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2022年11月27日

中嶋 優太先生が語る西田幾多郎の世界

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本日(11月26日)の講演会の講師は、西田幾多郎記念哲学館 元専門員の
中嶋 優太さんです。
当講演会のチラシを作製した時点では中嶋さん(以下 中嶋先生と称させて
頂きます)は西田幾多郎記念哲学館の専門員の立場であられましたが、
本年10月から石川県立看護大学の講師として赴任されました。大学では、
ご専門の哲学を講じられています。
 
本日のテーマは、「西田幾多郎『善の研究』を読む」です。
石川県かほく市の生んだ偉大な哲学者 西田幾多郎の業績のうちの、
最たる著作の世界に分け入る試みです。
 
当「歴史と伝統文化講演会」は2015年からスタートしており
(途中 コロナで2年ばかり休止しましたが)今年で8年目を迎えています。
この間、テーマとして、歴史、工芸、文学、伝統芸能、宗教、スポーツ等々の
様々な分野を扱ってきましたが哲学は今回が初めてです。
それもとびきり難解と言われている「西田哲学」なのです。
 
哲学は、いろんな学問や思考の仕方の分野において、その基礎であったり、
存在意義だったりするところを明らかにすべく、「〇〇哲学」として展開されています。
(ex 政治哲学、法哲学、また地域による区分として、西洋哲学、東洋哲学 等々。
また人生哲学、経営哲学などというものもある )。
 
今回の中嶋先生の講演は、それらの各哲学の、と真ん中の「哲学」を扱って頂くわけです。
それも、極めて難解とされる「西田哲学」です。
 
当講演会の僅か1時間30分の限られた短い時間の中で、中嶋先生が、我々をいかにして
「西田哲学」の世界にいざなって頂けるのか、期待で胸膨らませる想いで
先生の講演に臨みました。
 
西田幾多郎哲学の理解の前に、先生は西田幾多郎の生涯を年表を用いてざっと説明され
順風満帆ではなかった西田の生涯を概観します。
幾多の苦難にさらされた経験が、また、鈴木大拙等の友人達との交流が
西田哲学形成にあたって多くの影響を及ぼしたことを述べられました。
 
本日の先生の講演の主題は、「善の研究」の読み方の話ですから本題はあくまで
「善」というものの判定の仕方です。「善」なるもののとらえ方です。
どういった側面で「善」を認識するのか、とらえるのか。
一つは「他律的道徳」からのとらえ方、さらには、人間にそなわていっる
3側面を規定し、それらの側面での「善」のとらえかたを先生は説明されました。
人間の備える「知」、「情」、「意」の各側面から行うところの「善」の
判定です。
様々な例を引用され、これら3側面に適う「善」を説示されました。
 
では西田はどの側面から導き出される「善」を正しいとするのか。
 
それは「意(意欲)」からとらえられる「善」だ、と先生は結語されました。
( 以上は、哲学につき全くの浅学である筆者の感想です。間違って
いましたらご指摘ください。)
 
今回の講演に先立ちて、先生からは、質問はその都度発して良い、との許諾を
得ていましたので、講演の途中途中にて、参加者からはリアルタイムで質問がなされ
、また各自が持つに至った、見解・意見の発表がありました。
会は、時間を追うごとに次第に熱を帯びて来て、具体的なテーマを俎上に載せて、
皆の認識する「善」の立場からの意見が述べられるという、言ってみれば一種の
「パネルディスカッション」の場のような様相を帯びた展開ににまで至りました。
(「人工妊娠中絶」の是非、「安楽死」の是非、などといったテーマをめぐって。)
 
先生の講義が皆の心に沁みたせいか、参加者のめいめいが「にわか哲学者」にまで
到達・昇格してしまった講演会となりました。
 
中嶋先生の、次回にむけての続演が、心から期待されつつ終演となりました。
 
皆の心の中に、「哲学」の種まきをして頂いた中嶋先生、有意義な一日を提供して
頂いて たいへん有難うございました。

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