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2019年12月20日

松尾芭蕉「月さびよ」句文懐紙 展示

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当館における、今年(令和元年)7月19日から9月11日にかけての「奥の細道330年 義仲・巴・芭蕉展」及び 9月18日から令和2年2月末頃(予定)にかけての「研究千代女展」、の貴重な資料の提供主である、俳文学愛好家でもあり また 主にこれら俳文学に関わる古文書、古記録などの文書資料についての、稀代の収集家でもある、金沢市材木町在住・小笠泰一さん が、『正岡子規から得能 文に宛てた書簡』(得能 文は正岡子規と同年代の哲学者であり また金沢の俳壇でも名をなした 俳人)、及び、松尾芭蕉が若き日の明智光秀夫婦の姿を題材にしたためた「月さびよ」の『句文懐紙』を展示されました。

今 展示中の「加賀の千代女」関連の文書資料と合わせて、これら俳句の巨匠たちの世界に触れてみませんか。

 

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2019年11月17日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 金沢を愛した室生犀星 」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第6回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 金沢を愛した室生犀星 」と題した講演会は令和1年11月16日(土)嶋田 亜砂子 さん (室生犀星記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

数十回を数える当講演会のそれぞれの講師の方々は、それぞれがご自分たちの述べたいこと、訴えたいことに 力点を置いたレジュメを用意されている。

今回の嶋田先生も、その例に漏れず、否、それ以上の 巧みなレジュメを用意されて来て、我々 聴衆を犀星理解の境地に 巧まざるして導いて下さいました。

 

今回の講演に参加した方々には、すでに犀星を充分に知悉した方もおられることでしょうが、殆どは犀星に少し触れた人、 あるいは殆ど読んだことがない人 が多かったと思われます。

嶋田先生は、講演中、犀星の、創作活動における多作ぶりを述べられました。俳句は約2000句、詩は約2000編、小説は約800編にも上るとのこと。 ( 他に随筆、評論、短歌もある )

かくも多作の犀星作品の中から、嶋田先生は、本日の講演のための 巧みなレジュメを我々に提示されたのです。

犀星についてほぼ素人の部類に属する参加者達にとっては、絶妙の(犀星作品からの)抄録でした。

 

先生は、犀星の年譜を基軸にして、犀星の恵まれない、苦難に満ちた幼少期、少年期を語り、上京後の、作家として立たんとする青年期における苦悩、葛藤を語られました。

このように年譜を追って、その節々での犀星の文学的成果を紹介されました。

 

俳句から始まり、詩、散文、随筆、小説へと至る文学的熟成の道程を説かれ、そして犀星文学の根源的下地は俳句修養から来ているのでは、 と説明されました。

 

犀星は、金沢と東京を行きつ戻りつ、その文学観においても 郷里の金沢と、(身を立てるに必須な文学修業が望める)東京とを行きつ戻りつしてたのでしょうか。

 

金沢の自然、四季の移ろい、 ことに(雪の世界の金沢の美しさ、雪の合間の金沢の空の美しさ、その身に染む清冽な雪 の時期のあとの よろず命の蘇生なる早春の候のよろこび・・・これらの、自然の廻りの横溢する「金沢」への憧憬の念が 犀星において常に在ったことだろう、と 先生の話を聞いて私(筆者)は思いました。

 

嶋田先生の、紹介になる犀星の随筆(「書斎で思ふこと」)の中の、「わけても大雪になればなるほど、その晴れ上がった爽やかに濃く藍青な空の色は、どの国土にも見られない美しさを見せて ・・・・・」などの叙述は、雪国のこの地の冬をも深く愛でる犀星の心持が如実に伝わって来るような気がします。

「抒情小曲集」覚書に見られる、郷里・金沢に対する賛美の思い、が犀星の「金沢」を愛する気持ちを佳く伝えています。

 

本日の演題「金沢を愛した室生犀星」は、嶋田先生によって、かくのごとく、犀星の心に存した「金沢愛」を色濃く提示してくれました。

室生犀星作詞にかかる県内の学校の校歌はあまたあります。

いずれも郷土・金沢に注がれた「愛」が基調になっていることが見てとれます。

「金沢」に注ぐ深い「愛」の持ち主が犀星さんだとすれば、作家「犀星」に注がれる澄んだ「愛」の持ち主こそは、嶋田亜砂子さんなのでしょうね。

 

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次回は、12月21日(土)「 金沢昔語り ~金沢弁で楽しむ昔話・飴買いゆうれい 他~ 」(講師:金澤山本蓮寺 寺庭婦人 昔話の語り手  荒木明日子さん)です。

「昔話の語り手」、「イラストレータ」、「金澤山(きんたくさん)本蓮寺(ほんれんじ)の寺庭婦人」などの、多彩なプロフィールでご活躍の荒木明日子さんのご登場です。

エンターテインメント精神溢れる荒木さん、きっと皆さんを心底から楽しませて下さることでしょう。

また当日は、実業家であり、またシンガーソングライターでもある ご友人の「瀬下由浩」さんも駆けつけて頂き、荒木さん作詞、瀬下さん作曲の お歌のご披露も予定しております。

どうぞ皆様 お楽しみに !!!********************************************************************

2019年11月6日

歴史と伝統文化講演会 特別編 ー 「 観光金沢と旧城下町の茶屋街」

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近現代の地域史、産業史のスペシャリストとしてご活躍の、金沢星稜大学教授・本康先生の特別講演が、尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の特別編として11月3日(日)文化の日、多数の参加者出席のもと、ここ尾張町老舗交流館にて行われました。

 

本康先生には、本年6月、NHK金沢局制作の「かがのとイブニング」という番組にご出演いただき、当館の展示資料をもとに、金沢市制130年というテーマで語って頂いたのが記憶に新しいところです。

 

本日の演題は「観光金沢と旧城下町の茶屋街」という、皆知っているようで しかしその歴史的背景の深淵、詳細は意外と知らないところで 皆興味津々の1時間半でした。

 

東、西、主計町の三茶屋街。言わずと知れた金沢の重要かつ貴重な観光地です。

 

今日、このように繁栄、隆盛を極めるに至ったこれら三茶屋街の、観光資源となりうるに至った 足跡、変遷を、史実を丹念になぞり、本日 本康先生は克明に明らかにして下さいました。

 

講演の概要は以下のごとくであったと思われます。

 

茶屋街には、ハード面として、美しい景観の茶屋街の建物群、ソフト面として、麗しくもあでやかな金沢芸妓の魅せる おもてなしの文化、があるわけですが、江戸時代から今日に至るまでの間においては藩政、行政の、これらに対する統制の歴史、そして これらを観光資源と見立てた行政等による保護、支援の歴史があったわけです。

 

このような藩政、行政による統制、行政等による保護・支援はこれら茶屋街に存した「光」と「影」に対応するものでした。

 

昭和7年金沢で開かれた「産業と観光の大博覧会」をきっかけとしての、金沢芸妓文化の観光資産化への道程をも 詳しく語って頂きました。

 

知っているようで知らない三茶屋街についての成り立ちのプロセス、歴史についての奥深いところが皆に明らかになりました。

 

本康先生の、深い研究の一端のご披露により、参加者の皆において、とてつもない深い学びの講演会になったことでした。

 

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2019年10月20日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 伝統の中の独自性 ~ 九谷より世界へ ~」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第5回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 伝統の中の独自性 ~ 九谷より世界へ ~」と題した講演会は令和1年10月19日(土)四代 德田八十吉 さん (徳田八十吉陶房)を講師にお招きし、悪天候にもかかわらず多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

本日は、特別講演と称して、平成22年に、人間国宝であられた三代目の父君の後を襲名された四代 八十吉さんのご登壇を頂きました。

三代・父君と同様に、あの大英博物館での展示作品を生み出された四代 八十吉さんのご登場なのです。

 

四代 德田八十吉さんは( 以下 德田八十吉さんとだけ記す )、皆様ご承知のように、近時、病気を患われ、本日の講演も、病院から駆けつけて頂くという状況でした。

開口一番、「・・・何があっても、今日の講演は、今日の1時間30分は、ここへ来て、皆さんとの 講演の約束を果たさねば・・・の思い出やって来ました・・・」と語られました。

本当に感謝、感謝、感激です。

 

そうなのです。德田八十吉さんは今 病み上がりで体調は万全には程遠いのです。 お痩せになって、声も必死で絞り出すがごとくで、しかし、その分 魂の底から訴えかけるがごとくで 我々聴衆の心の奥底に届く講演でした。

 

本日、德田八十吉さんは、豊富な画像、あるいは、テレビで放映された数々の動画等を用いられて、徳田家代々の作品の特徴、 ご自分の作品についてのヴィジュアルな紹介、解説、八十吉さんの日ごろの創作活動、作品の展示活動、 八十吉さんご自身の人となり等々、を丁寧にご説明されました。

 

そして、 徳田家独自の 色の作製秘伝( 釉薬の調合 方法 )、德田八十吉さんの作風の特徴でもある「色の グラデーションの産み出し方」の秘訣等々をも 惜しげもなく語って頂きました。

 

また、ご自身の、九谷焼作家になられた経緯をお話になられました。

明治期から続く九谷焼の名門の長女として生まれ、幼い頃から父の背中を見て育ったが、 九谷焼作家になるとは思っておられず、普通に結婚し、家庭に入るという漠然とした将来像を抱いていたが、 ご自身のルーツを再確認し、九谷焼技術研修所を卒業後、作家としての道を歩み始められたこと、 父君の亡くなられた後、四代目を襲名し、戸籍名も順子から八十吉に改められたこと。

 

しかし、陶房の経営の困難にも直面し、陶房をやめようかと思った時があった、などの苦労話もされました。

 

また、八十吉さんは、20代の初め頃、NHK金沢のキャスターをおやりになっていたので、この尾張町界隈には 思い出がいっぱい、との回顧談もされました。

 

作品を産み出すにあたっての、モチーフとなったものにも話は及びました。

陶房前の田んぼで実りの秋を迎えて風に揺れる稲穂をヒントにした『瑞穂』のお話、 代表作のひとつでもある『昇龍』のモチーフとなったもののお話、”何億光年 輝く星にも寿命があると・・・・”の 歌いだしで始まる山口百恵さんの「さよならの向こう側」の歌などもモチーフになったことがある・・・・などなど。

 

ご自身の病気のことも語って頂きました。

闘病生活をご経験されて、八十吉さんのご自身の御身と重ね合わせるように、 次の詩を紹介なさいました。

 

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病気になったら 心ゆくまで感動しよう

食べられることがどれほどありがたいことか

歩けることがどんなにすばらしいことか

新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか

忘れていた感謝のこころを取りもどし

この瞬間自分が存在している神秘

見過ごしていた当たり前のことに感動しよう

またとないチャンスをもらったのだ

いのちの不思議を味わうチャンスを

( 病気になったら (晴佐久 神父 作)  )

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八十吉さんの、死生観、覚悟を語って頂きました。

病を乗り越えられて、( リセットをして ) 今 また新しいスタートを切ったのだ・・・と。

塗り分け、重ね、その釉薬が流れて溶け合い、 その先に 神秘的にも あざやかに出現するグラデーション・・・

八十吉先生には、まだまだ その先を、そのまた先をこれからもずっと私たちに見せて頂けるように心からお願いいたします。

 

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次回は、11月16日(土)「 金沢を愛した室生犀星 」(講師:室生犀星記念館 学芸員 嶋田亜砂子さん)です。

本年度は、泉鏡花記念館の穴倉さん、徳田秋聲記念館の薮田さんが すでにご登壇されており三文豪記念館のお三方のそろい踏みとなるわけです。

犀星記念館の嶋田さんが、そのしんがりを務められることとなったわけです。

どのような「犀星」論を語っていただけるのか 楽しみですね !!!**********************************************************************

2019年9月22日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 徳田秋聲を考える」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第4回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 徳田秋聲を考える」と題した講演会は令和1年9月21日(土)藪田 由梨 さん (徳田秋聲記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

藪田さんは 当講演会でのご登壇がついに4回目となりました。歴史家の「屋敷 道明」先生以外では最多のご登壇となります。藪田さんの お話を楽しみにされている方が多きゆえの、自然な帰結なのです。

 

薮田さんを通して「徳田秋聲」を聞くのか、「徳田秋聲」解説を介して「藪田さん」を聴くのか、どうもそこのところは境界が不分明となってきている感があります。(後者は、題材は何でもよいから とにかく「藪田さん」を聴きたい、というようなことです。)

4回目のご登壇ともなれば、「藪田さん」を聴きたい、「薮田さんの文学観」に触れたい、浸りたい、というのが第一義的に目的化してきている方もおられることでしょう。

 

そういうことで、薮田さんの講演は数えて4回目。

講演の内容も回を追うように深化しています。

 

先ずもって、予めお断りをさせて頂きたく存じます。

浅学菲才の私(筆者・報告者-老舗交流館の担当係員の私)ごときでは 薮田さんの、高度な内容を有する講演を詳らかにお伝えするにつき、なかなかのハードルの高さが 眼前に聳えているのを感じざるをえません。

この報告は、まったく文学的素養の乏しい私のなせる感想文でありまして、そこかしこに間違いが あるかもしれないことをお断りしておきます。 当ブログの読者諸氏、講演会の参加者の方々、薮田先生、におかれまして、あそこは違うよ、 そんなこと言ってないよ、なんてことがありましたら どうぞご指摘ください。速やかにこのブログの 訂正をいたしますゆえ。

 

4回目ご登壇の薮田さんは、4回目ということもあり、「徳田秋聲」をじっくり煮詰めた講義を なさいました。 講演後、参加者の感想がちらほら聞かれました。

「すごかったね、素晴らしかったね」、「・・・学問でしたね(大学で聴く講義みたい・・・の意)」。

まさに、円熟の講演だったと思います。

しかるに演者たる薮田さんはというと、依然と初々しく、まるで女学生然としていて、ずっと 永遠の、鮮やかな緑の初夏のごとき若やいだ乙女の体(てい)での講演でした。

講義内容の「円熟」と、薮田さんの帯びる「新鮮、初々しさ」との対比が、ことのほか 印象深い講演でした。

 

このような(上記の)対比あるいは対極とでもいいますか、そういった相反的なものが 講演の内容にも現れていました。

薮田さんは、かつて「中原中也記念館」に学芸員として勤められ、現在は「徳田秋聲記念館」の学芸員としての 立場におありです。

両巨人に通暁されている、得がたい方なのです。

そんな薮田さん、「秋聲を考える」という当講演で、天才「中原中也」を引用・引き合いに出されました。

 

中也作「酒場にて」中の、「ほがらか」という言辞を引き合いに出され、これを対称軸に「中也」と「秋聲」をそれぞれ 対極に位置させ、「秋聲」の特徴を抽出し、「秋聲」という人を炙り出されました。

本当に見事な技法であったと感嘆させられました。

 

中也の謂う「ほがらか」とは、他人に合わせる「ほがらか」とは違い、己の気持ち、感情に素直に己を発現させること、 というふうに筆者は受けとりました。他方、「秋聲的ほがらか」とは、他人の中で他人と旨くやって行くために ことによったら 己の真情をある程度抑制しての、旨く処世できるべき心の持ちよう、態度、であると受け取りました。

秋聲作品を巧みに引用しての、具体的な「ほがらか」さの表象事例をいくつか挙げられ、また、中也の「ほがらか」に対する アンビバレンツ的感情を表す詩を引用され、はたまた、(文学の)諸大家の「秋聲」評をも例示され、まことに立体的に、遠近的に 秋聲文学というもの、秋聲の文学的態度、というものを薮田さんは聴衆の眼前に詳らかにされたのです。

私(筆者)の理解が間違っていなければ、本日の薮田さんの講演はこのようなものだったのではないでしょうか。

 

中原中也と徳田秋聲の、人を見るときの眼の角度の違い、「ほがらか」観の違い、作家・文学者としての処世観の違い、 これらの対極の妙でもって 薮田さんは、秋聲も中也をも解き明かして下さったのです。

 

「秋聲」と「中也」の双極を知悉し、これを文学的糧にされている薮田さん・・・とても良いバランスの籠められた研究者さんなのですね。

薮田さんが斯界において ますます輝かれることを祈念してこの稿を締めさせて頂きます。

そして また次の機会があることを切望いたします。( 第5回目を )

 

斯界における「恒星」のような薮田さんの講演に接して、感嘆の思いがさめやらぬうちにこの稿を起こしました。 乱文、おゆるしを。

 

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次回は、10月19日(土)「 伝統の中の独自性」(講師:徳田八十吉陶房 四代 徳田 八十吉 さん)です。

かの 徳田八十吉 さんのご登場です。特別講演と銘打っての「四代 徳田八十吉」さんの

講演です。

どうぞ お楽しみに !!!

2019年9月18日

「研究千代女」展

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松任の生んだ江戸時代の女流俳人、様々な伝説にて語られる民衆のヒロインである「 加賀の千代女」。

今回も金沢市材木町在住・俳文学愛好家 小笠泰一さん所蔵の豊富な資料の中から「加賀の千代女」に関する資料を展示させて頂きました。( 30数点。 )

本企画のタイトルである「研究千代女」展は、小笠氏の命名であります。

このように「研究千代女」展としたのは、「千代女」という存在を、伝説・小説の類から解き明かすという方法から、客観的な史実を基にした研究方法による解明へと転換させたいとする小笠氏の「強い意欲の現われ」に起因します。

展示期間は、令和元年9月18日(水) ~ 令和2年3月13日(金)まで。

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2019年7月21日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 遠藤・輝・炎鵬」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第3回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 遠藤・輝・炎鵬」と題した講演会は令和1年7月20日(土) 西塔 幸子 さん (紫錦台中学 教師)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

西塔先生は、当講演会の案内広告には、元 西南部中学・相撲部顧問と表記させていただいていましたが、これは先生が謙遜なさってのことで、本当のところは監督さんでした。

そう、今 角界の、しかも幕内で活躍している「遠藤」、「輝」、「炎鵬」の人気3力士の、中学時代の面倒を見た先生なのです。

先生は、女性ですから実技の指導はなさいませんが、部の運営面、選手の生活面など様々な面で西南部中学の相撲部に貢献なさって来ました。

 

「遠藤」、「輝」、「炎鵬」の3人の指導をなさったことは勿論です。

 

絶大な人気を誇る「遠藤」、ここのところ、その小兵から繰り出す技の切れ味でとみに人気の出てきた「炎鵬」、そして各界入りは3人の中では一番古い、大器晩成の風格を漂わす、野武士的風貌の「輝」、こんな才能豊かな大物力士3人の中学生時代を、如実にご存知の西塔先生の講演ということで、集まった参加者は、胸高鳴る思いで本日の講演に臨んだことでした。

 

先生は、「遠藤」、「輝」、「炎鵬」3人の、西南部中時代の豊富な画像、動画をお持ちになり、少年時代の彼らの様子を伝えられました。

 

小柄な炎鵬の、さらに小柄だった中学生時代の写真、輝の中3時の中学横綱(都道府県大会で優勝) になったときの写真、遠藤の当時からの風格・貫禄ある写真などは、参加者一同みなほほえましい心持で 見入りました。

また、西南部中の強くなった秘訣を解き明かすテレビ動画、平成17年時の全中大会(このときは遠藤が中心選手)の 動画、には みな感動の面持ちで見入ったものです。 ああ、あのころから遠藤は柔らかい足腰の、相撲センス抜群の選手だったんだな、との思いをみな強くしました。

いずれの写真、動画にも西南部中部員のそばには暖かくよりそっている西塔先生の姿が見られました。

監督であり先生ですから指導者たる振る舞いは勿論のことですが、常に部員達にたのもしく寄り添っている先生の姿は、 母のようでもあり、姉のようでもあり、部員の生徒たちにはさぞかし心のよりどころとなる暖かい存在だったことが 伺われます。

写真、動画を駆使して先生は、遠藤、輝、炎鵬の3人の中学生時代の様子、性格(みな素晴らしく良い性格の 持ち主)、エピソードを語られました。

西塔先生は 3力士の、恩師でもあり憧れの先生でもありましたから、今でも彼らとの行き来は続いています。 先生は、現在の3力士の様子なども語って下さいました。

そして先生のステキなのは、その降り注いだ愛情が、この3力士にととどまらないところです。 他の部員全員にも先生は等しく愛情を降り注がれました。他の部員達の、様々な分野での活躍ぶりを 紹介さたことからも先生の心持が伺われます。

いずれも微笑ましい話、感動をもたらす話ばかりで、参加者一同、西南部中出身の彼らに対する応援の意を強くしました。 「 これからは、応援の気合の入れ方が変わるね 」などの声が講演会の後、あちこちで聞かれました。

 

西塔先生、本日は素晴らしいお話をたくさん 有難うございました。 心から感謝です。

 

ときあたかも、名古屋場所の真っ最中。これを書いている今(21日午前)、3力士の活躍の報に接しています。 名古屋場所14日目終了時点で、3人とも勝って、遠藤関は9勝、輝関は7勝、炎鵬関は、幕内では初の、念願の勝ち越し決定で8勝 (輝関の千秋楽の勝利を祈るばかりです)。

 

相撲の素人の私(筆者)が、専門家の方を差し置き申し上げるのもはなはだ僭越なのですが、この場を借りて3力士にアドバイスさせてください。

 

遠藤関へ。

 

もうしぶんのない相撲巧者の遠藤関には、今の相撲の完成度をそのまま高めて行かれればと思います。 しいて希望を申し上げさせて頂ければ、突き、押しの、圧力の強い、いっぺんに相手を持って行く相手には、立会いでいきなりマエミツを狙うのでなく 突き、押しで相手を起こして、それから廻しを狙う、といった取り口のほうがリスクは少ないと思います。

 

炎鵬関へ。

 

土俵際でのせめぎあいのとき、相手に大きな相撲を取らせないように、必要とあらば内掛けを仕掛けられるような密着具合の、足の運びをしたらどうでしょうか。 内掛けはしないまでも、外掛けの構えよりは相手に大きな、引きずるような投げを打たせないような気がしますし、このほうがこちらも投げが打ちやすくなるのでは、 と思います。

 

輝関へ。

 

足の構えを、かつての小兵大関 旭国さんのように交互に斜めに構え、突き、押しを、かつての大関 清国さんのように強烈な「おっつけ」を多用して行い、 あるいは「はず押し」をもまじえて、下から上への「圧」のかけ方にされたらいかがでしょうか。 総合的には、「ニワトリを追うような」と形容された、第46代横綱 朝潮さんのような取り口が輝関には一番合ってるのでは・・・と考えます。

 

素人の私が、たいそうなことを申し上げてまことに申しわけございませんでした。

 

でも皆さん、あの美しい四股の遠藤関の横綱土俵入りを見たいと思いませんか。

 

輝関には(さきにも述べました)かつての横綱 朝潮のような取り口の横綱を望みませんか。

 

炎鵬関には、まったくの、力学的に合理的な、出し投げ、あるいは捻りの極意を極めた横綱を望みませんか。

 

 

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次回は、9月21日(土)「 徳田秋聲を考える 」(講師:徳田秋聲記念館 学芸員 薮田 由梨 さん) です。

薮田さんには今回で4回目のご登壇を頂くこととなります。

藪田さんの、軽妙で洒脱な、秋聲愛に溢れるステキなお話にまた遭うことができるのです。

みなさん、薮田さんの講演にまた酔いしれましょう。

お楽しみに !!!

2019年7月18日

奥の細道330年 義仲・巴・芭蕉展

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平安時代末期の武将「木曽義仲」と女武者「巴御前」のロマンスをテーマとしてのNHK大河ドラマを誘致しようとする取り組みが、津幡町、小矢部市、加賀市 等において行われています。

津幡町と小矢部市にまたがる「倶利伽羅峠」が舞台となった源平合戦を通して、平家を打ち負かした源氏の武将「木曽義仲」と義仲に寄り添い戦功をあげた「巴御前」とのロマンスの、テレビドラマ化推進の取り組みがなされているのです。

 

今回は金沢市材木町在住の、俳文学愛好家の小笠泰一さん所蔵の、これらに関する豊富な資料( 版本、浮世絵 等 )を展示させて頂き、上記ドラマ化へのPRも兼ねさせて頂きます。

また、松尾芭蕉の「奥の細道」紀行330周年ということもあり、木曽義仲に感銘を受け、彼を心から敬慕した芭蕉に関する資料も展示しました。

 

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展示期間は、令和元年7月19日(金) ~ 9月11日(水)まで。

2019年6月16日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 浪漫の作家 泉 鏡花」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第2回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 浪漫の作家 泉 鏡花」と題した講演会は令和1年6月15日(土) 穴倉 玉日 さん (泉鏡花記念館 学芸員)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

講演を聴き終えて、穴倉さんのあまりに濃密な鏡花のご紹介は、我々聴衆の心をとらえて離さず、我々の心の中を「鏡花」の世界を以て、たっぷりと浸して下さったことを感じました。

鏡花愛読の方々ならいざ知らず、鏡花に”あまり”、あるいは”まったく”接してない人にとり、本日の穴倉さんの講演のいかに有益であったことか・・・参加者の皆の表情からその満足感、充実感がうかがい知れたことでした。

 

講演後の質問コーナーで ある方がこんな質問をされました。

 

「 先生はなぜ鏡花を択ばれたのですか。その理由を教えてください 」

 

これに対する穴倉さんの回答が、本日の「鏡花」講演のエッセンスのすべてを言い表していました。

 

穴倉さんは こうおっしゃたのです。

 

「 私はもともと読書に教訓( 訓示めいたもの、人生の道徳的な、あるいは指針的なもの・・・という意味でしょうか )めいたものを求めてはいないのです。 鏡花作品は私を未知な世界( 異界とでもいうのでしょうか )へと連れて行ってくれるからです。そこに魅力を感じました。 」

( 筆者の聞き違い、あるいは記憶違い がなければこういうことをおっしゃたのです )

 

この穴倉さんの言葉に、泉鏡花文学の魅力が端的に言い表されているのでしょうね。 鏡花文学は、エンターテインメントの極致なのでしょうね。

 

穴倉さんは、鏡花作品の中から「義血侠血」、「照葉狂言」、「化鳥」、「由縁の女」の抄録部分を収めたレジュメを用いられて、それらの各作品に即して、鏡花の世界を私たちに伝えて下さいました。

 

いずれも金沢ゆかりの作品群です。

 

したがって

 

穴倉さんによる、鏡花ワールドのナビゲートにより、私たちも、鏡花作品の足跡を金沢の「まちなか」に辿ることができることを知りました。

戦災に遭ってない金沢は、名所旧跡、伝統工芸・芸能ばかりでなく、文学探訪の宝庫でもあることに 気づかされた1時間半でした。

 

先にも述べましたけど、講演後の質問コーナーこんな質問もありました。

 

「 先生の、一番好きな作品は何ですか ? 」の問いに

「  一番好き というのは言うに難しいのですけど、一番の最高傑作はと問われると、それは 『春昼/春昼後刻』ですね・・・・」とおっしゃいました。

 

鏡花作品を殆ど読んでない私(筆者)が、きのうから手に取って読み始めたのが、まさにこの「春昼/春昼後刻」でした。

何か不可思議な力によって鏡花世界にいざなわれている気がして ちょっとぞくっとさせられました。

 

本日、穴倉さんは、私たちにとっての、 まさに「鏡花文学」の宣教師、伝道師でありました。

有難うございました。心から御礼申し上げます。

 

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次回は、7月20日(土)「 遠藤・輝・炎鵬 」( 講師:元西南部中 相撲部顧問の西塔 先生 ) です。

郷土が生んだ、大相撲界人気の看板三力士・遠藤、輝、炎鵬の、中学生時代の興味あるお話が聞けます。

相撲ファンはもちろんのこと、相撲ファンならずとも是非聞きたいですよね。

お楽しみに !!!

2019年5月22日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」

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今年度で第6回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、令和1年度第1回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 花嫁のれんを活かしたまちづくり 」と題した講演会は令和1年5月18日(土) 鳥居 貞利 さん (花嫁のれん館 館長)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

平成28年4月にオープンした「花嫁のれん館」は、七尾の一本杉通りと小丸山城址公園を結ぶ場所にあり、 花嫁のれんをはじめとする、能登に伝わる婚礼文化の見学や体験ができる施設として、 また、憩いと交流の場として、多くの観光客、市民を惹きつけています。

本日は、この「花嫁のれん館」の館長を務められている鳥居貞利さんに、ここにいたるまでの苦労話、成功談の 数々を伺いました。

 

昨今の、七尾駅周辺の商業施設についての芳しくない話題があるなか、本日の鳥居さんのお話は、そういった 暗さを吹き飛ばす、希望に満ち満ちた明るいお話でした 。

もともと七尾は8世紀初めに「能登の国」の「国府」が設けられたり、15世紀初めには、守護の畠山氏が七尾城 を築いたりと、石川県では一番古くから繁栄していた地域ですものね。往時の繁栄ぶりを取り戻して欲しいものです。 そういう意味でも、本日の鳥居さんの講演は聞いていてたのもしく、嬉しくもなるお話でした。

カジュアルないでたちで、それでいてダンディーな鳥居さんは、パワーポイント操作のアシストのために来られた、チャーミングな美人の スタッフの方(赤尾さん)と一緒にご登場となり、かっこよい風貌のままに、講演もとてもかっこよく、味のある話しぶりを展開されました。

 

本日のテーマは「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」というものです。

 

(「花嫁のれん」の風習は、石川県を中心に北陸地方各地で見られるというものの、加賀藩の範囲の地域に限られ、支藩の 富山藩、大聖寺藩の地域には見られない、また、奥能登にも見られない、ということです。)

まちづくりのための、数々の取り組みの履歴を細かに話して頂きました。

以下にそのエポックメイキングな出来事、取り組み、成果を記しますと、

 

昭和50年、季刊誌「銀河」で千代(せんだい)芳子さんが「花嫁のれん」という表現をされました。

そして

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)創刊の森まゆみ さんの、「一本杉通りが能登の先頭を走るべき」との叱咤があり、

また

フリージャーナリストの佐々木和子さんとの交流もきっかけとなり、一本杉通りのおかみさん達(5名:ろうそく屋、こんぶ屋、仏壇屋、しょうゆ屋、陶器屋の各おかみさん達) が「花嫁のれん」を飾ってはどうかと提案し、平成16年に「花嫁のれん展」第一回目の開催の運びとなりました。 これが人気を博し、花嫁のれんの常設展示館としての「花嫁のれん館」開設につながりました。

さらには

「花嫁のれん」にまつわる話をする語り部処を一本杉通りに何ヶ所か設けました。 今では、各商店作製のオリジナル商品を館内のショップで販売するまでになっています。

さらに

「JTB交流文化賞最優秀賞」、「ティファニー財団賞伝統文化大賞」、「石川テレビ賞(オーゴットの会)」を受賞し、高い評価を得るまでになりました。

さらには

テレビドラマ「花嫁のれん」が制作・放映され「花嫁のれん」が広く認知され、「花嫁のれん号」の電車、バスも走るという運びとなりました。

「”花嫁のれん”を活かした、七尾のまちづくり」につての鳥居さんのお話をかいつまんで紹介いたしますと以上のごとくです。

 

人脈の広い鳥居さんは、あのフォークシンガー「小室 等」さんとも親交があり、小室さんに「花嫁のれん」の歌を作曲してもらい、CDも発売されています。 (「六文銭」が歌っているそうです。)

みなさん、いかがでしたか? 七尾に行って、一本杉通りに行き、七尾の歴史・文化に浸りたくなりましたよね。

そして「花嫁のれん館」に行って、その色鮮やかさを鑑賞し、「花嫁のれんくぐり」体験はいかがですか。

 

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次回は、6月15日(土)「 浪漫の作家 泉鏡花 」(講師:泉鏡花記念館 学芸員 穴倉 玉日 さん) です。

お楽しみに !!!

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