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2025年8月16日

本康先生 第9師団と日露戦争及びその影響を語る

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本日(令和7年8月16日)は金沢星稜大学特任教授 本康宏史 先生の講演の日であります。
 
先生の講演は、今回で数えて4回目になります。本日のテーマは「日露戦争と第9師団」です。
 
日本の近現代史、地域史、産業史のスペシャリストとしての先生の講演は毎回耳目を
そばだてます。金沢、石川県全体の、近現代の成り立ちの道程を如実に語って頂き、
当地に対する誇りを一層掻き立てるものがあるからです。
 
今回のテーマは、金沢の軍都ぶりを示す「日露戦争と第9師団」ですが、先生の
講演中、第2回講演(令和5年11月1日)は「軍都金沢と陸軍御用の門前町」
というものであり、その回において、
1.金沢の軍都(軍事基地)としての適格性。
2.金沢において軍事基地があっとことの名残り。
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町) 
 
・・・・・という側面から、第9師団等の軍組織を語っていただきました。
 
今回は、軍の、国のために担い、国に貢献した、軍隊としての本来的側面
の解説と予想しておりました。
 
もちろんそういう面からの説明は多々ありましたが、日露戦争での教訓が
後の大東亜戦争における日本の戦争観に大きな影響を与えたことを
先生は指摘されました。
日本の戦争史の大きな流れの指摘でした。
 
以下に本日の本康先生の講演内容を(私(筆者)の主観で)ご紹介します。
 
1.先生は、日露戦争の歴史的概略を述べられました。
概略にとどまらず、奉天、二百三高地などでの日本軍の作戦、戦術を
述べられ、また、石川県各地の神社に奉納された当該戦争の絵図、当時の写真
を用いて説明され、一層この戦争の詳細が理解出来ました。
 
特に、先生が調査団の一員として旅順、大連、奉天を訪れた際に
先生自ら撮られたかつての戦場及び戦争遺産の写真は興味あるものでした。
 
2.第九師団について
第九師団の構成を説明され、日露戦争にあっては、かの乃木希典の
指揮下に入ったとのこと。この戦争においては、当該師団は多数の
犠牲者を出しました。しかし、引き換えに第九師団はその勇名を
大いに上げたのです。
 
3.ロシア兵捕虜の扱い
各交戦の、当該師団が捕虜引き受けたわけですが、第九師団も多数の
ロシア兵捕虜を引き受けました(金沢にては約6000人収容)。
 
それが大変な厚遇をもって接したようです。
食事の豪華さのみならず、観劇、海水浴、芸妓によるもてなし、などが
ありました。
これは、当時の国際法の規定に準拠しての捕虜取り扱いだったようです。
(自国の兵士に対すると同様の遇し方をもって対応せよ、との。)
 
4.軍事力において大いに劣る日本が、大国ロシアに対して勝利を収めて
しまったことの要因を、日本軍の精神力の(他国に)勝ること、勝ったこと、
に求めてしまったことが、後の大東亜戦争、太平洋戦争にまで尾を引き、
影響し、彼我の冷静なる戦力分析を誤らしめ、無謀な戦闘状況を引き起こした
のではないか、と。
 
5.エピソードとして
「正露丸」です。あの下痢止め「正露丸」は、もともと「征露丸」と書いたとのこと。
露西亜をも征する薬、ということだったのですかね。
 
羽咋の神社に奉納されている、日露戦争の戦闘の様子を描いた絵図中に、ロシア兵
を介抱している日本兵が描かれている箇所があります。先生が発見されました。
日本の「武士道」、外国の「騎士道」精神の発露の場面が見て取れます。
 
「殺戮」の場でのことなのに。
その頃は戦争もまだ牧歌的だったのでしょうか。
 
本康先生のこのような講演は、詳細に調べ上げられた史実に基づくこと勿論ですが、
豊富な絵図、写真、といったヴィジュアルなものを豊富に引用されていて
分かりやすさナンバーワンといった趣があります。
 
日露戦争は、我が第九師団の勇名をとどろかせ、日本の国際社会での地位引き上げに
大いに寄与しましたが、他方で、この時の自信の根拠が(精神論)、後の戦争での
悲哀に繋がったのでは、と本康先生は語られたような気がしました。
 
本康先生の、近現代史論の、ほんの一端を我々は伺ったにすぎません。
ほんの一端ではありますが、知識を得られた満足度合いは夥しいものがあります。
 
本康先生の、豊富な研究成果・学識に触れられる喜びを我々は噛みしめねば
なりません。
 
本康先生、来年もまたよろしくお願いいたします。
本日は大変ありがとうございました。
 

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