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2018年9月16日

歴史と伝統文化講演会 ー 「加賀百万石と前田家」

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今年度で第5回目の実施となる尾張町商店街「歴史と伝統文化講演会」の、平成30年度第4回目(今年度は全部で10回シリーズ)の(「加賀百万石と前田家」~ 前田家三代と加賀八家 ~ )と題した講演会は9月15日(土)、中田  廉子 氏( 観光ボランティアガイドまいどさん )を講師にお招きし、多数の方の参加のもと、盛大に開催されました。

 

中田さんは、「まいどさん」のかたわら 様々な場所で、歴史・文学関連の講義・講演をされており、また、「金沢城・兼六園研究会」にも所属され多彩な活躍をされている方です。

 

「百万石まつり」、「百万石行列」、「百万石音頭」、「ミス百万石」、「ひゃくまんさん」・・・というように 加賀百万石の「百万石」を冠し、あるいはこれを取り入れている呼称、命名がいくつかあります。

観光で金沢を訪れる人からは、「・・・さすが百万石の城下町ですね・・・」などど百万石という言葉に畏敬の 念をこめての、金沢を賞賛する言葉をよく聞きます。

地元の人たちには、「百万石」という音にずっと慣れ親しんでいて、そして心の奥底には、この百万石に誇りと自負を 抱いている方が多くみられます。

では、この「加賀百万石」という城下が、所領が、経済が、政治が、文化がどうやって成立したのか、様々な危難の なかでどうやって維持され続けてきたのか、そして発展してきたのか、ということに明確に答えられる地元の人は どれだけいるでしょうか。

 

前田利家公のことは少しなら分かっているけど、2代目、3代目さんのことは「あんまり・・・」という方も多いことでしょう。

「本多町」、「横山町」・・・・などの町名から、こういった名前の、前田家に仕えた重臣たちがいて、その上から八つを「加賀八家」というくらいのことは 知ってるけど、各家のプロフィール、前田家への貢献度合い、などについてはあまり知らない・・・という方もこれまた多いでしょう。

 

以上のこと 少しならわかってるけど、あくまでそれは何となくで、スッキリしない・・・という方も多かったのではないでしょうか。

 

そんな、すっきりしない頭の中の「もやもや(蒙=「暗さ」)」をスッキリ・明るくさせてくれた中田さんの講演でした。

まさしく、加賀百万石、前田家、加賀八家、そして金沢城のことなどについて、私たち聴衆を、一挙に「啓蒙」して下さった本日の 講演でした。

 

加賀藩がなぜ改易されなかったのか。

徳川体制のもと、(幕府成立から綱吉まで)改易減封されたお家が191もあったとのこと。

前田家各代の藩主の勇気と、知恵と、政策と、そのまた奥方たちの手助け・活躍と、そして八家の命がけの助力・貢献を 中田先生、丁寧で分かりやすいスライド、明快な口調で解説されました。

 

スライドが1枚1枚と進むごとに、そのつど頭の中が知識で満たされ、曖昧が雲散霧消して 頭の中が晴れやかになって行く感慨にとらわれました。

講演の丁寧さ・明快さすべては、中田さんの心の底流にある「金沢愛」に裏打ちされていることが伺えました。

 

講演中、中田さんはこんなお話をまじえられました。

 

あるときテレビで関口宏さんの番組でこんなのがあったそうです。

戦国武将の「おしゃれ」ベストテンに入るのは誰か、というような番組だったそうです。

10位から発表されていって、9位、8位、・・・ と なかなか前田利家公は出てきません。 ・・・もうダメかと思ったとき、なんと利家公、堂々の3位ランクインだったそうです。

そのとき中田さん 心の中で快哉を叫んだそうです。

 

私たちもその番組を見ていたら同じ心境になったでしょうね。

ここからも、中田さんの深い「金沢愛」が見て取れますよね。

(ちなみに2位は伊達政宗、1位は織田信長だったそうです。)

 

中田先生、明快で、そしてユーモアに富んだ楽しい講演 有難うございました。

 

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次回は、10月20日(土)(「 葵御紋を使う金沢広済寺の由緒 」~ 水戸光圀を育てた本家 広済寺(滋賀県)の武佐 ~ )(講師:郷土史家 中田 隆二(たかじ)さん) )です。

中田さんは、金沢の広済寺さんにおいて長年使用されてきた梵鐘の表面に、同寺が尾山御坊にあった時のことなどの史実を記した文章の解読に当たられました。

そのとき発見した歴史上の真実とは・・・乞うご期待 !

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