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2024年11月20日

本康先生、観光鳥瞰図を駆使して粟ヶ崎遊園等観光事情を熱弁

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金沢星稜大学特任教授 本康宏史 先生の講演の日がやって来ました。
(令和6年11月16日)
先生の講演は、日本の近現代史、地域史、産業史のスペシャリストとしてのもの
ゆえ、この分野においては他の追随を許さないこと勿論ですが、
せんだって先生は栄えある「北國文化賞」を受賞され、本日の講演はより一層の
光彩を放つものであったと感じ取りました。
 
本日の講演は、石川、金沢においての、私鉄の発展と観光、というものの融合化、
そして工業振興策以外の、観光の産業化、というものの萌芽にも言及されたものだと思えました。
 
テーマは「粟ヶ崎遊園と観光鳥瞰図 ― 昭和初期の郊外遊園地」という具体的なものです。
 
(本康先生には、過去に「観光金沢と旧城下町の茶屋街」、「軍都金沢と陸軍御用の門前町」という
テーマでの講演を頂いております。全くもって「金沢」の深堀りでした。今回もそれらに増して
興味深いテーマです。)
 
本日、先生は大正末期から戦前にかけての、金沢の行楽地である「粟ヶ崎遊園」を大いに
語られ、これのライバルである「金石涛々園」にも触れられ、金沢の経済振興のために企図された
「産業と観光の大博覧会」(昭和7年)を大々的に説明されました。
この、金沢での「大博覧会」が契機となって観光というものの産業としての重要性及び価値が
当地域の人々に認識され出したのだと思います。
 
そして、今回の特色は、これらの説明において、先生は「観光鳥瞰図」を使われた点にあります。
(鳥瞰図とは、天空より見たと想像されるパノラマ風景画のこと。)
このころ(大正~昭和初期)観光鳥瞰図なるものが作られだし、鉄道路線図、風景画、
名所図の要素を有し、これが温泉地の宣伝、行楽地の宣伝・案内等、観光業の発展に寄与し
また、金沢開催の上記の「大博覧会」の盛況に向けて大いに貢献したということです。
鳥瞰図は、また、これをを眺めているだけでも楽しみをもたらし、人々の行楽欲、旅行熱を
高める効果もあったようです。
 
先生はこのようにして多種多数の鳥瞰図、当時の写真を用いて説明されましたので、
これにより「粟ヶ崎遊園」、「金石涛々園」の楽しさが我々に存分に伝わりました。
また、多大な経済効果をもたらした金沢での「産業と観光の大博覧会」の壮大さを、
余すところなく伝えて頂きました。
 
とにかく、鳥瞰図の楽しさ、明解さも相まってたいへん楽しい講演でした。
 
郊外電車と遊園地事業の連携、というビジネスモデルが金沢に存したということ、
観光推進やイベントの成否に、ヴィジュアルツールの果たす役割が大きかったということ、
(この時代の例では「鳥瞰図」ということになります。)がよくわかりました。
また、行楽地、名勝、伝統芸能、温泉地 等の観光資源を駆使して
観光というものを強固な産業に押し上げる契機が、大正から戦前にかけて石川、金沢に
存在し、今日の観光立県・石川、金沢に繋がっているのだろうと思います。
 
「観光鳥瞰図」作成の流儀は、強調したいものを分かりやすく、明瞭に訴える方式での
今日のヴィジュアルなイラストに生き続けています。
 
「北陸の宝塚」とうたわれた「粟ヶ崎遊園」、「産業と観光の大博覧会」など、
少なからず「ロマン」を希求する空気が横溢していた「大正」期から、昭和初期までの、
あの暗い戦争に突入して行く前夜のまでの時代の、金沢モダニズムの発露であると思われた
経済事象、文化事象に光を当てて本康背先生は熱く語って頂きました。
 
「観光鳥観図」、「写真」を多用されての説明は、歴史博物館草創期からスタッフとして、
展示に様々な工夫、仕掛けをこらして近代史に光を当ててこられた本康先生ならではの、
有難い講演会でした。
 
本康先生の次回が、早や待ち遠しくなりました。
先生、本日はたいへん有難うございました。
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