2026年7月18日
藪田さん、秋聲の普遍性をついに説示
当講演会において最多出演となる、徳田秋聲記念館 学芸員 藪田さんは、
今回(令和8年7月18日)の講演で9回目を数え、他を圧する登壇回数となりました。
この間、秋聲の、杳として掴みづらい文学的価値、文壇的立ち位置を
藪田さんは、秋聲作品の文例や他者の評論を様々引用され、解き明かして
来て頂きました。
回を重ねるごとに、我々聴講者の理解度が高まって来ていました。
そして本日、ついに我々の認識中に、徳田秋聲像がクッキリと展開されたと
いうべきでしょうか、徳田秋聲さんの文学的価値の普遍性が明らかに
なった、という感想を抱いております。
言い換えれば、徳田秋聲さんの文学的効用の、現実的妥当性を
藪田さんは解明的に説示されたわけです。
話は前後しますが、本日のテーマは「 昭和100年、秋聲の復活 」でした。
まさに、本日のテーマのごとく秋聲さんは不死鳥の如く復活されているのだと
思いました。
藪田さんの本日の講演は、「町の踊り場」を切り口にしての
秋聲文学の神髄の解析、解明でありました。
舞台が金沢であり、それも尾張町なり新町などが出て来て我々にとり
非常に感覚的に捉えやすい作品でありますので秋聲へのアプローチが
たやすく感じられました。
時折藪田さんは、お得意の中原中也の文学手法との対比を交えたり、
また、他の文人たち(川端康成、近松秋江、室生犀星、広津和郎、
正宗白鳥、坂口安吾)の秋聲評をところどころに引用され、
秋聲文学の正しい読み方、味わい方を教授されました。
繰り返しますが、本日のテーマは「 昭和100年、秋聲の復活 」でした。
まさに、当テーマ通りに、秋聲文学の価値の普遍性が、錯綜する現代社会に
程よく適合し、秋聲文学の社会に対する貢献の永遠性を藪田さんは
示唆された如くでした。
藪田さんの引用された、正宗白鳥の
「・・・秋聲氏の作品は、・・・衒気稚気を全く脱した、灰汁の抜けた、枯れた、
錆びた、名匠の所作・・・」という解釈が私には大いに腑に落ちました。
藪田さんは作品「のらもの」から
「『金さへあれば私達もさう不幸ではない筈はずなのに。』
あわたゞしい電車の吊皮にぶら下りながら、晴代はつくづく思ふのだつた。
それもさう大した慾望ではなかつた。月々の支払が満足に出来て、
月に二三回暢びりした気持で映画を見るとか、旅行するとか、
その位の余裕があればそれで十分だつた。」
・・・という個所を引用され、この考えは、今でも通用する、一般の人々の
持つ、偽らざる価値観なのではないか、と喝破されました。
この故に秋聲文学は、今でも価値を持ち、また、今こそ再び輝きを
持つのではないでしょうか・・・そんな本日の感想を抱きました。
閑話休題。以下藪田さんによるご紹介。
「岩波文庫創刊100年」という特設サイトがあり、その中で
「読者リクエスト復刊2027受付」というのがあるそうです。
皆さん、このチャンスに、秋聲文学の究極的結実である作品「縮図」に一票を。
というお話でした。
かくして、藪田さんの9回目の講演は、皆の大いなる感嘆とともに終演しました。
次回も、爽快、痛快極まる「藪田節」を、藪田さん是非ともお願いいたします。
