2015年11月25日
第1回 金沢マラソン 感動のお話
金沢マラソンの応援メガホン(沿道応援MAP付)
久々のブログです。最後にアップしたのは5月28日です。 よって約半年ぶり、というわけです。 この間、当館生活において面白い話は無かったわけでなく(いや、結構あったのですけど)単なる私のナマケ癖の しからしめるところなのです。
以下、久しぶりの感動ストーリー(感動話としては、26年11月14日アップの「津軽のひと」、今年の3月26日アップの 「新幹線が人の温かさを連れてやってきた」以来)です。 では、いつもの「である」調に戻りまして・・・
いよいよ第一回 金沢マラソン当日。 当館は、マラソンの「応援者おもてなしスポット ― ちょっとよるまっし」7会場の1つとなっていた。 ( 主催:金沢マラソン組織委員会、かなざわご近所コラボプロジェクト )。 よって、当館にはマラソンスタート前から多くの応援者が集まっていた。
(応援者おもてなしスポット「ちょっと よるまっし」)のチラシ
午前9時に広坂通りをスタート。兼六園下を通過し橋場町の交差点を左折し尾張町大通りから武蔵を抜け金沢駅東口で折り返して・・・ という具合にコース展開するので、ランナー達は当館前を通る(走り抜ける)ことになっていた。 スタート地点から当館前までは、2Km弱であるから、先頭は当館前を9時6~7分に駆け抜けることになっている。 9時スタート時点では雨足は強かった。当館前の尾張町大通り沿道にはすでに大勢の応援の人たちが詰めかけていた。 雨空を心配する会話がアチコチで囁かれていた。9時7分頃、予想通り先頭のランナーが当館前を通過し、 少し遅れて、いかにもマラソン選手然とした数人が駆け抜けた。
『沿道の人たちは応援メガホン片手に懸命に声援を送った・・・』と型どおりに書いても、 大多数は、めったに応援などしたこともない人達だろうから、応援と言ってもランナーとの間に一定の距離感を保ち、 ちょっと照れくささの感覚もまじえながらのもの、というふうにありきたりには受け取られることだろう。
事実、最初の頃はそういう感はあった、私も含めて・・・ランナーが20~30人走り抜けるまでは・・・。 ところが、応援者たちの様相は変わっていった。否、その後のランナーの人たちが変えていった、と言ったほうが正確だろう。 家族、友人、職場の同僚等々、顔見知りのランナー達に対して投げかけられる暖かい声援・応援、これに対する、いろんなジェスチャーを 混じえての(ランナーからの)応答があちこちで見られ始めた。 それだけではない、顔見知りでもなんでもない応援者とランナーとの間でも、応援者のエールとこれに対するランナーの受け応えが 交わされ始めた。 次第になりふり構わぬ、心底からの応援と変わっていったのだ。
「ガンバレー !!!」、「マイペース マイペース !!!」とか「ファイト !!!」などの声援に対して、 にこっと笑みを浮かべ手を振り応えるランナー達、目と目があっただけで手を振って応えてくれるランナー達。 このころから一挙に声援のボルテージが上がりだした。 私も、最初とは打って変わってあらん限りの、声を振り絞っての応援となっていった。 応援者もランナーも一体となっていった。走り出してからまだ2Km弱の地点なのに、感動があちこちに渦巻いていた。 ランナー達の快走、腹の底からの声援がかもしだす、応援者の心の中に湧き起る快感。雨は次第に上がり始めていった。
とその時。 一人の長身のランナーが私の前を過ぎて数メートルばかり行ってから振り向きざま、 「昨日は、カサ、どうも有り難うございました !!! 」と手を振って走り抜けていった。 瞬時に意味を理解した私は、「こちらこそ~ !!! しっかりガンバレー !!!」と応答した。
前日の14日、明日マラソンに出場する、という人たちが合計で10人くらい来館した。 その日は午後から小雨模様となってきた。当館は「置き傘」スポットになっているので、この日は何人かの来館者に傘を貸した。 その中の、新潟は柏崎から来られた数人の方にも傘を貸した。「明日、私たち金沢マラソンに出るんですよ」 「あっ そうなんですね。この前の通りもコースに入ってます。応援しますよ」と会話したのを瞬時に思い出したのだ。 4人さんがマラソンに出るとのことだった。
前日来館の柏崎からのランナーの方の、走りながらの言葉かけに感激し、私の応援のボルテージはますます上がっていった。 それから30人くらいおいて、今度は深々と目礼しながら手を振って過ぎ行くランナーがいた。この方も傘を貸した柏崎組の中の一人である。 その後、また時間をおいて、集団の中で手を振り「傘、有難うございました」と礼をしながらのランナーが2人(その2人も同時に目の前を走って行ったのではなく、ある程度の距離が離れていた)駆けて行った。そのたびに感動で胸が打ち震えながら私は、声を枯らして「ガンバレー !!! 」を繰り返した。 いずれも前日の、柏崎からの来館者の方々であった。
尾張町通りは、レース序盤の場所であるからまだ余裕があるのだろうが、とはいえ応援の群衆の中で、走りながら私を探せるものなのだろうか? 探し当てたとして礼など言う余裕があるのだろうか? 私がその立場ならそうできたであろうか?
この柏崎の4人さんのとった、4人そろいも揃っての行動は、心底から私をいたく感激・感動させた。 このことは単なる美しいスポーツマンシップのあらわれ、と捉えるべきなのか。 義理堅き性善なる人の心のあらわれ、と捉えるべきなのか。 否々、そんな定型的なものだけでは説明はつかない。それはおそらく、応援というものを介して、ランナー達と応援者達との間に、自然と 泉のごとく湧き出た感動の心が生み出した産物だったのではなかろうか。
金沢マラソン。
ランナー、応援者、一体となって感動を共有できた金沢マラソン、そのコース取りの良さから 城下町金沢を思いっきり堪能できた金沢マラソン、駅西地域の新生金沢の勢いも発信できた金沢マラソン。
来年以降のさらなる発展を願ってやまない。