尾張町 老舗交流館 ロゴマーク

尾張町ホームページへ

Archive

2018年12月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

2014年11月14日

「津軽」のひと

P1000093

青森県平川市のNさんの、後日送ってくれた青森の観光パンフレット

 

 

当交流館の係員となって1年と半が経過しようとしている。 来館者は地元の人のほうが多いが、施設の性質がら当然のこと「旅人」も多い。 私は、ここ尾張町老舗交流館の常駐管理人だから、この場所に根が生えたように動かない。 したがって遊歩される「旅」のかたとは、動きという点においては全く対照的である。 旅のかたには、当館の由来は勿論のこと、当地の地理、歴史、文化などについて話をさせていただくのが私の使命であるが (…といってまだまだその使命を果たしうるレベルに達してませんが)、 逆に旅のかたから、その来られた方の土地にまつわるお話を聞かせていただく機会も大変多い。 そういった場合、私のほうも「旅人」気分になる。老舗交流館という建物に固着しているこの私が、旅人のお客様の おかげで、心はこの場所から放たれて、いろんな、まだ行ったことのない土地に遊ぶことになることも ままある。動かない私が、動いているお客様の動きとの相対関係により、私も動いている感覚にとらわれる気分になるのである。

 

10月の初めころの早朝、青森は平川市から一人の男性の方(Nさん)が来られた。もうリタイアされたとかで、アチコチを旅されている、 いわば旅の達人といったかたであった。このとき、青森の観光、風土、方言などいろいろとお伺いした。 (方言は、地域が変わると同じ青森県人でも分からないほど、さまざまなヴァリエーションがあるとのこと。) 「青森は、昼と朝晩の気温の差が激しいんですよ…」と、1日のうちの寒暖の差の激しさが、青森のリンゴを美味しくさせている のだと説明された。また、金沢の街並みの美しさ、景勝地の美しさをほめられ、私を心地よくさせる一方、青森の 観光のPRにも熱弁をふるわれた。さながら青森の観光大使のような方であった。  ところで私は館内に備えてある蓄音機(電蓄)でいつもBGMを流している。(レコードのドーナッツ盤は勿論かけられるのだが、 CD装置も付いており、普段は操作の手軽なCDをかけている。)ジャンルは、オールディーズのポップスや、ジャズっぽいもの がメインであるが、この夏は館内を音で涼しげにしようと、「奥入瀬渓流」と「四万十川」のせせらぎ音を収録したCDをかけていた。 ようやく涼しくなって、「奥入瀬渓流」のCDは二、三日前に片づけてしまっていた。ところがこの日は暑さが少しぶり返していた。 そんな折りのNさんのご来館は、館内を再び青森の「奥入瀬渓流」の清涼感で満たした…青森の「自然」に誇りを持つNさんの言葉で。

 

青森からのお客さんでもう一人、私の心に強く残っている人がいる。 今年の春先のこと、まだ肌寒い3月末頃だったと記憶している。閉館間際の薄暗くなってきた夕暮れ時、 一人旅とおぼしき若い女性が入ってこられた。寒さのためか頬が少し赤らんでいて、健康そうなリンゴのイメージがした。 青森から来られたとのこと(リンゴのイメージに妙な符牒を感じた)。当館の建物に興味が惹かれて入った、とのこと。 (ここでは仮にBさんとしておく)Bさんは春休みを利用してあちこち回っていて、今日、明日と金沢を見て歩く、とのこと。 金沢の家の多くが、黒い屋根瓦に覆われていることに興味を示されて「青森はトタン屋根が多いんですよ…」と話された。 明日行かれる金沢城公園と兼六園との間の「百閒堀通り」は、昔あそこは水を湛えた堀だったのですよと、その由来を話すと 「じゃぁ明日、じっくりと見てきます」と興味を示された。 旧いもの、歴史などに該博な知識がありそうなので「学生さんですか、文学部ですか」と問うと「いえ、医学部です。この春から 三年になります」「では弘前大学医学部ですか?」「はいそうです。でもよく分かりましたね」。 そこからは専ら、日々の、医学部での勉学状況、そしてその大変さを伺った。 ( 私の息子も医学部生で、しかもBさんと同学年なので、勉学の大変さは共感できた。)

 

「明日、時間があったらまたお話がしたいですね」と勝手な要望をすると「はい !」と答えてBさん、宿に 向かわれた。 翌日、私はBさんの再訪を少し期待していたが、「また来てくださいね」と要望してまた来てくれた人は地元の人でも数少ない。 ましてや彼女は旅行者なので、このような甘い期待はしていけない、と自らを戒めた。 夕方近くになっても彼女は来ないふうだった。先の戒めにもかかわらず私は、太宰 治の「走れメロス」に出てくる、友人メロスの帰還を一度は疑った (友人 メロスの身代わり人質の)セリヌンティウスの心境に少しなっていた。 氷雨も降り出し、寒さも募ってきたそのとき、Bさんが傘もささず、濡れた髪もものかわ当館に入って来られた。 「…お話うかがっていたので…百閒堀、大変感慨深かったです」と述べて下さった。 やっぱり来てくれたんだ、とメロスの帰還を信じ続けたセリヌンティウスの心境に戻った。 そのとき、ふと思った。

 

「ああ そういえば太宰 治も津軽の人だったな~」と。

 

時間が無いのでこれでおいとまします…とBさんは次の目的地へと向かって行った。 そのとき私は、充分 心が満たされていた。何となく爽やかな、そして甘酸っぱい「青りんご」の風味のようなものにとらえられて 彼女を見送った。

 

「どうか素晴らしい女医さんになられるように」の想いを込めて。

ブログトップへ