7連隊が城内に
戻った話を上げられ、「陸軍御用の門前町」であったことが如実に
理解出来ました。
(富山の歩兵69連隊が軍縮政策のために廃止され、代わりに
金沢の野村の地にあった歩兵35連隊が、富山に移された。
そこで、一度、7連隊が城内から、野村の地に移された。
そのために大手町界隈が廃れた、という背景があった。)
 
筆者の報告では、本日の本康先生の講演の充実ぶりを
何ほども伝えられていませんことを心苦しく思います。
 
先生の講演は、1時間半の講演時間にしては、内容豊富で、
本日のテーマ「軍都金沢と陸軍御用の門前町」を余すところなく
語って頂いています。
 
本康先生の、次回以降の講演が早くも楽しみになって来ました。
 
本康先生、長時間にわたる目いっぱいの講演、有難うございました。
大変、勉強になりました。
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2023年10月21日

長谷川真希先生、加賀象嵌をぐっと引き寄せる

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本日(令和5年10月21日)は
加賀象嵌ジュエリー作家 長谷川真希 先生をお迎えしての
今年度5回目の講演会です。
(先生は、加賀象嵌技法を中心にジュエリーを制作する
「希らら」を設立、運営されています。)
 
長谷川先生の講演は、当講演会としては初めてです。
ですが本当のところは、昨年の7月16日に
「わかりやすい加賀象嵌」と題しての講演を頂く予定でした。
 
ところが、その頃は新型コロナが勢いを増していた時期でもあり、
長谷川先生と相談して昨年度としては中止とさせて
頂きました。その相談のさなか、(そのとき先生には交流館に来て頂いて
いました。)先生は、かつてここでご自分の作品を展示したことが
あった、と述懐されました。
私(筆者)が、ここの係員となる前の話です。知りませんでした。
 
先生には、「尾張町」は、以前からたいへんお世話なっていたのですね。
 
1年3カ月待っての、待ちに待った長谷川先生の講演です。
テーマは勿論「わかりやすい加賀象嵌」です。
 
一時間半はあっという間でした。
先生がご持参頂いた数々の作品をまじかに、しかも手に取って
拝見できたり、松脂、松煙から出来た、地金を固定するための土台を
お持ち下さって、それを使っての彫金の実演まで見せて頂き
当講演会ならではの良さを実感させて頂きました。
 
この彫金は参加者も体験させてもらい、皆、象嵌というものが
すごく身近になりました。
 
さらには、長谷川先生から「食とアートの交流展」(銀を入れる象嵌体験
をしてネックレスを作る、というイベント。長谷川先生が講師)の
ご紹介を頂き、参加者の何人かはその場で早速申し込みをする、といった
皆の象嵌への理解がたいへん深まり、熱のこもった講演会となりました。
 
先生のプロフィール紹介、加賀象嵌の歴史、金属工芸の種類、
色金(いろがね)を用いる、金沢ならではの特徴、を講義頂き
まず、象嵌の世界へといざなって頂きました。
 
さらには、着色の技法、金属の埋込み技法、へと講義は進展し、
彫金の実演となった次第です。
 
まさに「わかりやすい加賀象嵌」というテーマにふさわしい講演でした。
 
お持ち頂いた、先生の数々の受賞作品群は、いずれもがカッコよく
美しく、凛とした品格を包蔵していました。
先生の作品群は、
誰の目から見ても素晴らしさを感じ取られるものでしたし、誰にも憧れを
抱かせるものでしたし、そして、作り手の長谷川先生の、お人柄の
素晴らしさをも偲ばせるパワーをも宿していました。
 
伝統ある加賀象嵌を基点にして、長らくずっと研鑽に打ち込まれ、
斯界での数々の受賞をされ、ジュエリー作家としての地位を確立された
長谷川真希先生が、そのジュエリー作品群の醸し出す美の永続性に
負けぬ永続性をもって、今後ますますご活躍なされることを願う心持ちに
させられた講演会でした。
 
長谷川真希先生、本日は楽しい一日を体験させて頂き、
有難うございました。
 
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2023年10月5日

金沢商家銅版画展(明治21年)

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明治21年の、金沢商家の銅版画(複製。尾張町以外の金沢商家103店舗)の展示です。
 
( 出典は明治21年出版の「石川県下商工便覧」)。
 
業種は、衣類、糸、絵具、菓子・砂糖、紙、ガラス、薬、香水・香油・諸油、
 
小間物・荒物、酒・煙草、摺付木(マッチ)、染物、陶磁器・漆器、針、武具、
 
文房具、宿、料理、その他 です。
 
文明開化の機運に満ちた金沢商家の勢い、風情を、常設の尾張町26の商家と
 
併せて、とくとご覧ください。
 
なお、前回展示のプリペイドカード(彦三町 Y氏のコレクション)は、大変な
 
好評を頂きましたので、前回展示の一部(列車ヘッドマーク、鉄道(在来線)、
 
新幹線、駅舎、寝台特急、自動車)を継続して展示してあります。
 
以上の展示期間は、令和5年10月5日(木)~ 令和6年2月7日(水)まで。

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2023年9月9日

当講演会レギュラー安藤先生の、円熟の講演

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安藤 竜先生の、当講演会におきましては4回目のご登壇です。
(安藤先生は、現在「かなざわ食マネジメント専門職大学 助教」として
歴史学を講じられています。また「金沢 歴活 代表」としてもご活躍です。)
第1回目のテーマは「江戸時代の近江町市場と尾張町」、
第2回目は「北前船と全国市場」、
第3回目は「加賀藩の将軍献上と特産品」、
そして今回(令和5年9月9日)は、「江戸時代の村の鉄砲と鳥獣害」
というテーマでした。
 
先生の講演は、歴史認識において解りやすい指摘をされていることは勿論ですが、
これらのテーマの変遷を辿れば、江戸時代における加賀藩の
商業史、経済史的側面を多大に含んでいます。
 
「その土地土地の歴史研究を通して、生活の場であるその土地が、そこに
関わる人たちにとっての、かけがえのない場所になり、そこの企業・地域をも
活性化することへ繋がる」のだ、という、先生の一貫したスタンス、ポリシーに
に裏打ちされているようなテーマの変遷、と見て取れます。
 
ところが本日の先生の講義は「江戸時代の村の鉄砲と鳥獣害」というテーマであり、
ところどころに加賀藩の各農村での鉄砲所持数、「鉄砲、火薬の下げ渡し数」
の説明のところで特定の地区が出てきましたが、特定の地区地区が
歴史的に包蔵しているストーリーの展開による、地域起こし的な講演では
ありませんでした。
本日のテーマを解き明かすべく、全くの、史実に忠実な講演でした。
しかし、講演後、先生と少し話する機会があり、そのとき分かったことですが、
今回のテーマは、最近先生がものされた大論文がその出典だったのでした。
論文ですから、硬いところもあるでしょうに、解りやすく、軽妙に語られた
この講演は、安藤先生ならではこそ、のものでした。
 
江戸時代になぜ各村々に鉄砲があったのか、それは「鳥獣害」対策の
ためであったのだ、という事実を、先生は幕府の政策(ex 生類憐みの令)の変遷、
加賀藩の政策の変遷、の裏付けのもとに、詳細に説明されました。
 
安藤先生の提供された(本テーマに関わる)膨大かつ整った資料による講演は
いつもの如く、精緻極まるものでした。
「刀狩り」があったのになぜ鉄砲が村の農村にあったのか、当時は鉄砲は
農村にあっては武器というよりも農具、猟具であったのだ、などとか、
村での鉄砲の管理体制の変遷(緩やかな管理体制から厳格な管理体制へ)など
、聞いていてそういうことだったのか、と納得できる説明がいくつも語られました。
 
鉄砲を農具・猟具とまで言わしめるほどの「鳥獣害」があったことが、農村における
鉄砲所持数にも表れています。
幕府の、あるいは各藩の政策にも「鳥獣害」対策が表れています。
今まで知らなかったことが次々に語られました。
新しい知識を仕入れられたことの快感を感じました。
 
安藤先生の、このような、毎度の明瞭、明解な講演・・・というよりも講義は
尽きるところがありません。
聞いていて、スカッと分かった、解った、という快感に浸れるのですね。
 
ところで安藤先生の、語り口、語り調子に、今回 初めてその特徴に気がつきました。
 
先生は、毎回 講演の冒頭に自己紹介をされます。
そのなかに、兵庫の生まれ、育ち、ということをいつも仰います。
 
そうなんです・・・講演の途中から、標準語調の話しぶりが、どこかで関西イントネーションに
どんどん変わってゆくのです。
 
先生が意図して、テクニカルにそうなさっているのか、自然にそうなってしまうのか
解りませんが、これが安藤先生の素晴らしい持ち味だと感じ取りました。
 
これが聴衆に和みを与え、フレンドリーな雰囲気を提供するのです。
そのこともあってか、講演後、多くの質疑応答がなされました。
 
次はどんなテーマを引っ提げて 登壇されるのかな~と今から楽しみです。

2023年7月15日

金沢建築館 高木先生、谷口父子と金沢を大いに語る

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谷口吉郎・吉生記念金沢建築館のホームページには、
同建築館について、
「金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムです。
金沢の名誉市民第一号の建築家 谷口吉郎氏の住まい跡地に、
吉郎氏の長男で、国際的に著名な建築家である谷口吉生氏の設計により
建設されました。
当館は、展覧会をはじめ、講座や建築ツアーなどさまざまな活動を通じて、
金沢から世界へ建築文化の発信拠点を目指しています。」とあります。
 
「金沢は、多くの歴史的建造物と現代建築が程よく調和し合っていて、
素晴らしい建築文化の街ですね」などと老舗交流館に来館される
お客様方から、このようなお褒めの言葉を、いっぱいいっぱい頂戴します。
 
金沢は戦災に遭っておらず、また、工芸、美術の盛んな都市ゆえ、
市民の美意識は、他の地に比べて殊更高く、さらには、幾多の先人達の
努力、貢献があっての今日の建築文化都市・金沢だと思います。
 
その先人を代表するのが、金沢が生んだ谷口吉郎さん、金沢にゆかりの深い
息子さんである吉生さんであります。
 
このお二人を顕彰するのが、冒頭に上げました谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
であり、同館の専門員である高木愛子先生が本日(令和5年7月15日)の講師です。
 
高木先生には「建築家 谷口吉郎・吉生と金沢」というテーマで講演頂きました。
 
先生の話が進むにつれ、参加者の皆の顔が「ほころんで」行くのが感じ取られました。
「そうなんだ」とか「そういうことだったのか」とか「やっぱりそうか」みたいな
感慨にとらわれて。
金沢の建築、まちづくり、に吉郎さんが貢献した足跡を皆、再確認するように、
上記の、「あいづち」、「なっとく」の表情が、先生の話の進行とともに、
横溢しました。
「吉郎」さんへの熱いリスペクト、そして感謝の念をもって。
 
参加者の方々は殆どが金沢に住まわれているか、金沢近辺のお住まいの方々です。
普段何気に目にしている、金沢の建造物、建造物群、家並み、町並み、が
なぜこんなに美しく、新旧調和がとれているのか、が明快に本日よ~く解ったのです。
高木先生の説かれる「谷口吉郎」論によって。
 
谷口吉郎さん、吉生さん、の代表的作品を先生は紹介され、見どころを
細やかに説明されました。
 
皆、知っている建物もあれば、初めて知るものもあったことでしょう。
吉郎さんの、建物以外の分野での、文学碑(徳田秋聲、室生犀星)
についても詳しく語って頂き、従来の文学碑とは異なる面のあること
を説明して頂きました。
(これらの文学碑は、その文学者の「人生を」、「文学を」象徴するように
建てられているのだということを。)
吉郎さんの、一般に知られざる面を紹介されたのでした。
とても興味深く、新鮮でした。
 
先生の説明により、吉郎さんの金沢に尽くされた業績がよく解りました。
 
吉郎さんの、幼少~少年期における金沢の生活圏内では、魅力ある
様々な建築物に接する機会が多い環境だったんだと思います。
自身の通学した四高とか二中とかの建築物は、大いなる造形教育の
師だったでしょうし、二中時代によく通った兼六園も、彼にとり造形教育の
師たりえました。
 
後年、金沢の「まちづくり」としての「金沢診断(保存と都市開発診断)」という
有識者会議に参加され、今日の、あの優美で風格ある「広坂通り」を実現
するためのアイデアを吉郎さんは出されたわけです。
 
金沢に育てられ、そして長じて金沢に恩返しされた吉郎さんだったのでしょうね。
 
その吉郎さんのご子息の吉生さんも、幾多の素晴らしい作品を残されています。
とくにニューヨーク近代美術館の設計では大いに名を馳せられました。
 
金沢市立玉川図書館は、谷口吉郎、吉生父子の合作としてあの地に
風格と風情を与えています。父子での、金沢への恩返しのような、象徴的な
作品なのではないでしょうか。
建築家である谷口吉郎さん、吉生さん父子が、金沢市の名誉市民に
選ばれていることは、建築文化都市である金沢の面目躍如たるものがあると
思います。
 
谷口父子の功績を中心に、金沢の建築文化、都市文化の魅力を我々に
ぐっ~と引き寄せて下さった高木先生、有難うございました。
 
今日を境に、金沢の街並み、建物を見る目が、皆 変わったように思います。
街歩きが一層楽しくなりそうですね。
 
高木先生、重ねて御礼申し上げます。
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2023年6月30日

彦三町 Y氏のプリペイドカード展 続編

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金沢市彦三町 Y氏がコレクションされたプリペイドカード展示の続編です。
 
1982年の、旧電電公社発行のテレホンカードを皮切りに
様々なプリペイドカードが発行され、商品、サービスの購入時の支払いが、
電磁的に記録されている金額(残額)の範囲内でキャッシュレスになるという、
今日のキャッシュレス決済の先駆けとなりました。これらのカードの表面には
様々な、色鮮やかでポップな写真、絵柄がプリントされています。
これらの、描かれている写真、絵柄をジャンル別に並べました。
懐かしいものがたくさんあり、時代の移ろいが感じられます。
また、これらの商業的・広告的価値も高いと確信します。
 
今回は、前回の、鉄道(在来線、新幹線)、テレビ・映画関係、、コマーシャル、
浮世絵、絵画、自動車、に加えて「列車のヘッドマーク」、「寝台特急」、
「トラック・レーシングカー」、「駅(のシリーズ)」、を加えてあります。
総勢 711枚の展示です。前回より約200枚多い展示となりました。
とくとご覧ください。
 
( カード種類 : テレホンカード、図書カード、オレンジカード、クオカード、
  ハイウェイカード、ユーカード、ふみカード、メトロカード、イオカード、
  ENEOSプリカ、スルッとKANSAI、SFメトロカード、えふカード、ファミリーマートカード、
 マックカード、堺・住吉まん福チケット、都営まるごときっぷ、1-DAY OPEN TICKET、
  パールカード )
 
展示期間は、令和5年7月1日(土) ~ 10月4日(水)まで。
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2023年6月17日

中嶋先生の、西田哲学へのいざない、としての第二弾

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本日(令和5年6月17日)の講演会の講師は、石川県立看護大学 講師の
中嶋 優太先生です。(先生は、西田幾多郎記念哲学館 元専門員)
中嶋先生には昨年の11月26日に「西田幾多郎」についての、第一回目の講演を
行って頂きましたことは記憶に新しいところです。
そのときののテーマは、「西田幾多郎『善の研究』を読む ~善く生きる~」でした。
 
前回は、先生の誘導により、参加者全員のパネルディスカッションのような
様相を呈するような講演となったのでした。
「先生の講義が皆の心に沁みたせいか、参加者のめいめいが「にわか哲学者」にまで
到達・昇格してしまった講演会となりました。」と前回の筆者の報告では
記してあります。
皆の、次回を望む期待の大きさが、今回の先生の再びのご登壇となった次第です。
 
今回のテーマは「西田幾多郎『善の研究』を読む ~自由に生きる~」です。
 
昔のエリートの最たる旧制高等学校生、現代の知識人、たちをして難解と
言わしめる西田哲学。
 
それを、殆ど素人たち一般の市民(参加者)に解きほぐして説明しようとする
中嶋先生。
並大抵のご苦労ではありません。
孤軍奮闘、の一時間半でありました。
 
「善の研究」を読むための知識の準備として、
「~自由に生きる~」ということの意味を
理解しなければなりません。
西田幾多郎の云う「自由」とは何か、ということの
解明が本日のテーマの主軸でした。
 
先生は、自由をとらえての説明として、従来からの2つの考え方と、
西田の考える自由、の3つの説を紹介されました。
 
前者は、相対立する考え方で、「自由意志は無い」とする「決定論」
(我々の意志も自然の因果法則により必然的に決定されている、とする)と、
他方は、「原因も理由もない自由意志、を是認」する
従来からの「自由意志論」であります。
 
これに対しての西田の自由意志論は「必然的自由」を中核とする
論であり、批判の矛先を従来からの「自由意志論」に向けるものです。
 
西田の「自由意志論」の立場からすれば、従来の「自由意志論」では
原因も理由もない偶然の意志であり、自由どころか
「強迫」と感ぜられる、と断じています。
 
動機の原因が自己の内面から出た場合の自由が必然的自由という
ものであり、このことが西田の唱える「自由」だとするのです。
よってこのような「自由」に基づく行為には当然に責任が伴うのである、
という具合に先生は、西田の「自由意志論」を解き明かされました。
(以上は、哲学に明るくない筆者の感想でありますので
間違いがありましたらご指摘ください。)
 
大変難しい局面に入って来た今回の中嶋先生の講演でした。
多様な価値観が錯綜し、混迷する世相下の現代ゆえ、
このような状況下をより良く生き抜くために、今、哲学、
ことに西田哲学が必要なのだと思いました。
 
本日の中嶋先生の講演で、参加者各人の思考が何らかの形で
触発されたのではないでしょうか。
西田哲学に分け入り、西田哲学の学習を通じて
西田哲学の今日的意義を見い出せる境地にまで己を
高めたい、と思った方もおられたのではないでしょうか。
多くのことを触発及び啓示して頂いた本日の中嶋先生の講演でした。
 
難解な西田哲学を、解きほぐされようと奮闘された中嶋先生に感服 !!!。
 
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2023年5月25日

石川県の、明治~大正期の洋風建築写真展

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明治から大正にかけての、石川県内の、学校、役所・役場、銀行等の、洋風建築古写真の展示です。
 
展示期間は、令和5年5月26日(金) ~ 6月28日(水)まで。
 
平成4年10月1日に撮影された、尾張町大通りの南側、北側の各1軒1軒の
商店の写真を、通り沿い順に帯状に張り出してあります(今後、常設展示とします)。
併せてご覧ください。
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2023年5月20日

金沢湯涌夢二館 太田館長の、夢二の世界へのいざない

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金沢の湯涌に「金沢湯涌夢二館」なる文化施設があります。
この文化施設は竹久夢二と金沢、そしてこの湯涌との縁に
もとづいて、平成12年4月に建てられたそうです。
 
竹久夢二の描いた絵は、誰しも何らかの機会に
目に触れたことと思います。
 
華奢な、少女のような女性の美人画を描いたあの人だ、
との認識は殆どの人にあることでしょう。
 
人によっては、あの「宵待草」の作詞をした人だ、
との知識もあるでしょう。
 
さらには、奥さんであった「岸たまき」は金沢出身の人であった、
とまでもご存じのかたもいらっしゃることでしょう。
また、画学生であった恋人「笠井彦乃」との、
しばしの間の逗留の地がこの、湯涌温泉であった、
ということをご存じの方もいらっしゃることでしょう。
 
以上のように、竹久夢二が金沢に縁があったことが、
「金沢湯涌夢二館」設置の理由であったことは、
かなりの方の周知しているところでしょう。
 
竹久夢二が大衆の人気を博し、支持を得たことは、
彼の描く絵の美しさ、可憐さ、切なさ、が
見る人々の感性に大いに訴えたことによるものである、
と皆、思うところでありましょう。
 
そこで
夢二のこと、をもっと深堀して頂き、夢二の金沢に対する思い入れが
どのようなものであったのか、夢二の描いた、あのような絵画は
何処からやって来たものであるのか、
「金沢湯涌夢二館」の館長であられる太田昌子先生の講演が実に
待ち遠しいことでした。
 
ということで、本日(令和5年5月20日(土))の、
尾張町商店街 「歴史と伝統文化講演会」令和5年度第1回目は、
「金沢湯涌夢二館」館長 太田昌子先生の
講演なのです( テーマ : 夢二が歩いて、愛した金沢 )。
 
テーマにもありますように、先生の講演の主体は夢二と金沢との
関わり合い、交じり合い、の具合を、夢二の金沢での足跡を
たどり、それらの場面をもとにした絵、文章をたどり
夢二の金沢観をつまびらかにされたことでした。
 
夢二の夫人であった「岸たまき」、恋人であった「笠井彦乃」
の二人の存在が彼の画家としての成功に大きく影響を
与えたことも述べられました。
 
先生は夢二の作品(夢二式美人画)の特徴を次のように
指摘されました。
この特徴が夢二作品の、大衆の心をわしづかみにし、
人気を博する大きな原動力になったのでしょうね。
1.大きな伏し目がちの瞳 2.細身でねじれた肢体
3.大きな手足 4.文様を見せる衣装
5.小道具による物語性。
 
先生は、皆の夢二に対する理解を深めてもらうために
たくさんの作品を、プロジェクターで紹介され
聴衆一同、夢二の世界に浸らせて頂きました。
 
笠井彦乃の作品も見事であり、夢二にも影響を
与えたのでしょうね。
 
三度金沢に来た夢二は、絵画、短歌、小説 等により
金沢を生き生きと活写したのでした。
夢二の金沢に対して抱いた愛の様子が分かります。
 
金沢出身の「岸たまき」はもとより
夢二に、かようにも影響を与えた金沢のまち、そして彼と
親交を結んだ金沢の人々のこと、を伺って
夢二と金沢の緊密な結びつきが良く理解出来ました。
 
本日の講演で、夢二ファンが一挙に増えたことだと思います。
太田先生、どうも有難うございました。
 
そして太田先生の夢二に対する愛の深さが伺えて、
本当に心温まる講演でした。至福のひとときでした。
 
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