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2025年11月22日

猪谷先生の大拙愛あふるる講演

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鈴木大拙館 学芸員の猪谷聡さん(以下 猪谷先生と称させて頂きます)の講演は
2022年12月18日以来3年ぶりです。
 
前回テーマは「『思索』のすゝめ ~鈴木大拙をめぐる~」でした。
 
そして今回(2025年11月22日)は「 火打石のころ ―  鈴木大拙、金沢を語る ー 」
というテーマです。
 
大拙が、よって立つ基盤としての、愛してやまない「金沢」がそのタイトル中に
入っています。果たして猪谷先生は何を語って頂けるのか。
 
大拙の世界観と金沢の関係は、如何なるものなのか。
以下に本日の講演の様子を報告いたします。
 
先生は、大拙の足跡を簡便にして明瞭に説明されました。
先生は、この話の中で、大拙の父、母の存在、加賀藩の
教育的気風の存在、第四高等中学で得た友人の存在、が
大拙という人物をして、思想界の巨人たらしめた重要ファクター
の一つだと指摘された、と筆者は解しました。
 
大拙は金沢市本多町生まれです。
金沢にいたのは約20年くらいでした。
 
あとは、東京、神奈川、京都、そして欧米での暮らしでした。
 
このように95歳の人生の中で、金沢での暮らしは、僅かなものです。
 
しかし、先生が語るに、英語を自在に操る大拙は、こと日本語となると
金沢訛りがずっと抜けなかったそうです。
 
否、あえて金沢訛りから脱しようとは思っていなかったのかもしれません。
むしろ金沢(弁)訛りに誇りを抱いていたのでしょうか。
 
本日のテーマである「 火打石のころ ―  鈴木大拙、金沢を語る ー 」は
金沢での幼少期の思い出のよすがなのです。
 
野田山の、母と行く父の眠る場所、への墓参の時の思い出の象徴が「火打石」なのです。
 
線香をあげ、蝋燭を灯す際の火仕事での(当時の)、必需品である「火打石」が
幼少期の金沢の思い出の象徴的存在なのでした。
 
母とともに行き、帰りに供え物を分けてもらったことが大そう楽しみだったそうです。
 
「ふるさと」と言えば、「火打石」とともに母との墓参の楽しかったことを
思い出したのでしょう。
 
拠って立てる大地、の感触。ただの広漠と感ずる地、というだけでは具体性に欠ける。
己が踏みしめる大地との連携の感触、こういう具体的事象の認識。
こういうものを喚起してくれるものが「ふるさと」だと大拙は
言いたいのでしょうか。
 
本日の猪谷先生の講演から、筆者はこのような感想を覚えました。
私の、不理解かもしれません。そうでしたら猪谷先生 どうかお許しを。
 
鎌倉 東慶寺には、大拙の墓があるのですが、その近くには
西田幾多郎、安宅弥吉、出光佐三、ら生前交友の篤かった人々が
眠っているそうです。
地縁、人の縁の強さを感じますね。
 
僅か20年の金沢生活でしたが、大拙にとっては金沢はかけがえの
ない「ふるさと」であったと思われます。
己の根を擁立させ、その後の、己が人生の幹への養生をなした金沢、
という「ふるさと」を大拙はこよなく愛し、誇りに思って
いたことだと思います。
 
猪谷先生の講演は、郷土が生んだ思想界の巨人 鈴木大拙 を
もっともっと我々が顕彰し、敬愛し、彼の思想に触れて、
もっともっと彼に学んで、皆、豊かな人生を歩むべし、
と訴えているような気がしました。
 
猪谷先生、鈴木大拙先生をもっともっと皆に紹介され、皆を
もっともっと啓蒙して頂けることを心からお願いいたします。
 
本日は大変ありがとうございました。
是非、続編をお願い申し上げます。

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