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2023年7月15日

金沢建築館 高木先生、谷口父子と金沢を大いに語る

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谷口吉郎・吉生記念金沢建築館のホームページには、
同建築館について、
「金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムです。
金沢の名誉市民第一号の建築家 谷口吉郎氏の住まい跡地に、
吉郎氏の長男で、国際的に著名な建築家である谷口吉生氏の設計により
建設されました。
当館は、展覧会をはじめ、講座や建築ツアーなどさまざまな活動を通じて、
金沢から世界へ建築文化の発信拠点を目指しています。」とあります。
 
「金沢は、多くの歴史的建造物と現代建築が程よく調和し合っていて、
素晴らしい建築文化の街ですね」などと老舗交流館に来館される
お客様方から、このようなお褒めの言葉を、いっぱいいっぱい頂戴します。
 
金沢は戦災に遭っておらず、また、工芸、美術の盛んな都市ゆえ、
市民の美意識は、他の地に比べて殊更高く、さらには、幾多の先人達の
努力、貢献があっての今日の建築文化都市・金沢だと思います。
 
その先人を代表するのが、金沢が生んだ谷口吉郎さん、金沢にゆかりの深い
息子さんである吉生さんであります。
 
このお二人を顕彰するのが、冒頭に上げました谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
であり、同館の専門員である高木愛子先生が本日(令和5年7月15日)の講師です。
 
高木先生には「建築家 谷口吉郎・吉生と金沢」というテーマで講演頂きました。
 
先生の話が進むにつれ、参加者の皆の顔が「ほころんで」行くのが感じ取られました。
「そうなんだ」とか「そういうことだったのか」とか「やっぱりそうか」みたいな
感慨にとらわれて。
金沢の建築、まちづくり、に吉郎さんが貢献した足跡を皆、再確認するように、
上記の、「あいづち」、「なっとく」の表情が、先生の話の進行とともに、
横溢しました。
「吉郎」さんへの熱いリスペクト、そして感謝の念をもって。
 
参加者の方々は殆どが金沢に住まわれているか、金沢近辺のお住まいの方々です。
普段何気に目にしている、金沢の建造物、建造物群、家並み、町並み、が
なぜこんなに美しく、新旧調和がとれているのか、が明快に本日よ~く解ったのです。
高木先生の説かれる「谷口吉郎」論によって。
 
谷口吉郎さん、吉生さん、の代表的作品を先生は紹介され、見どころを
細やかに説明されました。
 
皆、知っている建物もあれば、初めて知るものもあったことでしょう。
吉郎さんの、建物以外の分野での、文学碑(徳田秋聲、室生犀星)
についても詳しく語って頂き、従来の文学碑とは異なる面のあること
を説明して頂きました。
(これらの文学碑は、その文学者の「人生を」、「文学を」象徴するように
建てられているのだということを。)
吉郎さんの、一般に知られざる面を紹介されたのでした。
とても興味深く、新鮮でした。
 
先生の説明により、吉郎さんの金沢に尽くされた業績がよく解りました。
 
吉郎さんの、幼少~少年期における金沢の生活圏内では、魅力ある
様々な建築物に接する機会が多い環境だったんだと思います。
自身の通学した四高とか二中とかの建築物は、大いなる造形教育の
師だったでしょうし、二中時代によく通った兼六園も、彼にとり造形教育の
師たりえました。
 
後年、金沢の「まちづくり」としての「金沢診断(保存と都市開発診断)」という
有識者会議に参加され、今日の、あの優美で風格ある「広坂通り」を実現
するためのアイデアを吉郎さんは出されたわけです。
 
金沢に育てられ、そして長じて金沢に恩返しされた吉郎さんだったのでしょうね。
 
その吉郎さんのご子息の吉生さんも、幾多の素晴らしい作品を残されています。
とくにニューヨーク近代美術館の設計では大いに名を馳せられました。
 
金沢市立玉川図書館は、谷口吉郎、吉生父子の合作としてあの地に
風格と風情を与えています。父子での、金沢への恩返しのような、象徴的な
作品なのではないでしょうか。
建築家である谷口吉郎さん、吉生さん父子が、金沢市の名誉市民に
選ばれていることは、建築文化都市である金沢の面目躍如たるものがあると
思います。
 
谷口父子の功績を中心に、金沢の建築文化、都市文化の魅力を我々に
ぐっ~と引き寄せて下さった高木先生、有難うございました。
 
今日を境に、金沢の街並み、建物を見る目が、皆 変わったように思います。
街歩きが一層楽しくなりそうですね。
 
高木先生、重ねて御礼申し上げます。
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2023年6月30日

彦三町 Y氏のプリペイドカード展 続編

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金沢市彦三町 Y氏がコレクションされたプリペイドカード展示の続編です。
 
1982年の、旧電電公社発行のテレホンカードを皮切りに
様々なプリペイドカードが発行され、商品、サービスの購入時の支払いが、
電磁的に記録されている金額(残額)の範囲内でキャッシュレスになるという、
今日のキャッシュレス決済の先駆けとなりました。これらのカードの表面には
様々な、色鮮やかでポップな写真、絵柄がプリントされています。
これらの、描かれている写真、絵柄をジャンル別に並べました。
懐かしいものがたくさんあり、時代の移ろいが感じられます。
また、これらの商業的・広告的価値も高いと確信します。
 
今回は、前回の、鉄道(在来線、新幹線)、テレビ・映画関係、、コマーシャル、
浮世絵、絵画、自動車、に加えて「列車のヘッドマーク」、「寝台特急」、
「トラック・レーシングカー」、「駅(のシリーズ)」、を加えてあります。
総勢 711枚の展示です。前回より約200枚多い展示となりました。
とくとご覧ください。
 
( カード種類 : テレホンカード、図書カード、オレンジカード、クオカード、
  ハイウェイカード、ユーカード、ふみカード、メトロカード、イオカード、
  ENEOSプリカ、スルッとKANSAI、SFメトロカード、えふカード、ファミリーマートカード、
 マックカード、堺・住吉まん福チケット、都営まるごときっぷ、1-DAY OPEN TICKET、
  パールカード )
 
展示期間は、令和5年7月1日(土) ~ 10月4日(水)まで。
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2023年6月17日

中嶋先生の、西田哲学へのいざない、としての第二弾

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本日(令和5年6月17日)の講演会の講師は、石川県立看護大学 講師の
中嶋 優太先生です。(先生は、西田幾多郎記念哲学館 元専門員)
中嶋先生には昨年の11月26日に「西田幾多郎」についての、第一回目の講演を
行って頂きましたことは記憶に新しいところです。
そのときののテーマは、「西田幾多郎『善の研究』を読む ~善く生きる~」でした。
 
前回は、先生の誘導により、参加者全員のパネルディスカッションのような
様相を呈するような講演となったのでした。
「先生の講義が皆の心に沁みたせいか、参加者のめいめいが「にわか哲学者」にまで
到達・昇格してしまった講演会となりました。」と前回の筆者の報告では
記してあります。
皆の、次回を望む期待の大きさが、今回の先生の再びのご登壇となった次第です。
 
今回のテーマは「西田幾多郎『善の研究』を読む ~自由に生きる~」です。
 
昔のエリートの最たる旧制高等学校生、現代の知識人、たちをして難解と
言わしめる西田哲学。
 
それを、殆ど素人たち一般の市民(参加者)に解きほぐして説明しようとする
中嶋先生。
並大抵のご苦労ではありません。
孤軍奮闘、の一時間半でありました。
 
「善の研究」を読むための知識の準備として、
「~自由に生きる~」ということの意味を
理解しなければなりません。
西田幾多郎の云う「自由」とは何か、ということの
解明が本日のテーマの主軸でした。
 
先生は、自由をとらえての説明として、従来からの2つの考え方と、
西田の考える自由、の3つの説を紹介されました。
 
前者は、相対立する考え方で、「自由意志は無い」とする「決定論」
(我々の意志も自然の因果法則により必然的に決定されている、とする)と、
他方は、「原因も理由もない自由意志、を是認」する
従来からの「自由意志論」であります。
 
これに対しての西田の自由意志論は「必然的自由」を中核とする
論であり、批判の矛先を従来からの「自由意志論」に向けるものです。
 
西田の「自由意志論」の立場からすれば、従来の「自由意志論」では
原因も理由もない偶然の意志であり、自由どころか
「強迫」と感ぜられる、と断じています。
 
動機の原因が自己の内面から出た場合の自由が必然的自由という
ものであり、このことが西田の唱える「自由」だとするのです。
よってこのような「自由」に基づく行為には当然に責任が伴うのである、
という具合に先生は、西田の「自由意志論」を解き明かされました。
(以上は、哲学に明るくない筆者の感想でありますので
間違いがありましたらご指摘ください。)
 
大変難しい局面に入って来た今回の中嶋先生の講演でした。
多様な価値観が錯綜し、混迷する世相下の現代ゆえ、
このような状況下をより良く生き抜くために、今、哲学、
ことに西田哲学が必要なのだと思いました。
 
本日の中嶋先生の講演で、参加者各人の思考が何らかの形で
触発されたのではないでしょうか。
西田哲学に分け入り、西田哲学の学習を通じて
西田哲学の今日的意義を見い出せる境地にまで己を
高めたい、と思った方もおられたのではないでしょうか。
多くのことを触発及び啓示して頂いた本日の中嶋先生の講演でした。
 
難解な西田哲学を、解きほぐされようと奮闘された中嶋先生に感服 !!!。
 
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2023年5月25日

石川県の、明治~大正期の洋風建築写真展

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明治から大正にかけての、石川県内の、学校、役所・役場、銀行等の、洋風建築古写真の展示です。
 
展示期間は、令和5年5月26日(金) ~ 6月28日(水)まで。
 
平成4年10月1日に撮影された、尾張町大通りの南側、北側の各1軒1軒の
商店の写真を、通り沿い順に帯状に張り出してあります(今後、常設展示とします)。
併せてご覧ください。
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2023年5月20日

金沢湯涌夢二館 太田館長の、夢二の世界へのいざない

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金沢の湯涌に「金沢湯涌夢二館」なる文化施設があります。
この文化施設は竹久夢二と金沢、そしてこの湯涌との縁に
もとづいて、平成12年4月に建てられたそうです。
 
竹久夢二の描いた絵は、誰しも何らかの機会に
目に触れたことと思います。
 
華奢な、少女のような女性の美人画を描いたあの人だ、
との認識は殆どの人にあることでしょう。
 
人によっては、あの「宵待草」の作詞をした人だ、
との知識もあるでしょう。
 
さらには、奥さんであった「岸たまき」は金沢出身の人であった、
とまでもご存じのかたもいらっしゃることでしょう。
また、画学生であった恋人「笠井彦乃」との、
しばしの間の逗留の地がこの、湯涌温泉であった、
ということをご存じの方もいらっしゃることでしょう。
 
以上のように、竹久夢二が金沢に縁があったことが、
「金沢湯涌夢二館」設置の理由であったことは、
かなりの方の周知しているところでしょう。
 
竹久夢二が大衆の人気を博し、支持を得たことは、
彼の描く絵の美しさ、可憐さ、切なさ、が
見る人々の感性に大いに訴えたことによるものである、
と皆、思うところでありましょう。
 
そこで
夢二のこと、をもっと深堀して頂き、夢二の金沢に対する思い入れが
どのようなものであったのか、夢二の描いた、あのような絵画は
何処からやって来たものであるのか、
「金沢湯涌夢二館」の館長であられる太田昌子先生の講演が実に
待ち遠しいことでした。
 
ということで、本日(令和5年5月20日(土))の、
尾張町商店街 「歴史と伝統文化講演会」令和5年度第1回目は、
「金沢湯涌夢二館」館長 太田昌子先生の
講演なのです( テーマ : 夢二が歩いて、愛した金沢 )。
 
テーマにもありますように、先生の講演の主体は夢二と金沢との
関わり合い、交じり合い、の具合を、夢二の金沢での足跡を
たどり、それらの場面をもとにした絵、文章をたどり
夢二の金沢観をつまびらかにされたことでした。
 
夢二の夫人であった「岸たまき」、恋人であった「笠井彦乃」
の二人の存在が彼の画家としての成功に大きく影響を
与えたことも述べられました。
 
先生は夢二の作品(夢二式美人画)の特徴を次のように
指摘されました。
この特徴が夢二作品の、大衆の心をわしづかみにし、
人気を博する大きな原動力になったのでしょうね。
1.大きな伏し目がちの瞳 2.細身でねじれた肢体
3.大きな手足 4.文様を見せる衣装
5.小道具による物語性。
 
先生は、皆の夢二に対する理解を深めてもらうために
たくさんの作品を、プロジェクターで紹介され
聴衆一同、夢二の世界に浸らせて頂きました。
 
笠井彦乃の作品も見事であり、夢二にも影響を
与えたのでしょうね。
 
三度金沢に来た夢二は、絵画、短歌、小説 等により
金沢を生き生きと活写したのでした。
夢二の金沢に対して抱いた愛の様子が分かります。
 
金沢出身の「岸たまき」はもとより
夢二に、かようにも影響を与えた金沢のまち、そして彼と
親交を結んだ金沢の人々のこと、を伺って
夢二と金沢の緊密な結びつきが良く理解出来ました。
 
本日の講演で、夢二ファンが一挙に増えたことだと思います。
太田先生、どうも有難うございました。
 
そして太田先生の夢二に対する愛の深さが伺えて、
本当に心温まる講演でした。至福のひとときでした。
 
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2023年3月19日

木越先生の、前田家安泰化の礎固めについての、明瞭なる絵解きの如き講演

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今から約3年前(令和2年2月15日)、日本近世史のスペシャリスト 木越隆三先生
(現在 金沢工業大学客員教授)の講演会を催させていただきました。
NHKブラタモリの金沢編のときに、タモリ・桑子さんご両人の案内役を見事に
務められたときと同様の、明瞭な語り口、明確な説明により、講演会聴衆の
旺盛な知識欲に充分応えて頂いた、あの木越先生の、待ちに待った久々の、
その時以来の講演を、本日(令和5年3月18日)再び挙行できる運びとなりました。
 
本日のテーマは「前田利常と三人の息子たち」という、
加賀藩の発展及び分家の生誕に関わる、加賀藩にとっては大いなる岐路の
時期のお話でした。
 
先生は、当テーマを分かりやすく解きほぐすために、豊富な資料を
皆に配布されました。
(『前田家と徳川家、皇族との関係を俯瞰できる、とっても工夫された
家系図』、『「利常と三人の息子たち」について詳説した資料』、『関ヶ原合戦直前の
利長の苦悩を綴った書状(村井豊後長頼宛)』などの資料。)
これらを引用されながら明解に、明瞭に、利長から利常、その三人の息子たち、
そして綱紀、にいたるまでのこの時期の前田家の、苦境を切り抜けるための工夫、
賢策、の数々を我々の前に絵解きさながらに説明して頂きました。
3年前の前回講演通りの、明瞭な語り口、明確な説明の再現でした。
 
『前田家と徳川家、皇族との関係を俯瞰できる家系図』は前田家と徳川家の
緊密な関係を示しており、光高以降は前田家は単なる外様大名ではなく、
徳川の親戚大名であったわけです(徳川家光政権下では徳川の「家門」待遇であった。
利常は水戸、伊達、島津と並び1626には中納言に昇進)。
ことに、徳川家康の子孫の中には将軍に非協力的な者もいて、徳川家と縁戚
となった前田家は頼りになる存在であったこと、光高、利次、利治は
徳川の血筋を引き、幕府から見て、特別な存在になっていたこと、
それらのことが加賀藩の安寧安泰に大いに寄与したことなどが説示されました。
 
最後に先生は、『関ヶ原合戦直前の利長の苦悩を綴った書状』を解説されました。
この書状は利長の、利政に対する不満を述べた書状であり、
宛先は利長から村井豊後長頼宛のものでありますが、いずれは
母の芳春院の目に留まることを想定してのもので、弟 利政との仲たがいを
芳春院に悟られまいとする苦心の書状であり、利長の苦悩が
ひしひしと伝わるものでした。
 
大藩 加賀藩の安泰の基礎を築いた、前田家の利常及びその前後の
名君たちを詳説した講演でした。
利長の偉大さが充分伝わります。
利常の偉大さも充分伝わります。
 
とまぁ 先生の話の概要は以上の如くです。
タイトルは「利常と三人の息子たち」でありましたが、先生の一番強調
したかったのは、利常の大活躍のさま だったと拝察しました。
珠姫の入輿時あたりの利長の苦労も、多大なものがあったでしょうが、
そのあとを継いだ利常の苦労、功績も多大なものがあったわけですね。
 
藩内での内政における人事面、経済政策面(EX 改作法等)、そして
徳川との関係を穏便に運ぶための外交面、大坂両陣などにおける軍事面、
等々においての利常の活躍には目を見張るものがあったわけです。
 
まさに利常は「名君」であったわけですね。
 
ざっと1時間半、木越先生の講演はまことに密度の濃いものでありました。
史実に忠実に基づいてのものでありながら、どこかしらドラマティックな
展開で、歴史ロマンがそこかしこと漂う、名講演でした。
 
聴衆一同、加賀藩、前田家の名君たち、に対する誇りの念が一層強まった
講演となりました。
聴衆一同を代表して、木越先生に心から感謝申し上げます。

2023年2月25日

彦三町 Y氏のプリペイドカードコレクション展

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金沢市彦三町 Y氏がコレクションされたプリペイドカードの展示です。

1982年の、旧電電公社発行のテレホンカードを皮切りに
様々なプリペイドカードが発行され、商品、サービスの購入時の支払いが、
電磁的に記録されている金額(残額)の範囲内でキャッシュレスになるという、
今日のキャッシュレス決済の先駆けとなりました。これらのカードの表面には
様々な、色鮮やかでポップな写真、絵柄がプリントされています。
これらの、描かれている写真、絵柄をジャンル別に並べました。
懐かしいものがたくさんあり、時代の移ろいが感じられます。
また、これらの商業的・広告的価値も高いと確信します。

じっくりとご覧ください。( 全部で 514枚 の展示 )

( カード種類 : テレホンカード、図書カード、オレンジカード、クオカード、
ハイウェイカード、ユーカード、ふみカード、メトロカード、イオカード、
ENEOSプリカ、スルッとKANSAI、SFメトロカード、えふカード、ファミリーマートカード、
マックカード、堺・住吉まん福チケット、都営まるごときっぷ、1-DAY OPEN TICKET、
パールカード )
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展示期間は、令和5年2月25日(土) ~ 5月24日(水)まで。
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2023年2月19日

藪田さん 徳田秋聲文学の神髄に迫る

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徳田秋聲記念館 学芸員 藪田由梨さんを講師にお招きするのは
今日(令和5年2月18日)で5回目です。
大変お久しぶりで、5回目ともなりますと
当講演会の、いの一番のレギュラー講師の方です、とご紹介させて頂きたい
くらいです。
 
どのくらいお久しぶりであるかと言えば、4回目のご登壇は、令和元年9月21日でした。
つまりコロナ以前だったわけです。
 
以降、コロナにより藪田さんの予定された講演が中止を
余儀なくされたこともありました。
 
実に3年と5カ月ぶりの講演です。待ちに待った講演です。
 
コロナが完全に終息したわけではありませんが
藪田さんの講演をまた開催できることは感無量で
喜びもひとしおです。
 
以前の、当ブログにも書きましたが、
薮田さんを通して「徳田秋聲」を聴くのか、「徳田秋聲」解説を介して「藪田さん」を聴くのか、
どちらも大変価値のあることで、徳田秋聲論は、藪田文学論、藪田学、の一部のような
感すらあるのであります。
 
本日のテーマは「徳田秋聲の先進性 ~ 生誕150年を終えて ~」です。
 
瀟洒な洋服(スーツ)に身を包み、蓄音機でレコード音楽を楽しみ、社交ダンスに
興ずる秋聲は、まさに時代の先端を行く「先進性」に富むダンディーな作家だったようです。
 
本日の藪田さんの講演は、上記の「先進性」とは勿論違います。
 
秋聲文学を、解き明かし、その神髄に迫るために、先ず秋聲文学の特徴を
キャッチフレーズ的に藪田さんは「先進性」と言い放ったのではないでしょうか。
 
(以下の、(筆者である、当館係員である私の)当講演会の報告は、文学について
浅学菲才である筆者の力不足で、藪田さんの云わんとされていたことから
ずれるところ、逸脱するところがありましたら、どうぞお許しくださいませ。)
 
自然主義文学の大家たる秋聲の、作品における自然主義的描写、人間観察、淡々とした
話の進行・展開、こうした自然主義そのものを純粋に作品に籠めた秋聲文学、に対する
的確で、強力な理解の手助けツールとして、「先進性」というものを
藪田さんは提示されたのかなと思いました。
 
講演全体を通して、藪田さんは、秋聲作品のあちこちから秋聲文学の特徴、
当時としては類まれなる「先進的考え」の表現されている箇所を指摘されました。
 
例えば、芸妓も令嬢も、何ら変わらぬ人間にて、その生活のありのままを
何ら虚飾なく、加飾なく、生きざまの良いの悪いのという評価もなく描いて行く、といった
文芸的態度は、それまでの旧い価値観から大きく脱却する方向性を示したのではないか、
そこに秋聲の「先進性」の最たるものがあったのではないか、という感を私は抱きました。
そこには、人権主義を唱道する、といった大仰な、イデオロギー的なもの、ではないと
思われますが、深い人間愛を底流とした、秋聲の人間凝視の文芸活動があった
のでは、と思われました。
 
藪田さんは他に、秋聲の作品以外に、秋聲並びに秋聲文学を深堀りすべく
他の作家、評論家たちの評論、談話(秋聲自身の談話もあり)を例示され、
秋聲文学の神髄へと、我々をいざなって下さいました。
 
人それぞれぶんの、その数だけの、誰からも(共有もされず)とやかくも言われない
人生があり、それらを秋聲は、そっと、何の干渉もせず、優しく尊重していたのだろう、
と藪田さんは伝えてくださったような気がしました。
 
秋聲文学を愛読した(今後も愛読する)人たちは、秋聲を読むのは読後の
昂揚感を得たいからではなく、秋聲作品の中の、人々の平凡な生活、
他愛もない遣り取り、の描写の中に安らぎを求めているのではないか、
不幸を描写する話の中にも、なるべくしてなった不幸ではあるものの、
そこには何か知らぬ、運命の落ち着く先の安定、を求めているのではないか、
と思えました。
(秋聲作品には、「無印良品」的な風味が横溢している? これ全くの私見)
 
藪田さんは当講演会でも、かつて「中原中也」論を熱く語って頂きましたが、
「中原中也は歌う・・・・秋聲は歌わない・・・この対極をなす二人の文学の
間で私はバランスを取っている・・・」というようなお話で藪田さんは締められました。
そうなんです、その両極の世界を知悉する藪田さんの文学領域の凄さに
我々は敬意を表するのみです。
 
聴衆たる我々も勉強頑張ります、ですので藪田さん、次年度も
是非、藪田学の世界にいざなって下さい、そして文学的刺激を与えて下さい。
本日は、たいへん有難うございました。
 
 
追記
本日の午前、来館された神奈川からのお客様と話をしていて、
「今日は、午後から歴史・伝統文化講演会というのがここであるんですよ」
と申し上げると
「何の講演会ですか」と尋ねられ、詳細を申し上げると
「差し支えなかったらぜひ参加させてください」といわれ
本日都合がつかなくなった4名もの(参加予定者の)方のキャンセル連絡を受けたこともあり
その方に急遽参加して頂くことになりました。
その方は神奈川の高校の、国語教師(男性)の方で、泉鏡花の研究者でも
あり、まだお若い新進気鋭の先生といった様子でした。
お聞きしたところ、慶應義塾高校の教師の方でした。
 
講演会後、藪田さんの講義に、彼はいたく感激したふうで
「たいへん勉強になりました。これからは秋聲にも取り組んでみます・・・」
といったふうなことを仰って去って行かれました。
 
何か、良いことをしたあとの清涼感みたいなものを覚えました。
 

2023年1月22日

安藤 竜さんの、この上もなく楽しい講演会でした

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久しぶりの、安藤 竜さんのご登壇です。
2018年11月18日以来の、安藤さんの講演となりました。
 
2017年9月16日に「江戸時代の近江著市場と尾張町」と題して、
そして2018年11月18日には「北前船と全国市場」と題しての
講演を行って頂きました。
途中、コロナによる講演会中止ということもあって、実に4年と2カ月ぶりの
講演となりました。
 
前回は、安藤さんのことを、金沢歴活 代表というお立場からご紹介させて
頂きましたが、今回は講演会チラシにもありますように、
「かなざわ食マネジメント専門職大学 助教」というお立場での講演です。
(従来の歴活の活動も併行してなさっており、「歴活事務所代表」という、
金沢に限定しない広範な歴活、というお立場での活動のようです。)
 
今回(令和5年1月21日)は、3回目の講演となり、「加賀藩の将軍献上と特産品」
というテーマですので、安藤さんの現在の、大学での講学分野に近いものがあるのでは、
と思っており興味深く聴講させていただきました。
 
安藤さんの講演は、史実の分類、分析に関するその正確・精緻さに基づいており、
さらに、その土地土地の歴史研究を通して、生活の場であるその土地が、そこに
関わる人たちにとっての、かけがえのない場所になり、そこの企業・地域をも
活性化することへ繋がるのだ、というスタンスに見られるように、ふんだんに
歴史ロマンへのいざない、も込められているように感じました。
 
本日は先ず、安藤さんの提示された資料の豊富さに圧倒されました。
史実に忠実にそってのお話ですから、講演というよりも
大学での講義のような感あり、です。
 
総論的には、献上という行為の、封建制度的意義(将軍と大名との主従関係に基づく
献上、領地の特産品の献上により、大名の土地支配の証拠を将軍に提示)
を明らかにされ、各論としては、節季の行事との関連、参勤交代との関連、による
献上物の様々(ヴァリエーション)を説明されました。
この、献上物のヴァリエーションに、加賀藩の実力が見て取れます。
様々な(献上対象の)産物を通して、加賀藩の特産品の特徴、農業、漁業、
食品製造・加工業、織物業、等々の各産業の実力が見て取れます。
将軍家、幕閣等への献上を行わねばならぬ状況下において、藩内の各産業
の育成ということにも繋がったのでしょう。
 
安藤さんの提供された(本テーマに関わる)膨大な資料による講義は
勿論、加賀藩の将軍献上を述べた歴史学の範疇のものだと思われますが
、当時の加賀藩の、経済地理学的な状況をも表している思われました。
 
いずれにしても、濃密かつ精緻な、安藤さんの研究結果を届けて頂いた講演と
なりました。
 
ここで特記すべきは、安藤さんの講演(講義)の進め方にありました。
 
質問はリアルタイムで良いですよ、の一言で講演が大いに盛り上がり
実に楽しいものとなったのです。
 
皆、ここぞとばかりに質問を連発しました。
 
献上の制度に関わる質問は勿論のこと、献上物である各地の特産品に
ついての細かい質問、将軍から下賜された「鷹」の返礼としての「鷹狩の獲物」
による献上の話のくだりでは、獲物のグレードの話が面白く、活発な質問が
飛び交いました(獲物のグレードは上から「鶴」、「雁」、「鴨」と続くそうで・・・)。
 
安藤さんの回答は、的確、精緻であり、また たまには脱線もし、
本日の講演テーマ以外のところでのお話も伺えて、皆 大満足でした。
 
「歴史を知れば、なんでもない場所がかけがえのない場所になる。」 との
安藤さんの、常から標榜されているスタンスが、今回のテーマの講学にも
如実に感じられました。
 
歴史に裏打ちされた、献上対象の「特産品」の流れを汲む産物は
素晴らしいブランディングを獲得できるものと思われます。
 
安藤さんの、歴史専門家としての大きなキャリア、さらには、かつて食をめぐる
ビジネスにも取り組まれたご経験がおありになる、というキャリアは、
きっと「かなざわ食マネジメント専門職大学」に新風を吹き込まれて
いるのだろうと拝察いたします。
 
安藤さんの「歴史学者」としての、ますますのご発展と、
これから到来するであろう食糧問題を抱えなければならない日本にあって
救世主となって頂きたい「かなざわ食マネジメント専門職大学」様の
ご発展を祈念いたします。
 
安藤さんの、歴史を学ぶことを通しての「地域おこし」戦略と、
「かなざわ食マネジメント専門職大学」様の、目指し、そして創出したい価値が
うまくコラボするのでは、と思っております。
 
安藤さん 本日はほんとうに楽しい講演を届けて頂き、まことに有難うございました。

2022年12月18日

鈴木大拙館の猪谷先生、大拙なる人を大いに語る

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前回に続き、思索シリーズの講演会です。
前回の「西田幾多郎」の盟友である「鈴木大拙」の世界への分け入りです。
 
本日(12月17日)の講師は、鈴木大拙館にて学芸員としてご活躍の
猪谷 聡さん(以下 猪谷先生と称させて頂きます)です。
演題は「『思索』のすゝめ ~鈴木大拙をめぐる~」です。
 
世界的規模の疫病(コロナ)の暗雲がいまだ晴れず、ロシアのウクライナ侵攻による
惨状、これによる様々な世界的規模の政治的経済的側面での、各国に
おける痛手・安全保障面での不安、経済合理主義の進んだ果ての地球環境破壊、
等々の問題が山積する現代において、前回の西田幾多郎の思索の世界、
今回の鈴木大拙の思索の世界は、我々に何らかの安寧を与えてくれるのか、
暗がる前途を照らす、ともし火・光明となってくれるのか、との期待が私(筆者)には
ありました。
以上のことより
鈴木大拙の思想の、そして彼の思想を学ぶことの、今日的意味合いの
非常に大きいことを、ひしひしと感じていました。
 
はたして本日の猪谷先生は我々に何とご教示くださるのか。
鈴木大拙の世界へ、どのあたりまでいざなって下さるのか。
講演が始まる前から、興味津々の思いでした。
 
猪谷先生の大拙論は、大拙なる人物のアウトラインを我々に提示すべく
彼の生い立ちから入りました。
 
西田幾多郎と同じく明治3年(1870年)に生まれ、父が早く亡くなったことによる
経済的困難により第四高等中学校を中退し、その後進学した東京専門学校、東大選科
いづれをも中退し、どこも卒業せずして、世界的に偉大な仏教哲学者となったわけですが、
鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に師事したことが、彼を開けさせたのでしょうね。
上記の二人をはじめ、様々な人たちとの交流を通して大拙は影響を受け、また影響を
あたえたわけです。
特に奥方となった、アメリカ生まれのベアトリス・レインからの影響は多大なものが
あったのでしょうね。
また、先生は、金沢という風土、及び金沢の教育レベルの高さの、大拙に与えた
影響度合いをも指摘されています。
 
仏教哲学者として
西洋思想の足らざるところを痛感し、仏教思想を中核とした東洋思想を西洋に向けて
伝えたかったのだと思いました。(禅についての様々な著作を英語で著し、
禅文化ならびに仏教文化を海外に広く知らしめた。)
 
 
本日のテーマは大拙の云う「思索のすゝめ」です。
一般的に考えると、思索するわけですから、頭の中で今までに獲得した知識を
フルに動員して、うんうん唸って考えるさまを思い浮かべます。
しかし、大拙の思索の世界は、私が思うに反して、そういうものではないことが分かりました。
 
大拙の秘書を務められた岡村美穂子さんの披瀝された、大拙にまつわるエピソードが
大変興味深いのです。それを先生は紹介されました。
 
その中で印象的だったエピソードが「それは それとして」です。
鈴木大拙のもとには、多くの方がさまざまな相談に来られていました。
ある時もめ事を抱えたご夫妻が来られ、その相談事を大拙は丁寧に聞いた後、
「それは それとして」と切り出して、自分の意見を述べ、アドバイスをしたそうです。
 
「それは それとして」という言葉を発しての大拙の応対には えも言われぬ深さを
感じます。
人々は悩みを抱えているときに、その負のスパイラルに陥ってしまい、何が重要なのか
分からなくなることがあります。問題を過大視したり、独りよがりになってしまったり。
視点を変えて、視野を大きく持って、何が一番大切なことなのか、を考えなさい
ということを大拙は言いたかったのではないでしょうか。
 
また、先生は大拙らしい考え方、感じ方の例として次の話を引き合いに出されました。
交友のあった「出光 佐三」が社業のことで大拙のもとに相談に行くと
「そうか、そういう問題があるのか」と大拙は述べたそうです。
それを聞いて出光さんは、肩の荷が下りたようで心が軽くなったそうです。
 
これも、私ごときではうまく説明できませんが、とても深い、示唆に富んだ応対だったと思います。
 
「そうか、そういう問題があるのか」の言葉には、含意することが多く、
いろんな意味に取れるかもしれませんが、出光さんには最大の安堵を与えたようです。
 
生きていくうえでもっと重要なもの、大切なものは何か、と大拙は問うたのかもしれません。
 
あなたの思う問題点は、それはそれで大変なことなのだろう、さぞかし お辛いことだろう、
と一旦は相談者の立場を理解し、共感し、でも視点を変えてみたらどうですか、と言いたかった
のかもしれない。
 
 
大拙の伝えたい東洋思想の最たるものとして「無心」ということがあります。
 
西洋的な思索と大いに違って、「知」にとらわれない、「知」の束縛から
逃れて自由となり、本当の大事は何か、を見つめることができること。
そのあとに訪れる心の静寂。そのような境地に達した心のありようを「無心」というのか、
と私なりに思いつつ先生の講義を拝聴致しました。
 
先生の講義の1時間半は、1時間半であって、否、単にそうではない、大拙の世界の入り口に
立たせて頂いた、時計では計れない「過ぎ去らざる時、のもたらした刻印、われわれの心中に
ずっと留まり続ける啓蒙の刻印」だと思いました。
 
猪谷先生、本日の講演、心から感謝申し上げます。
続演を是非期待させて頂きます。

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