2023年11月12日
本康先生、「軍都」金沢の背景、意義を詳説
待ちに待った、日本の近現代史、地域史、産業史のスペシャリストとしてご活躍の、
金沢星稜大学特任教授 本康宏史 先生の講演会です。
(本日(令和5年11月1日)実施。)
実は、本康先生の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」としての
講演は今回が初めてなのです。
そして待ちに待った、とは、先生の講演は昨年の8月20日に
「軍都金沢と陸軍御用の門前町」というテーマで組まれていましたが、
猛威を振るうコロナの前に、延期を余儀なくされていたのです。
しかし、実質的には、先生の講演、講演的なものは今回で
3回目なのです。
2019年6月、NHK金沢局制作の、「かがのとイブニング」という番組に
ご出演いただき、老舗交流館の展示資料などをもとに、金沢市制130年というテーマで
語って頂いたのが第1回目(これは観客無しなので講演的なものと位置づけました)。
そして、第2回目は令和元年11月3日の尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」
の特別編として講演をして頂きました(「3茶屋街にぎわい創出」企画。このときは
「観光金沢と旧城下町の茶屋街」というテーマで語って頂きました。)
ということで今回が実質的には3回目の講演となるわけです。
勿論 テーマは昨年より持ち越しの「軍都金沢と陸軍御用の門前町」です。
皆の、最大の関心事のテーマです。
老舗交流館には、お客様から寄贈された大正8年、同12年の
金沢市街地図があります。
よく見てみると、金沢城内には、「第九師団司令部」、「歩兵第七連隊兵営」、
「第六旅団司令部」があり、また、街中には、出羽町練兵場、野村練兵場、
各種の連隊、大隊、兵器支廠があることに気づきます。
まさに軍事都市の様相です。
このように、軍隊が設置されている金沢の都市計画はどうだったのか?、
軍隊設置と金沢の経済の関係は?、軍隊と市民の関係はどうだったのか?、
よって、本日の本康先生の講演は興味津々の心持で臨みました。
冒頭、先生は 以下の各期における金沢城内の「主」は誰、と問いかけられました。
藩政期以後の期間を大きく3つに区切り、1871から1945年までと
1945年から1949年までと、1949年から1994年の3つの期間です。
上記を第一期、第2期、第3期としたとします。
第一期は陸軍の軍隊、第3期は金沢大学、とここまでは皆 すぐに分かりました。
第2期が意外とすぐに思い浮かびませんでした。
そうです、進駐軍でしたね。
先生の、この話の持って行き方で、皆、ぐっと金沢城を中心とした金沢の
軍都ぶりに思いを馳せました。
先生の本日の講演は、
1.金沢の軍都(軍事基地)としての適格性。
2.金沢における軍事基地があっとことの名残り。
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町)。
の3つに大別される、と筆者は解釈しました。
1.金沢の軍都(軍事基地」)としての適格性
金沢は、金沢城を中心に擁する城下町であり、もともと軍事基地として
好適であり、1871年(明治4年)に城地は兵部省の所管となり、
その後、歩兵第7連隊(城内)、歩兵第35連隊その他の軍事施設及び隊が
金沢に置かれました。そして、1898年(明治31年)、日露戦争に備えるべく、
第9師団が置かれたのです。
師団が置かれるのは、代表的な都市だけであり、金沢もその例に
洩れなかったわけであります。
金沢の都市としての格が大いに上がったわけであります。
先生が仰るには、師団の長たる師団長には、中将がなるもので
県知事より格が上だったそうです。
金沢駅が1898年(明治31年)に設置され、小松~金沢間に鉄道が開通しました。
同年設置の第9師団開設に沿うように、軍事目的の一環だったわけです。
よって、開設された金沢駅も軍事施設の一つでありました。
2.金沢における軍事基地があっとことの名残り
金沢は戦災に遭っていないため、様々な建築物が残っています。
軍事施設も例外ではありません。
赤レンガの歴史博物館は、元は旧陸軍兵器支廠兵器庫であることは
多くの人が知るところでありますし、近年東京から大部分を移設された
国立工芸館の建物も、もとは軍事施設を引き継いだものです。
旧陸軍の第9師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築したんでしたよね。
趣があり大変立派な建物で市民、県民の誇りですが、
先生がスライドで示された、本家の国立工芸館(東京 竹橋)はもっと立派でした。
元は、近衛師団司令部庁舎だったそうです。立派なのは当然でした。
あと、金沢城内の、軍事基地であった数々の名残の場所を先生は
スライドで示して頂されました。今後の城内散策が楽しみです。
3.軍隊駐留が、金沢にもたらした経済効果(陸軍御用の門前町)
尾張町界隈には軍需の恩恵を受けた商店等が多く残っていることを
先生は指摘されました。
テント屋さん、軍服製造が転じての学生服のお店、写真館、
干菓子を扱う和菓子屋さん、本屋さん、旅館、料亭、遊郭等々。
いずれも、軍隊関係・その家族からの需要を享受した商店等で
「陸軍御用の門前町」といえる様相でした。
軍隊が居ることで潤った例として、軍縮政策の一環で7連隊が一度
野村の方に移され、城下の街(尾張町、大手町、中町)が廃れたので
これらの街の人たちが7連隊復帰嘆願運動を行い、7連隊が城内に
戻った話を上げられ、「陸軍御用の門前町」であったことが如実に
理解出来ました。
(富山の歩兵69連隊が軍縮政策のために廃止され、代わりに
金沢の野村の地にあった歩兵35連隊が、富山に移された。
そこで、一度、7連隊が城内から、野村の地に移された。
そのために大手町界隈が廃れた、という背景があった。)
筆者の報告では、本日の本康先生の講演の充実ぶりを
何ほども伝えられていませんことを心苦しく思います。
先生の講演は、1時間半の講演時間にしては、内容豊富で、
本日のテーマ「軍都金沢と陸軍御用の門前町」を余すところなく
語って頂いています。
本康先生の、次回以降の講演が早くも楽しみになって来ました。
本康先生、長時間にわたる目いっぱいの講演、有難うございました。
大変、勉強になりました。
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