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2025年5月17日

石田 健さん、紀尾井町事件につき唯一無二の講演

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石川県立歴史博物館 元学芸員 石田 健 氏の講演会(令和7年5月17日)の日が
ついにやってまいりました。演題は「紀尾井町事件」です。
”ついに” とは、「健さん」の当テーマによる講演は、実は令和2年度に企画されていました。
 
それが、あの悪夢ともいうべき(当時猛威を振るっていた)コロナ初年度にぶつかり、頓挫してい
たのでした。
この頓挫は、全くの中止ということではなく、”またの日を”との願いをずっと懐に温めさせていたもの
でした。
 
そして本日、5年越しの念願が実って、石田 健 氏の(本日の)講演が実現したわけです。
 
明治新政府のトップリーダー(内務卿)大久保利通暗殺事件である「紀尾井町事件」は、
明治11年5月14日に起こりました。
 
暗殺犯は、石川県士族の島田一郎ほか4名の石川県士族と島根県士族1名の
計6名です。
明治新政府のトップリーダーの暗殺という大事件にかかわらず、この事件は
通常の歴史の教科書には載っていません。
石田氏は
この事件の明治新政府における歴史的位置づけ、意味合い、このころの士族反乱
それぞれの持つ多様性、を解き明かして頂きました。
また、
首謀者の多くが石川県士族であったことの意味合いを石田氏は詳説されました。
 
石田氏は、深堀りされます。
石川県士族による反政府運動は(建白書をもって意見を訴えても聞き入れてもらえなかった
こと等により)言論をもっての訴求の代りに、武力に訴えるべきだ、との思想が強くなったこと
が、この事件の根底にあるのではないか。
また、幕末の王政復古での政局や、鳥羽・伏見の戦いにおける加賀藩のなすところがなかったこと
による、加賀藩に対する評価の低さの汚名を晴らすべき、といった考えがこの事件の根底には
あるのではないか。
 
メンバーの中には他県の士族もおり、この点に関しては、明治政府の、士族に対する卑劣な
扱い、等がもたらす(士族の)不満がこの事件の(大きく分けて)もう一つの要因だ、ということを
石田氏の説明から感じ取りました。
 
島田たち一派の用意周到な計画によるこの事件。
島田たちに対するシンパの数の多さ、島田たちが深い教養を有していたこと、などなど
この事件は単なるテロ事件ではないことを石田氏は説明されたと感じました。
 
明治初期の、国家としての成長を急ぐあまりの未成熟さが、士族にたいする冷酷な
処遇を施したり、というように、あちこち綻びが出て来ていたような政情下、
まさに政府のトップリーダーたる、新政府の象徴たる大久保に刃が向けられた、と
筆者は解釈しました。
 
当事件に深い造詣を持つ石田氏に、大感服し、打たれました。
このテーマに関する、まさに、日本一(いち)の講演を聴けた思いです。

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