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2023年9月9日

当講演会レギュラー安藤先生の、円熟の講演

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安藤 竜先生の、当講演会におきましては4回目のご登壇です。
(安藤先生は、現在「かなざわ食マネジメント専門職大学 助教」として
歴史学を講じられています。また「金沢 歴活 代表」としてもご活躍です。)
第1回目のテーマは「江戸時代の近江町市場と尾張町」、
第2回目は「北前船と全国市場」、
第3回目は「加賀藩の将軍献上と特産品」、
そして今回(令和5年9月9日)は、「江戸時代の村の鉄砲と鳥獣害」
というテーマでした。
 
先生の講演は、歴史認識において解りやすい指摘をされていることは勿論ですが、
これらのテーマの変遷を辿れば、江戸時代における加賀藩の
商業史、経済史的側面を多大に含んでいます。
 
「その土地土地の歴史研究を通して、生活の場であるその土地が、そこに
関わる人たちにとっての、かけがえのない場所になり、そこの企業・地域をも
活性化することへ繋がる」のだ、という、先生の一貫したスタンス、ポリシーに
に裏打ちされているようなテーマの変遷、と見て取れます。
 
ところが本日の先生の講義は「江戸時代の村の鉄砲と鳥獣害」というテーマであり、
ところどころに加賀藩の各農村での鉄砲所持数、「鉄砲、火薬の下げ渡し数」
の説明のところで特定の地区が出てきましたが、特定の地区地区が
歴史的に包蔵しているストーリーの展開による、地域起こし的な講演では
ありませんでした。
本日のテーマを解き明かすべく、全くの、史実に忠実な講演でした。
しかし、講演後、先生と少し話する機会があり、そのとき分かったことですが、
今回のテーマは、最近先生がものされた大論文がその出典だったのでした。
論文ですから、硬いところもあるでしょうに、解りやすく、軽妙に語られた
この講演は、安藤先生ならではこそ、のものでした。
 
江戸時代になぜ各村々に鉄砲があったのか、それは「鳥獣害」対策の
ためであったのだ、という事実を、先生は幕府の政策(ex 生類憐みの令)の変遷、
加賀藩の政策の変遷、の裏付けのもとに、詳細に説明されました。
 
安藤先生の提供された(本テーマに関わる)膨大かつ整った資料による講演は
いつもの如く、精緻極まるものでした。
「刀狩り」があったのになぜ鉄砲が村の農村にあったのか、当時は鉄砲は
農村にあっては武器というよりも農具、猟具であったのだ、などとか、
村での鉄砲の管理体制の変遷(緩やかな管理体制から厳格な管理体制へ)など
、聞いていてそういうことだったのか、と納得できる説明がいくつも語られました。
 
鉄砲を農具・猟具とまで言わしめるほどの「鳥獣害」があったことが、農村における
鉄砲所持数にも表れています。
幕府の、あるいは各藩の政策にも「鳥獣害」対策が表れています。
今まで知らなかったことが次々に語られました。
新しい知識を仕入れられたことの快感を感じました。
 
安藤先生の、このような、毎度の明瞭、明解な講演・・・というよりも講義は
尽きるところがありません。
聞いていて、スカッと分かった、解った、という快感に浸れるのですね。
 
ところで安藤先生の、語り口、語り調子に、今回 初めてその特徴に気がつきました。
 
先生は、毎回 講演の冒頭に自己紹介をされます。
そのなかに、兵庫の生まれ、育ち、ということをいつも仰います。
 
そうなんです・・・講演の途中から、標準語調の話しぶりが、どこかで関西イントネーションに
どんどん変わってゆくのです。
 
先生が意図して、テクニカルにそうなさっているのか、自然にそうなってしまうのか
解りませんが、これが安藤先生の素晴らしい持ち味だと感じ取りました。
 
これが聴衆に和みを与え、フレンドリーな雰囲気を提供するのです。
そのこともあってか、講演後、多くの質疑応答がなされました。
 
次はどんなテーマを引っ提げて 登壇されるのかな~と今から楽しみです。

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