2023年2月19日
藪田さん 徳田秋聲文学の神髄に迫る
徳田秋聲記念館 学芸員 藪田由梨さんを講師にお招きするのは
今日(令和5年2月18日)で5回目です。
大変お久しぶりで、5回目ともなりますと
当講演会の、いの一番のレギュラー講師の方です、とご紹介させて頂きたい
くらいです。
どのくらいお久しぶりであるかと言えば、4回目のご登壇は、令和元年9月21日でした。
つまりコロナ以前だったわけです。
以降、コロナにより藪田さんの予定された講演が中止を
余儀なくされたこともありました。
実に3年と5カ月ぶりの講演です。待ちに待った講演です。
コロナが完全に終息したわけではありませんが
藪田さんの講演をまた開催できることは感無量で
喜びもひとしおです。
以前の、当ブログにも書きましたが、
薮田さんを通して「徳田秋聲」を聴くのか、「徳田秋聲」解説を介して「藪田さん」を聴くのか、
どちらも大変価値のあることで、徳田秋聲論は、藪田文学論、藪田学、の一部のような
感すらあるのであります。
本日のテーマは「徳田秋聲の先進性 ~ 生誕150年を終えて ~」です。
瀟洒な洋服(スーツ)に身を包み、蓄音機でレコード音楽を楽しみ、社交ダンスに
興ずる秋聲は、まさに時代の先端を行く「先進性」に富むダンディーな作家だったようです。
本日の藪田さんの講演は、上記の「先進性」とは勿論違います。
秋聲文学を、解き明かし、その神髄に迫るために、先ず秋聲文学の特徴を
キャッチフレーズ的に藪田さんは「先進性」と言い放ったのではないでしょうか。
(以下の、(筆者である、当館係員である私の)当講演会の報告は、文学について
浅学菲才である筆者の力不足で、藪田さんの云わんとされていたことから
ずれるところ、逸脱するところがありましたら、どうぞお許しくださいませ。)
自然主義文学の大家たる秋聲の、作品における自然主義的描写、人間観察、淡々とした
話の進行・展開、こうした自然主義そのものを純粋に作品に籠めた秋聲文学、に対する
的確で、強力な理解の手助けツールとして、「先進性」というものを
藪田さんは提示されたのかなと思いました。
講演全体を通して、藪田さんは、秋聲作品のあちこちから秋聲文学の特徴、
当時としては類まれなる「先進的考え」の表現されている箇所を指摘されました。
例えば、芸妓も令嬢も、何ら変わらぬ人間にて、その生活のありのままを
何ら虚飾なく、加飾なく、生きざまの良いの悪いのという評価もなく描いて行く、といった
文芸的態度は、それまでの旧い価値観から大きく脱却する方向性を示したのではないか、
そこに秋聲の「先進性」の最たるものがあったのではないか、という感を私は抱きました。
そこには、人権主義を唱道する、といった大仰な、イデオロギー的なもの、ではないと
思われますが、深い人間愛を底流とした、秋聲の人間凝視の文芸活動があった
のでは、と思われました。
藪田さんは他に、秋聲の作品以外に、秋聲並びに秋聲文学を深堀りすべく
他の作家、評論家たちの評論、談話(秋聲自身の談話もあり)を例示され、
秋聲文学の神髄へと、我々をいざなって下さいました。
人それぞれぶんの、その数だけの、誰からも(共有もされず)とやかくも言われない
人生があり、それらを秋聲は、そっと、何の干渉もせず、優しく尊重していたのだろう、
と藪田さんは伝えてくださったような気がしました。
秋聲文学を愛読した(今後も愛読する)人たちは、秋聲を読むのは読後の
昂揚感を得たいからではなく、秋聲作品の中の、人々の平凡な生活、
他愛もない遣り取り、の描写の中に安らぎを求めているのではないか、
不幸を描写する話の中にも、なるべくしてなった不幸ではあるものの、
そこには何か知らぬ、運命の落ち着く先の安定、を求めているのではないか、
と思えました。
(秋聲作品には、「無印良品」的な風味が横溢している? これ全くの私見)
藪田さんは当講演会でも、かつて「中原中也」論を熱く語って頂きましたが、
「中原中也は歌う・・・・秋聲は歌わない・・・この対極をなす二人の文学の
間で私はバランスを取っている・・・」というようなお話で藪田さんは締められました。
そうなんです、その両極の世界を知悉する藪田さんの文学領域の凄さに
我々は敬意を表するのみです。
聴衆たる我々も勉強頑張ります、ですので藪田さん、次年度も
是非、藪田学の世界にいざなって下さい、そして文学的刺激を与えて下さい。
本日は、たいへん有難うございました。
追記
本日の午前、来館された神奈川からのお客様と話をしていて、
「今日は、午後から歴史・伝統文化講演会というのがここであるんですよ」
と申し上げると
「何の講演会ですか」と尋ねられ、詳細を申し上げると
「差し支えなかったらぜひ参加させてください」といわれ
本日都合がつかなくなった4名もの(参加予定者の)方のキャンセル連絡を受けたこともあり
その方に急遽参加して頂くことになりました。
その方は神奈川の高校の、国語教師(男性)の方で、泉鏡花の研究者でも
あり、まだお若い新進気鋭の先生といった様子でした。
お聞きしたところ、慶應義塾高校の教師の方でした。
講演会後、藪田さんの講義に、彼はいたく感激したふうで
「たいへん勉強になりました。これからは秋聲にも取り組んでみます・・・」
といったふうなことを仰って去って行かれました。
何か、良いことをしたあとの清涼感みたいなものを覚えました。