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2017年11月19日

歴史と伝統文化講演会 ー 近江町の不思議Ⅱ

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今年度で第4回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成29年度第6回目(今年度は全部で7回シリーズ)の「近江町の不思議Ⅱ ー 知られざる近江町市場の話 」と題した講演会は11月18日(土)、石田 順一 氏( 金沢中央信用組合 常勤監事 )を講師にお招きし、悪天候にもかかわらずたいへん多数の方の参加のもと、ここ尾張町老舗交流館にて開催致しました。

 

本日の講師を勤められましたのは、 上近江町にあります金沢中央信用組合 常勤監事の石田順一さんです。

今年の3月18日に、「近江町の不思議」と題してご登壇頂きました あの 石田 順一さんです。 前回の、ユーモアをまじえた、分かりやすい講演が大好評を博したのは 記憶に新しいところです。

今回は「そのⅡ」として、さらに近江町の市場の成り立ち、役割を 様々な資料に当たり、事情通の、多岐にわたる人たちへのインタビューを 経ての綿密な調査により、近江町市場をダイナミックに浮き彫りにされました。

 

近江町がいつから「近江町市場」になり、「近江町市場」がいつから「金沢市民の台所」 となったのか、という大変興味深いテーマが今回の「Ⅱ」の内容でした。

 

この「Ⅱ」は先回の「Ⅰ」との繋がりが深いため、石田さんは「Ⅰ」のおさらいを さらっとやって下さいました。

 

「・・・お配りした資料は2枚目までで、私を含めれば3枚目ですけど・・・」 といったジョークから始められ、ここで皆、石田ワールドに引き込まれてしまって、 氏の語り、説明の巧みさに心地よく乗せられ、終着の1時間半後があっという間でした。

 

◎近江町がいつごろから近江町市場になったのか。

 

その淵源をどこに採るかによって市場としての開始時期が異なると 説明されました。 14世紀の今市村の今市を始まりとするか、1546年の金沢御堂時代の寺内町としての「近江町」にこれを求めるか、 1580年代の青草辻での朝市が立った時期とするか、他地区の市場を集めた1721年とするか、等々 史実を 丹念にたどった諸説を展開されました。

 

こういった講義の中にも氏は、8箇所の入り口を挙げて、近江町市場の正面入口はどこ?という問いを出し 市民の生活に密着している近江町市場の開かれたあり方( 正解は全部の入口が正面入口とのこと ) を面白おかしく紹介され、マニアックに傾きがちな講義に柔軟剤をまじえられました。

 

◎近江町市場がいつごろから「金沢市民の台所」と言われだしたか。

 

昭和はおろか大正時代にまで遡って各新聞を丹念に調べられて、どうやら昭和10年代初め頃からと 突き止められました。

この事実からも、長い期間に亘っての、近江町市場の親しまれている有様が伺えるわけです。

 

◎このほかにも、近江町に関する古写真を示して、それが撮られた時代を究明されるプロセス、手法に 皆 感嘆、感心しきりでした。

 

さまざまな角度、切り口からの近江町市場の浮き彫りでした。

いたるところでジョークをまじえての講演は、参加者の脳を適度にほぐし、和らげ、理解促進の 一助となったことです。

 

お約束の1時間半は瞬く間に過ぎ去りました。

終了後、質問は出ませんでした。

なぜですって ???

それは石田さんの講義が微に入り細を穿ち、すべてが克明な説明で語りつくされ、 皆の理解・納得が100パーセントに到達したからなのでしょう。

前回同様、やんややんやの拍手・喝采で終演したことは言うまでもありません。

早くも「Ⅲ」が待ち望まれます。

 

次回は、12月16日(土)「 私の襲名 」と題する 第十一代 大樋長左衛門 氏 の講演です。皆様、お楽しみに !!!

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