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2018年12月8日

双六その他昔の玩具展

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ここで言う「双六」とは、「絵双六」を指します。

(他に「盤双六」というのがありますが今回の展示は「絵双六」です。)

サイコロを振り、出た目に従ってマスから駒を進め、上がりを目指すゲームです。

仏教で説く十界の世界観に基づき構成された「浄土双六」が室町期に成立しました。

江戸時代に入り庶民層に普及し、「道中双六」や「出世双六」が生み出されました。

「道中双六」は庶民の旅への関心を高め、「出世双六」は人生の栄達を主題とするので

、新春のめでたい時期の遊びとして好まれました。

江戸後期になり、錦絵に代表される木版多色摺りの技術が確立すると、人気浮世絵師の

手になるものが多く生み出され、「絵双六」は一層華やかさを増しました。

 

合わせて「独楽」、「ビー玉」、「おはじき」、「けん玉」、金沢独特の「旗源平」

などの昔の玩具も展示しましたので、お手にとってご覧ください。

 

展示期間は平成30年12月8日(土)から平成31年3月7日(木)まで。

 

 

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2018年11月18日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 北前船と全国市場 」

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第6回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「 北前船と全国市場 」~ 北前船がもたらした加賀藩、石川県への貢献及び経済効果 ~ )と題した講演会は11月17日(土) 安藤 竜 氏 (金沢歴活 代表)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

安藤さんは、昨年9月16日に「江戸時代の近江町市場と尾張町」と題した講演をされ、参加者の皆さんから大好評を博したのが記憶に新しいところです。

 

安藤さんの主宰する歴史文化コミュニティ・「金沢歴活」のホームページを訪れると このようなテーマが目に飛び込んで来ます。

「歴史を通じて未来の生き方を変える」

「歴史を通じて人・企業・地域を活性化する」

「歴史を知ればなんでもない場所がかけがえのない場所になる」

「歴史と文化は世の中を変える武器になる」

 

いずれも含蓄に富んだ深い言葉ですね。

 

こうした歴史観、歴史研究の有用性といったものが安藤さんの講演の底流に流れているのが 伺えるのです。

 

また、安藤さんの講演は、テーマを語るに際しての、史実の分類、分析に関するその正確・精緻さゆえ、 もはや講義といったほうが良いのかもしれません。

 

本日の演題の「北前船と全国市場」は安藤さんの歴史知識の、ほんの「ONE  OF  THEM」といったところでしょうか。

そして、知識を「個別具体的知識」と「幅広く全体を俯瞰する知識」との対応に置き換えさせて頂ければ、( 前者をONEとし 後者をTHEMとすれば )安藤さんの講演には、個別の、全体における位置関係、全体に対する影響度合い、といったものが 常に示されていて、聴衆は迷子にならずに、安心して聞いておられるのです。

 

だから安藤さんの講演は聴きおわった後、いつも頭の中がすっきりするのです。

 

本日もそのような展開でした。

 

今回、提示されたレジュメは、いつもながらの安藤さん一流の分類にかかるもので、分類内容の多岐さ、その簡明さ、 各分類間のつながりの巧みさ、等々の工夫で、我々聴衆の理解を大いに容易にさせてくれました。

 

殆どの人は、聴きおわって、今回のテーマに関する疑問点がすっきり氷解したことでしょう。

 

私(筆者)においては、北前船の乗組員達が、単なる荒くれ男達ではなく、航海術をよく心得ていて、計算に明るく、商才に富み、 いわばスーパーエリート達であった、ということが驚きでした。

ああ、だから「北前船主」達が、銀行業、保険業などをたくさん創業したんだなぁ、といった由縁が感慨を伴って分かった次第です。

 

安藤さんが、益々ビッグになられ、当講演会の講師としてまたご登壇されることを切に希望する次第です。

 

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次回は、12月15日(土)「金沢の町名の由来と武士(藩士)の家格 」(講師:石川郷土史学会 常任幹事 加納 嘉津政さん) です。

加納さんは長らく 石川県の高校における歴史教育に携わって来られた方です。

加納先生の、歴史学攻究を通して培われた豊富な知識・人生観が場合によっては表題のテーマを超えて展開するかもしれません。

乞うご期待 !!!

2018年10月24日

歴史と伝統文化講演会 ー 「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第5回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」~ 水戸光圀を育てた本家 広済寺(滋賀県)の武佐 ~ )と題した講演会は10月20日(土) 中田 隆二 氏 (郷土史家)を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

「葵御紋を使う金沢広済寺の由緒」というのが本日のメインテーマでした。

 

金沢市扇町にある真宗大谷派の広済寺の家紋がなぜ「三つ葉葵」なのでしょうか?。

 

この疑問を解き明かす前に、金沢広済寺の梵鐘に刻まれていた漢文が新発見事実として 出てきます。

 

各地の寺院で鐘を鳴らすを趣味とする粋人が、あるとき金沢広済寺にやって来て鐘を撞いたところ 鈍い音がしたそうです。そのため住職殿が調べたところ鐘の底にひび割れがあったため、住職殿はこれを高岡の銅器会社に 処分のため売却したそうです。しかし住職殿は、この鐘に刻まれていた漢文の内容が以前から気になっており、 調べる決心をし、さっそく本日の講師の中田先生に鐘に刻まれた漢文の調査を依頼しました。 鐘は処分寸前だったところ、すんでのところで間に合い、本日の講師の中田先生の解読作業に供せられました。

中田先生の解読によると

この鐘には加賀一向一揆の拠点だった「尾山御坊」の由来が記されていました。

1501年、江州広済寺10代厳誓坊祐念の次男の「祐乗坊」が本願寺の実如の命を 受け尾山御坊に長く滞在し、寺院を建て布教した、などど記されているわけです。

金沢広済寺はこの祐乗坊を初代とするわけです。

この鐘に刻まれた文書は一向一揆についての貴重な史料となるわけですが、中田先生、この文書の真偽のほどを 確かめたいという思いに駆られます。

そこで先生は、滋賀 近江八幡にある本家の広済寺に行って本家の歴史を調べることにされました。

 

そこで分かったのが以下のことです。

 

本家広済寺の由緒書には、本家広済寺8代住職の岡崎安休(あんきゅう)に関すること、また、家紋の由来が 記されていたそうです。

 

安休は浅井長政と異母兄弟にあたり、ゆえあって広済寺に入り、僧侶となった。 優れた知恵と軍略を身に付けており、天正年間(1575~1592)の一時期、顕如の命を受けて尾山御坊に派遣 され、僧侶を率い、加賀、越前の門徒を治めた。 打倒信長のため一揆の指揮を執ったわけです。

 

この安休には「感」と「武佐」という娘がおり、二人とも御三家水戸藩の初代徳川頼房公の乳母としての任を果たしました。 特に武佐は、頼房とその側室の長男(高松藩初代藩主松平頼重公)と次男(水戸藩二代藩主徳川光圀公、俗にいう水戸黄門)の命を守り 育てた養い親だったのです。

 

安休は武佐の嫁いだ三木家と水戸徳川家を通じて徳川家康と親交を深め、家紋「三つ葉葵」や刀を賜ったことが由緒書に記されている、 とのことでした。 こうして本家広済寺では葵の紋を用いるようになります。のちに重要な儀式では松平頼重公よりいただいた葵御紋の幕を使用したとも伝わります。

このようにして安休が家康公より拝領した葵御紋は金沢広済寺にも受け継がれ、寺紋とするようになったのです。

 

中田先生のご活躍により、以上の歴史的新事実が明らかになったわけです。

 

梵鐘の調査、近江の広済寺の史料の調査等々、中田先生の、ロマンある歴史的時空探訪の旅が一つ結実したわけですね。

 

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次回は、11月17日(土)「 北前船と全国市場 」~ 北前船がもたらした加賀藩、石川県への貢献及び経済効果 ~ 」(講師:金沢歴活 代表 安藤 竜さん) です。

安藤さんといえば、昨年9月16日に「江戸時代の近江町市場と尾張町」と題した講演をされ、大好評を博した あの新進気鋭の歴史家の安藤さんです。

安藤さん独特の視点からの「北前船」論が展開されることと思います。

楽しみですね !!!

2018年9月16日

歴史と伝統文化講演会 ー 「加賀百万石と前田家」

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第4回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「加賀百万石と前田家」~ 前田家三代と加賀八家 ~ )と題した講演会は9月15日(土)、中田  廉子 氏( 観光ボランティアガイドまいどさん )を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

中田さんは、「まいどさん」のかたわら 様々な場所で、歴史・文学関連の講義・講演をされており、また、「金沢城・兼六園研究会」にも所属され多彩な活躍をされている方です。

 

「百万石まつり」、「百万石行列」、「百万石音頭」、「ミス百万石」、「ひゃくまんさん」・・・というように 加賀百万石の「百万石」を冠し、あるいはこれを取り入れている呼称、命名がいくつかあります。

観光で金沢を訪れる人からは、「・・・さすが百万石の城下町ですね・・・」などど百万石という言葉に畏敬の 念をこめての、金沢を賞賛する言葉をよく聞きます。

地元の人たちには、「百万石」という音にずっと慣れ親しんでいて、そして心の奥底には、この百万石に誇りと自負を 抱いている方が多くみられます。

では、この「加賀百万石」という城下が、所領が、経済が、政治が、文化がどうやって成立したのか、様々な危難の なかでどうやって維持され続けてきたのか、そして発展してきたのか、ということに明確に答えられる地元の人は どれだけいるでしょうか。

 

前田利家公のことは少しなら分かっているけど、2代目、3代目さんのことは「あんまり・・・」という方も多いことでしょう。

「本多町」、「横山町」・・・・などの町名から、こういった名前の、前田家に仕えた重臣たちがいて、その上から八つを「加賀八家」というくらいのことは 知ってるけど、各家のプロフィール、前田家への貢献度合い、などについてはあまり知らない・・・という方もこれまた多いでしょう。

 

以上のこと 少しならわかってるけど、あくまでそれは何となくで、スッキリしない・・・という方も多かったのではないでしょうか。

 

そんな、すっきりしない頭の中の「もやもや(蒙=「暗さ」)」をスッキリ・明るくさせてくれた中田さんの講演でした。

まさしく、加賀百万石、前田家、加賀八家、そして金沢城のことなどについて、私たち聴衆を、一挙に「啓蒙」して下さった本日の 講演でした。

 

加賀藩がなぜ改易されなかったのか。

徳川体制のもと、(幕府成立から綱吉まで)改易減封されたお家が191もあったとのこと。

前田家各代の藩主の勇気と、知恵と、政策と、そのまた奥方たちの手助け・活躍と、そして八家の命がけの助力・貢献を 中田先生、丁寧で分かりやすいスライド、明快な口調で解説されました。

 

スライドが1枚1枚と進むごとに、そのつど頭の中が知識で満たされ、曖昧が雲散霧消して 頭の中が晴れやかになって行く感慨にとらわれました。

講演の丁寧さ・明快さすべては、中田さんの心の底流にある「金沢愛」に裏打ちされていることが伺えました。

 

講演中、中田さんはこんなお話をまじえられました。

 

あるときテレビで関口宏さんの番組でこんなのがあったそうです。

戦国武将の「おしゃれ」ベストテンに入るのは誰か、というような番組だったそうです。

10位から発表されていって、9位、8位、・・・ と なかなか前田利家公は出てきません。 ・・・もうダメかと思ったとき、なんと利家公、堂々の3位ランクインだったそうです。

そのとき中田さん 心の中で快哉を叫んだそうです。

 

私たちもその番組を見ていたら同じ心境になったでしょうね。

ここからも、中田さんの深い「金沢愛」が見て取れますよね。

(ちなみに2位は伊達政宗、1位は織田信長だったそうです。)

 

中田先生、明快で、そしてユーモアに富んだ楽しい講演 有難うございました。

 

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次回は、10月20日(土)(「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」~ 水戸光圀を育てた本家 広済寺(滋賀県)の武佐 ~ )(講師:郷土史家 中田 隆二(たかじ)さん) )です。

中田さんは、金沢の広済寺さんにおいて長年使用されてきた梵鐘の表面に、同寺が尾山御坊にあった時のことなどの史実を記した文章の解読に当たられました。

そのとき発見した歴史上の真実とは・・・乞うご期待 !

2018年9月7日

引札と浮世絵の競演展

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引札も浮世絵も主に版画(木版画、石版画 )であり最終形は多色刷りである。

引札には製法において浮世絵技術が活かされている。

 

浮世絵はもともと江戸時代の庶民にとって関心ある情報を伝達するためのメディア的側面をも有しており(特に名所絵)、広告物として活躍していたものもあった。

 

一方 引札は江戸時代に始まり明治で最盛期を向え、商店、問屋、仲買、製造販売元などのために作られた広告、チラシの類であった。そして広告、宣伝のための道具というだけでなく、生活の中に笑いや遊びを取り入れようとした一種のエンターテインメントでもあり、また庶民の情報源(よってメディア的側面を有する)でもあった。

 

浮世絵も引札も当時の時代考証的資料の価値を有し、また どちらも美術的価値を有することは言うまでもない。

 

大きな概念から言えば、引札は浮世絵の一種と言えよう。

 

以上を踏まえて この両者を大正ロマン溢れる当館の中で とくと見比べてお楽しみください。

 

当展示は、平成30年9月7日(金)から12月5日(水)まで。

 

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2018年7月22日

歴史と伝統文化講演会 ー 加賀百万石の漆芸の歴史

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第3回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「加賀百万石の漆芸の歴史 ・ お茶のお話」と題した講演会は7月21日(土)、岡 能久 氏( 株式会社 能作 代表取締役会長 )を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

株式会社 能作は、創業200有余年の、うるし・漆器の製造販売を手がけてこられた 大老舗です。 本日の講師を務められた岡 能久さんは、その「能作」の七代目にあたる方です。 現在は同社の代表取締役 会長さんを務められています。

 

ネットで得た知識ですが、岡さんは、東京で大学生活を送られ、卒業後、京都に ある日本一の漆器店に就職され、東京支店配属となり、そこで業績を上げられ、その後、 金沢のお父様から呼び出しがかかり、漆器の店を任せられ、今日の「能作」を築き上げられた、 とあります。

いわば東京、京都、金沢の三都の文化を吸収されたわけです。 このことが、「京蒔絵」、「江戸蒔絵」、「加賀蒔絵」を客観的に評価する際の 審美眼にもつながったのでしょうね。

金沢に戻られてからは、社業の傍ら、漆産業・金沢漆器や加賀百万石の伝統文化、 茶道や能楽の振興に努められ、また金沢の中心街のまちづくりにも腐心されておられます。

 

本日の講演は、冒頭 ㈱能作さん制作にかかるビデオ「金沢漆器」を映写されて、皆を 金沢漆器の世界にぐいと引き込んでから始められました。

 

「京蒔絵」、「江戸蒔絵」、「加賀蒔絵」の特色、それぞれの違い、また この石川にあっては 輪島、山中、金沢が漆器産地ですが、これらの間の製法の違い、特色、を詳らかに 説明して頂きました。 沈金と蒔絵の違いや、各分野における様々な「名工」たちのお話もされました。 とくに、金沢の蒔絵のゴージャスさ、品のよさを力説されました。

 

また、石川在住の人間国宝8人中4人は漆芸の方である、とのことを誇らしげに語られました。

時おりしも、文化審議会が20日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に 沈金の山岸一男氏(輪島市河井町)ら3人を認定するよう、林芳正文部科学相に答申した との喜ばしいニュースがあったばかりです、とも語られました。

 

漆産業に携わる人々の生活基盤の安定、当産業の発展、ひいては工芸王国 金沢、石川の 文化的発展を希求する(岡さんの)心情溢れる講演となりました。

 

金沢の漆器、蒔絵がよりいっそう身近なものになった講演でした。

 

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次回は、9月15日(土)「 加賀百万石と前田家 ~ 前田家三代と加賀八家」(講師:観光ボランティアガイドまいどさん 中田 廉子(やすこ)さん )です。

中田さんは、様々な場所で、歴史・文学関連の講義・講演をされておられます。

わかりやすい、明快な講演が きっと皆様の心の奥底に届くことでしょう。

乞うご期待 !

2018年6月21日

なつかし・おもしろ団扇(うちわ)展

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かつて 商店、会社などの 夏における広告・宣伝媒体として隆盛を極めた

団扇。

主に昭和の時代の団扇( 42本 )を展示しました。

団扇には表、裏の両面があります。別々の絵柄だったり、絵柄が片面、もう片面が

商店名、商品名だったり。

係員に申し出て頂ければ、ショーケースから取り出しますので 手にとってご覧いただけます。

( 鳩の形をした「鳩団扇」や、水につけて気化熱で涼む「水団扇」などの珍しいものも展示しています。 )

北向きに建ち 夏でも涼しい当館の中で、人々に涼しさを届けた団扇たちを眺めて

眼からも涼んで行って下さい。

 

協力 松田文華堂 様  綿谷小作薬局 様

 

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展示期間は、平成30年6月22日(金)~ 平成30年9月5日(水)まで

2018年6月17日

歴史と伝統文化講演会 ー 近江町の不思議Ⅲ

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第2回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「近江町の不思議Ⅲ」と題した講演会は6月16日(土)、石田 順一 氏( 金沢中央信用組合 常勤監事 )を講師にお招きし、たいへん多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

上近江町にあります金沢中央信用組合 常勤監事の石田順一さんの、本講演会ご登壇は、先の、徳田秋声記念館・学芸員の薮田先生同様 3回目となります。

過去の2回における近江町にまつわる不思議な話、市場の変遷、近江町に対する金沢市民の支持・愛着の高まり行く過程、等々の講演が、近江町というものを様々な角度から解明してくれたことでした。

 

さて、そういうわけでこの講演も回を重ねて3回目。

 

石田さんの近江町シリーズが、今回のⅢで終了するのか それとも次のⅣをご準備されているのか分かりませんが、なんとなく 今回のⅢでひとまずの区切りのような感の講演でした。

このⅢを近江町シリーズの集大成となすがごとく講演は進んだのです。

 

前回の講演で提起された、謎として残された部分のうちの判明したことの説明から 入り、「近江町市場の中にある金沢市指定史跡」(西内惣構跡)、近江町市場の 「アーケード」構築の経緯、苦労話、三八豪雪時、横安江町商店街のアーケードは倒壊したが、近江町の場合、開閉式 なるがゆえに難をまぬがれたエピソード、「共栄会 記録綴」から垣間見える 昔の近江町の様子、表情を面白く語って頂きました。

さらに昭和41年、魚問屋10社が統合して西念の金沢市中央卸売市場が構築され近江町市場が大きく変遷したこと、大口水産の設立者である「荒井 知行」さんの、その伝説をもとにした偉業、を語って頂きました。

 

近江町市場の歴史面、地理面、人物史面、設備面、市場としての機能面、 その中で働く人々の様子、他方の、客である金沢市民の様子、等々さまざまな 局面から近江町という存在を、丹念に調べあげた資料、当時を知る人たちへのインタビュー、 などの豊富なデータをもとにして解明されました。

その結果を石田さんは我々聴衆に惜しげもなく披露されたのでした。

 

今回で石田さんの近江町シリーズは一旦終焉するかの感があります。 この3回シリーズは、氏の旺盛な好奇心と、苦難に面してもめげない忍耐強さ、 たゆまぬ調査、研究心のたまものであったと拝察いたします。

 

市民に心から親しまれ、観光客に金沢の魅力を発信し続けている近江町は、いまそこに “ぽっと” 存在しているわけではありません。

幾多の歴史を重ね、風雪に耐え、その時代時代の人たちの、かけがえのない努力・尽力で 今があるわけなのです。 そんなことを石田さんは熱弁をもって我々に示してくれました。 3回を通して我々に一番伝わったのは、彼の持つ「近江町に対する深い愛情」だったのではないでしょうか。

 

「西内惣構」の話のところでの、「・・・敵が高い土居を見上げて『・・・どいね・・』、堀があって『・・・ほり見たことか・・』 、アーケードを設ける計画の当初、何か参考になるものはないかと「何かないけ」、富山の総曲輪商店街を参考例として出すときの 「・・・こんなのが『あっけど・・』・・・」というくだり、など石田さん一流の “だじゃれ” をまじえての話術は、我々の心になごみとなって響いたことでした。

「共栄会 記録綴」のなかに(昭和29年頃の話ですが)、1日(青果の休日)、8日(鮮魚の休日)、露天商が市場に 入り込んでいかがわしいものを売っているのを自治協会が取り締まるわけですが、近江町でもそういった露天商の 「啖呵売」が聞けたときがあったかもしれない、というくだりのところで石田さん、興に乗って一部ですが一席吟じました・・・ 「・・・いいかねお客さん。角は一流デパート、赤木屋 黒木屋 白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)つけたお姐ちゃんから、 ください頂戴で頂きますと、五千が六千、七千、八千、一万円はする品物だが今日はそれだけくださいとは言わない!・・・」 と、映画「男はつらいよ」の寅さん(渥美 清)の啖呵売を。

会場の一部から一陣の風のごとく拍手が巻き起こりました。

この、お客さんを楽しませたい、という心持も石田さんの真骨頂のひとつなのでした。

 

 

次回は、7月21日(土)「 加賀百万石の漆芸の歴史 お茶のお話」(講師:株式会社 能作 代表取締役会長 岡 能久(よしひさ)さん )です。

漆・漆器の老舗 「能作」の、岡 能久さんの講演です。

きっと含蓄に富んだお話が展開されることでしょう。

楽しみですね。

2018年5月20日

歴史と伝統文化講演会 ー 秋聲文学とのつきあい方

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第1回目(今年度は全部で10回シリーズ)の「 秋聲文学とのつきあい方 」と題した講演会は5月19日(土)、薮田 由梨 氏(徳田秋聲記念館・学芸員)を講師にお招きし、5月とは思えぬ寒中にもかかわらず多数の方の参加を頂き、ここ尾張町老舗交流館にて開催致しました。

 

薮田先生の、当講演会での お話はこれで3回目です。

第1回目は平成28年5月に 「 金沢の三文豪 」というテーマで、また 第2回目となる昨年7月には「 詩人 中原中也 」というテーマで講演して頂きました。

いずれも参加者全員の心にしみわたる珠玉の名講演でした。

郷土の生んだ三文豪、金沢とのゆかりある中原中也、の人物描写、文学的特徴・技法・背景を存分に語って頂いたことがまだ記憶に新しいところです。

 

薮田先生ご登壇に対する皆の熱い思いが、今回の、第3回目の講演実現という運びになった次第です。

 

一般に、三文豪の中で一番地味だと受け取られている「秋聲」文学。

 

この「秋聲」文学への いざない に腐心されたのが今回の薮田先生の講演でした。

今回 先生は本日の任務が、秋聲文学の特徴紹介・読み方紹介と決心されていたようで 「折鞄」、「過ぎゆく日」、「リボン」、「好奇心」の四つの作品を例にとり、秋聲文学の読み方、 味わい方、を明快に解説され、皆(聴衆)を徳田秋聲ワールドに導いていただきました。

とくに、この「折鞄」なる作品に出会って先生はたいへんな衝撃を受けたそうです。 この作品で先生は秋聲文学の魅力に気づかれ、秋聲の読み方を会得された、とのことでした。

ロマンも、耽美も、感極まるストーリー展開もない「自然主義文学」ではあるが、それの極致を行く「秋聲文学」の持つすごさを感得したのがこの作品とのことでした。

この作品中の、妻の死に接したときの描写の、あまりにもの「あっさりさ」に先生は秋聲文学の (自然主義文学の)真骨頂を見出されたとのこと。

「 急に消え去るのが 人の死 」だと。

 

高橋 勲 監督の、スタジオジブリ制作のアニメ「おもいでぽろぽろ」に先生は「秋聲」性を感じた というようなことをおっしゃっていました。

何という薮田先生の感性の素晴らしさ、その文学観の秀逸さ、・・・ 講演終了後 「秋聲 」は早く手にとって読みたし、「おもいでぽろぽろ」はビデオを借りてきて再び見たし、 との思いにかられたのは私(筆者)だけだったでしょうか。

 

先生の手にかかり、ちょっとわかりにくい「自然主義文学」、「秋聲文学」の良さが、皆の前に開陳されたのです。

 

何の虚飾もなく、淡々と、ありのままを述べる「秋聲文学」には、読者のその時々の心境、立場、の違いによる 解釈の多様性を許容する程度が大きいのだ・・・というような趣旨のことを述べられたような気がします。

自然主義文学を代表する秋聲文学は、ありのままの、生身の人間の真実に迫っているのだ、いろんな様々な 人間の境遇、立場をすべて描写し分けていて、人間に対する(ほんとうの)「慈しみの眼」が秋聲文学には 籠められているのだ、という理解に私(筆者)は至りました。

秋聲文学は「地味」との印象がありますが、その「地味」は味読すれば「滋味」に繋がり、人物には秋聲の「慈眼」が そこかしこに注がれているようで、この意味で「慈味」という要素もあるのではないでしょうか。

 

本日 先生は、「秋聲文学 」のエッセンスのいっぱい詰まった玉手箱を少し開けて、皆に紹介されたわけです。

 

先生の(声楽的にいえば)アルトともメゾソプラノともいえる心地よい声で 、まるでそよ風を吹き渡すがごとく、秋聲文学のエッセンスの香りを、超満員となった館内中にもたらして頂きました。

薮田先生、ほんとうに有難うございました。

 

さて次回は、6月16日(土)。

こちらも3回目のご登壇となる石田順一さんです。

いよいよ「近江町不思議」シリーズも煮詰まってきて、そのⅢを迎えます。

さて どんな興味・興趣ある話が展開されるやら、乞うご期待。

 

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2018年3月23日

金沢商家の銅版画展 Ⅱ ( 明治21年 )

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明治21年の、金沢商家の銅版画展(複製)を昨年末 ~ 本年初に行いましたが、

好評につき、レイアウトを変えて再び展示しました( 103店舗 )。

( 出典は明治21年出版の「石川県下商工便覧」)。

当館の、常設展示の「尾張町」部分( 26店舗 )と合わせての展示となります。

展示の銅版画に対応する「引札」も数点展示しました。

当館の、大正ロマン香る雰囲気の中で ご覧ください。

展示期間は、平成30年3月24日(土)~ 平成30年6月20日(水)まで。

 

 

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