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2024年7月6日

池田先生、加賀藩の知の系譜につき熱弁!

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加賀藩については政治面、経済面においては研究の度合いが進んでいることは周知の事実
ですが、これが学術面、教育面においてはどの程度の研究がなされているのか、
ということについてふと、思いを致すこともあるのではないでしょうか。
 
江戸期、かの新井白石をして「加賀は天下の書府」と言わしめ、明治期、第四高等学校を
を誘致するのに成功し、多彩な分野での学者、文人を輩出した学都金沢、そして石川、
富山県。
 
金沢、石川、富山、の学問を尊重する土壌は、加賀藩の時代にその源が求められるわけですが、
本日(7月6日)の、池田仁子(とよこ)先生の講演(「加賀藩の知の系譜~加賀藩の知識人は
いかにして当時の社会で活躍したか~」)にて、そのあたりの事情を大変分かりやすく
豊富な資料により詳説して頂きました。
 
(池田先生は金沢市文化政策調査員としてご活躍されている近世史家です。
近時、「加賀藩知識人の躍動~近世社会と学者たち~」を出版されています。)
 
池田先生は、当講演に当たって10ページの大部にわたるレジュメを用意され、
これにそって今回のテーマを熱く語られ、詳説されました。
 
先生の講演(講義といった色彩の方が強い)は、「加賀藩の知の系譜」を明らかにし
そして、加賀藩から近代の、石川、富山へと続く、当地域の学問的土壌の成り立ちを
明らかにするための大考察、及びその過程とお見受けしました。
 
先生の講演は、1.「知識人の具体相」、そして2.「頂上的知識人から日常的知識人へ」
と、「学の流れ」の受け継がれて行く様を、豊富な事例を通し、その上での確乎たる推論で
解き明かす方法論で進められた、と思いました。
 
1.「知識人の具体相」では、儒者の金沢城内での活動ぶり、鶴来出身の儒者「金子鶴村」
の蘭学を受容してゆく様を説かれました。
 
また、金沢城下の医者の活躍、向学の様子を説明されました。
 
さらには、金沢のみならず、小松地区の学校設立状況、教育状況を説明され
小松地区の、学問熱の旺盛さを説明され、大いに興味を抱かされました。
(小松地区の教育施設としての「修道館」、「集義堂」の存在。)
 
2.「頂上的知識人から日常的知識人へ」
ここでは、主に陽明学者「中江藤樹」と需学者「熊沢蕃山」の両巨頭を取り上げられ、
これらの知識人から加賀藩への時代的・地域的・階層的拡がりを考究する、といった
アプローチ方法を先生は採られた、と感じ取りました。
 
様々な資料から、藤樹・蕃山から加賀藩領内の知識人への、「学」の受容
が読み取れる、と先生は喝破された、と感じ取りました。
 
蘭学については、第11代治脩、12代斉広、13代斉泰の歴代藩主達も
この学問を受容した、とのことでした。
 
このようにして、加賀藩の儒者、医者、科学者、教育者達は、それぞれの
本分の分野において藩社会の中で活躍し、近代への礎を築いたのだ、と
先生は結びました。
 
学都金沢は、このような淵源の上に成り立っているのだ、としみじみ
感じ取ることができ、また、誇りも一層高く持たねば、の心持にさせられました。
 
池田先生、本日は大部の講義、大変有難うございました。
 
事実解明が、精緻な領域にまで亘っていない場合、先生は、「今後要考察」とか
「さらに鳥瞰する必要あり」、とか、「詳しい考察が必要」、とか、
「さらに多くの事例を見ていくことが肝要」などという具合に、いたるところに課題を
設定されていました。
先生の、このような若々しい、エネルギッシュな学者としての態度、気構え、に
接することが出来たことによって、大きな感銘を受けたことも、是非とも
付言させてください。
 
池田先生の、今後の更なるご発展を切望いたします。
 
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