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2024年9月21日

八日市屋館長、心温まる出前講義を熱弁

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当館にお越しになるお客さんは、その大半が「ひがし茶屋街」へ
向かわれる方が多いのですが、そのほとんどの方たちは、「主計町茶屋街」を
予定コースに入れていません。そこで、たいへん風情を味わえる
「くらがり坂」経由のルートをご案内しています。
その際、目印として「金沢蓄音器館」の角を左折してくださいと、説明をしています。
そして、目印代わりに使わせて頂いた、「金沢蓄音器館」様に心苦しさを覚えて
、ここから私は力を籠めて「お客さん、お時間あれば、その金沢蓄音器館にも
是非ともお立ち寄りください。明治~昭和の、風情ある蓄音器が百数十台と
展示されています。
素敵な館長さんの解説も聞けるかもしれません。ぜひお立ち寄りを」と言うと、
時間に余裕のある方は、それではぜひ蓄音器館にも行ってみましょう、とお答えに
なられるケースがかなりあります。その時は、金沢蓄音器館を目印代わりに使い、
少し罪悪感にさいなまれた私は、ほっと安堵の胸をなでおろすのです。
 
また、近時は、金沢蓄音器館を直接の目的地として金沢に来られる方も増えてきました。
 
そんな「金沢蓄音器館」は尾張町自慢の、最高の文化施設だと、いつもリスペクトさせて
頂いております。
 
本日(9月21日)は、その金沢蓄音器館の館長、ジェントルマンの典型である
八日市屋さんの講演となりました。
八日市屋さんのお話は、金沢蓄音器館でお聞きになった方もいらっしゃるでしょうが、
本日は、いわば その出前講演ヴァージョンです。
 
テーマは「蓄音器 不思議の音 ― ふるさと・ゆかりの音 ― 」でした。
 
1時間半の講演は、あっという間でした。
八日市屋さんの、講演の途中も、終わってからも、何か暖かいものが胸中を
満たし、ほのぼのとした高揚感に包まれたことでした。
 
八日市屋さんは、昭和2年の、ビクター製の蓄音機を会場にお持ち込みになり、
これを用いて、ご持参された石川県ゆかりの、戦前戦後の10数枚のSPレコードを、
瀟洒な解説付きで聴かせて頂きました。
 
録音当時の、そのときの、そのものの自然の音が刻印されたSP盤から
件の蓄音機が、電気の力を借りずに、忠実に、機械的に音を拾い、再生する音色は
なぜか聴くものをして、何か懐かしい、和みの境地へと向かわしめました。
 
講演タイトルにもありますように、「ふるさとゆかり」の音源を再生して頂きましたので、
なおさら、聴衆の皆は堪能し、心を動かされたことだった、と感じ取りました。
 
戦前のものとして、「山中節」、あの「永井 柳太郎」の演説、北廓芸妓の「四季の金沢」、
室生犀星の作詞になる「かもめ」、金沢出身の三角錫子作詞のあの名曲「真白き富士の根」、
泉鏡花ゆかりの「婦系図」の芝居の模様、そして「婦系図の歌」、
戦後のものとして、昭和23年と34年の「石川県民の歌」、第2回金沢国体で歌われ、振付がなされ、
以来、金沢の小学生に根差した「若い力」、奥様が金沢出身である船村徹の「東京だヨ、おっ母さん」、
蓄音器館を訪れた横浜のご夫婦のエピソードが詰まった「有楽町で逢いましょう」、
昭和28年の二水高校合唱部の、合唱コンクール全国優勝時の「醒めよや風琴」、といった
数々の、石川、金沢ゆかりの歌(歌以外にも、演説、芝居)を、お持ち込み頂いた蓄音機、
SPレコードで披露して頂いたわけです。
 
各時代の蓄音機、SPレコードなどの音源、を大切にし、後世に伝え、そしてこれらを駆使して、
人々を和ませ、感動させ、音楽文化、音文化の大切さを人々に伝える「金沢蓄音器館」様の為す偉業に
感服せざるを得ません。
そして、その「金沢蓄音器館」を運営・発展ならしめた、八日市屋館長様への敬服の念を、
新たに深めることとなった本日の講演会でした。
 
八日市屋館長様、本日は有難うございました。
 
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