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2017年1月22日

歴史と伝統文化講演会 ― 金澤町家について

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尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の今年度第8回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「金澤町家について ~  町家って何? 何が違うの? ~ 」と題した講演会は1月21日(土)、増田 達男 氏(金沢工業大学教授)を講師にお招きし、悪天候にもかかわらず多数の方の参加のもと、ここ尾張町老舗交流館にて開催致しました。

 

増田先生は、具体例満載のレジュメ、プロジェクター投影による豊富な画像を用いられて「金澤町家」を説明されました。

金沢の、古地図作成以前からの、町の生成発展の経緯・変遷の説明から始まり、

作成された古地図からの武家屋敷の数(約7000戸)、町人の家屋の数(約15000戸)を紹介され、金沢という町の、人口の集積度や、たいへんな賑わいの様子がうかがわれました。

こうした金沢の町の成立ち具合というものを、先生は参加者に充分理解浸透させたあと、

武家屋敷、侍屋敷、足軽屋敷、そして(狭義の町家である)商家のそれぞれにつき、

建築学的特徴、用途、そこでの暮らしのあり方、などを豊富な画像等を用いて解説されました。

筆者の理解が間違っていなければ、先生は、これらの武家屋敷、侍屋敷、足軽屋敷、(狭義の町家である)商家、これに(戦前あたりまでに建てられた)近代和風住宅を加えて、これらを総称して「金澤町家」と定義されました。

侍屋敷を合理化した足軽屋敷の様式は、昭和の現代住宅にまで引き継がれたとのことで、そういえば、昭和40年代頃までの家は、本日学んだ下級武士系住宅のなごりが残っていたと思われました。

 

「金沢は歴史に直結した町」という先生の言葉は、金澤町家の持つ、都市型住宅としての利便性、景観的観点からの優美性、がその証し と思われるのでした。

まだまだ残っている金澤町家というものの文化的価値を、戦火を免れた金沢としては、(これをハード面においても、ソフト面においても)大事に継承発展させて行く責務はあるのでしょうね。

 

 

次回は、2月18日(土)「 金沢町家の楽しみ方、活かし方 」(講師:金沢大学 名誉教授 川上 光彦 氏)です。

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